第3節:タイムライン――3/3
―― 7. 亡霊たちのスクラム――
「お兄さんも、僕を捨てるんだね」
アオイの言葉が、1998年の秋葉原の空気を完全に凍りつかせた。
ピタリと動きを止めた無数のオタクたちの幻影。彼らは一歩、また一歩と、機械的な足取りでキシとサツキを取り囲むように距離を詰めてくる。その瞳には光がなく、ただ『アルカディアの残光』という偽りの聖典を守るためだけの防衛システムと化していた。
「キシくん、私の後ろに……!」
サツキが叫ぶが、彼女の身体はすでに背景の街並みが透けて見えるほどに薄くなっている。2026年を証明する彼女の存在自体が、この世界のバグとして消去されかけていた。
「サツキさん、もう無理しないでください!」
キシはサツキの前に躍り出た。
彼の手にあるスマートフォンは、今や1998年の日付を冷酷に表示し続けている。だが、キシは画面を強くスワイプし、ジャンク屋のせせこましいバックヤードで、自分の手で『アルカディア』のビデオを再生したあの最初の瞬間を思い出していた。
「アオイ! 俺は今の退屈な大学生活が嫌だった! でも、それとこれとは話が別だ! 誰かが都合よく作った過去に閉じ込められて、満足できるかよ!」
―― 8. 可愛い怪物の決壊――
「うるさい、うるさい、うるさい……!」
アオイが両手で耳を塞ぎ、子供のように激しく首を振った。
その瞬間、彼の身体からすさまじい量の緑色のテキストデータが噴出し、周囲のビルやアスファルトを直撃した。
ガガガガガガ!
中央通りのビル群が、激しい処理落ちを起こしたようにカクカクと歪み始める。
1998年の街並みの皮膚がベリベリと剥がれ、その下から2026年のガラス張りの高層ビルが、肉塊のようにドロドロと露出する。新旧の時間が、アオイの感情の爆発によって限界を超えてクラッシュしていた。
「僕はただ、みんなに寂しい思いをさせたくなかっただけなのに! 忘れ去られた古いメディアを、もう一度みんなで『最高だ』って笑い合いたかっただけなのに!!」
アオイは涙をボロボロとこぼしながら、キシを睨みつけた。
その顔は、どれほど世界が狂おうとも、胸が痛くなるほどに可愛らしく、守ってあげたくなる「理想の少年」そのものだった。しかし、彼の背後では、あの軽自動車サイズのブラウン管テレビが何十台も虚空に浮かび上がり、一斉に『アルカディア』の爆破音を轟かせている。
「お兄さんなんて、大嫌いだ……! 僕と一緒に、ずっとループしてよ!!」
アオイが右手を天に掲げた瞬間、秋葉原の頭上に、巨大な『黒いビデオテープ』の幻影が現れた。
世界をまるごと巻き戻し、1998年の中に完全にパックするための、システムの一大強制シャットダウン。
―― 9. 2026年へのカウントダウン――
街全体が、ビデオの巻き戻し(リワインド)のような超高速のノイズに包まれる。
歩行者たちの叫び声、車のクラクション、アニメのBGMが逆再生の音となって鼓膜を泥のように埋め尽くしていく。
「キシくん……!!」
サツキの身体が、ついに光の粒子となって消えかける。
「サツキさん!!」
キシは必死に手を伸ばし、彼女のブレる腕を強く掴んだ。
その瞬間、キシの頭の中に、強烈な電流のような衝撃が走った。
(……いや、違う。俺たちが守るべきなのは、綺麗な思い出じゃない)
キシはポケットから、あのジャンク屋で見つけた「最初のビデオテープ」を取り出した。
ラベルのない、埃をかぶった、何の変哲もない黒い塊。
「アオイ!! お前が作ったこの世界は、完璧なんかじゃない! ――だって、俺が最初にワクワクしたのは、お前が作った綺麗なCGの街じゃない、あの薄暗くて汚い、リアルなジャンク屋の棚の上だったんだからな!!」
キシは掴んだサツキの腕を引き寄せ、手の中のビデオテープを、虚空に浮かぶアオイの胸元に向けて全力で投げつけた。
パキィィィィン!!!
ビデオテープがアオイの胸に衝突した瞬間、世界中のすべてのブラウン管が割れるような、凄まじい高音がアキバの夜空に響き渡った。
アオイの身体が、そして1998年の街並みが、ガラス細工のように一斉にひび割れていく。
「あ……お兄さん……」
アオイはひび割れた顔のまま、最後に、ひどく寂しそうな、けれどどこか救われたような、小さな微笑みをキシに向けた。
「……見つけてくれて、ありがとう」
ドォォォォン!!!
光の洪水が視界を真っ白に染め上げ、キシの意識は深い闇の底へと急速に墜ちていった。
(第2章・終)




