第1節:2026年、瓦礫の街――1/3
―― 1. モノクロームの目覚め――
「……や、キシくん! 起きて、キシくん!!」
激しく身体を揺さぶられ、キシは肺に溜まった空気を吐き出すようにして跳び起きた。
視界に飛び込んできたのは、ひび割れたコンクリートの地面と、どこか煤けたグレーの夜空。そして、パーカーのフードを振り乱し、涙で目を真っ赤に腫らしたサツキの顔だった。
「サツキ……さん……?」
「よかった……っ! 目が覚めたのね……!」
サツキは安堵のあまり、キシの肩にぽろぽろと涙を落とした。その身体に触れると、確かな温もりと、生々しい衣服の繊維の感触が伝わってくる。走査線のようなブレはない。彼女は完全に「物質」としてそこに存在していた。
キシはふらつく身体を支えながら、ゆっくりと周囲を見回した。
「ここは……秋葉原、駅前……?」
そこは確かに、秋葉原駅の電気街口だった。しかし、キシの知っている「2026年」とは、あまりにもかけ離れていた。
ガラス張りのスタイリッシュな複合ビル『ラジオ会館』は建っている。だが、その美しいガラス壁面はまるで見えない爆風に晒されたかのように細かくひび割れ、ところどころ剥がれ落ちていた。中央通りのアスファルトには、まるで巨大な地殻変動でも起きたかのような不気味な亀裂が走り、ネオンサインの半分は消灯し、寂しげにパチパチと火花を散らしている。
1998年への完全な巻き戻し(シャットダウン)は免れた。しかし、過去と現代の衝突が遺した爪痕は、あまりにも深かった。
―― 2. 静寂のデジタル・デザート――
キシは震える手で、ポケットからスマートフォンを取り出した。
画面のガラスはバキバキに割れていたが、液晶は奇跡的に生きていた。
表示されている日付は――『2026年5月25日』。
時間は、あの狂騒が始まる前の、元のタイムラインへと戻っていた。しかし、画面の右上、電波強度を示すアイコンの横には、冷酷な文字が刻まれていた。
『圏外 / No Service』
「ネットが……繋がらない」
「お店のパソコンも、私のスマホも全部ダメ。それだけじゃないわ、キシくん。街を、見て」
サツキに促され、キシは中央通りへと視線を向けた。
そこには、恐るべき光景が広がっていた。
静寂。
世界屈指の電脳都市であり、24時間人が途切れることのなかった秋葉原の街から、**「人間」の姿が完全に消え失せていた。**
走る車もなく、行列を作るオタクもなく、ただ無人のビル群が、壊れた骸骨のように静まり返っている。
アオイという「集合無意識のバグ」を強制排除した代償として、ネットの熱量を吸い上げすぎていた秋葉原という空間そのものが、システムエラーを起こして「隔離」されてしまったのだ。
―― 3. 少年が遺した「最後のノイズ」――
「俺たちは、現実に戻れたんですよね……?」
キシの掠れた声が、無人のストリートに虚しく響く。
「戻れた……んだと思うわ。ここは間違いなく、2026年のアキバの成れの果てよ。でも、インフラも、人間も、すべてが凍りついちゃってる」
サツキは自分の腕を抱きしめ、寒気に耐えるように呟いた。30代後半の彼女が愛し、憎み、生き抜いてきた秋葉原の歴史が、文字通りの「瓦礫の街」と化してしまっていた。
その時、キシの足元で、カシャ、と微かな電子音が響いた。
「ん……?」
バキバキに割れたスマートフォンの画面が、圏外であるはずなのに、突如として緑色の発光を始めた。
スクロールを始める、無数の暗号のようなテキストコード。それは、地下のPCクラスターで見たアオイの構成データの一部だった。
画面の最下部に、ポツンと1行のメッセージが浮かび上がる。
『【エラー】:第13話(最終話)のデータが未検出です。システムを再起動するには、失われたエンディングを入力してください。』
「最終話……?」
キシの脳裏に、アオイが最後に魅せた、あの寂しげな微笑みがフラッシュバックした。
世界を書き換えるためのものではない。アオイが、自分という存在のすべてを賭して、キシとサツキに託した「最後の謎解き」。
この凍りついた2026年の秋葉原を再起動するための、たった一つの『再生のコード』が、壊れたスマホの中で静かに明滅を始めていた。




