第2節:3人の聖地巡礼――3/3
―― 1. 狂気の映画館――
巨大なブラウン管テレビが放つ、ギラギラとした原色の光。それが最上階の暗がりにいる数百人のオタクたちの顔を、赤や青に染め上げていた。
画面の中では、『アルカディアの残光』第4話のクライマックスが描かれている。圧倒的なセル画のタッチで、崩壊する都市を背景にロボットが咆哮する。誰もが息を呑み、微動だにせず画面を見つめていた。その中には、現代の服を着たまま、完全に目を虚ろにして画面に釘付けになっている若者も混ざり始めている。
「どう? お兄さん」
アオイが軽やかな足取りでキシに近づき、その細い手をキシの腰にそっと回した。
高校生らしい小柄な身体から、驚くほどの力でしがみついてくる。めちゃくちゃ可愛い顔をキシの胸元に埋め、上目遣いで囁く。
「これがみんなの見たかった『本当の歴史』だよ。あの頃のオタクたちが、深夜のラジオやネットの片隅で、血を吐くような想いで妄想した傑作。みんなの強い願いが、時間を飛び越えて今、本物になったんだ。お兄さんも、もう意地を張るのやめよう?」
アオイの体温、そしてどこか懐かしい古本の紙のような匂いが、キシの感覚を鋭く麻痺させていく。
耳元で囁かれる言葉は、大学1年のキシの「孤独」を正確に撃ち抜いていた。
(……そうだ。現実に戻っても、明日になればまた、誰も俺を見ない退屈な大学生活が始まるだけだ。ここにいれば、この圧倒的な熱量の中にいれば、俺は――)
キシの視線が、ゆっくりとブラウン管の光へと吸い寄せられていく。
―― 2. サツキの叫びと、平成の残像――
「目を覚ましなさい、キシくん!!!」
鋭い怒号が、スピーカーの爆音を切り裂いた。
サツキがアオイの手をキシから力任せに引き剥がし、アオイを突き放す。サツキの髪は振り乱れ、息は激しく荒れていた。
「アオイくん……あんた、当時のオタクを美化しすぎよ!」
サツキは涙を流しながら、アオイを、そして画面を見つめる無数のオタクたちの幻影を指差した。
「あの頃の私たちが、どうしてネットの掲示板でこんな架空の妄想に縋ってたか教えてあげましょうか!? ――寂しかったからよ!! 世間から変態扱いされて、居場所がなくて、現実が苦しくてたまらなかったから、死に物狂いで『ありもしない嘘の世界』を作って、みんなで傷を舐め合ってたのよ!」
サツキの声が、広い催事場にビンビンと響き渡る。
「それは、綺麗で誇らしい歴史なんかじゃない! 痛くて、惨めで、消し去りたいくらいの黒歴史よ! でもね……それを必死に抱えて、みっともなく生き延びて、今の2026年まで辿り着いたからこそ、私たちの思い出には価値があるの! 綺麗にパッケージされた偽物のパラレルワールドなんて、私は絶対に認めない!!」
30代後半、その地獄のような「オタクの冬の時代」をリアルタイムで生き抜いてきた彼女だからこそ放てる、あまりにも重い言葉の弾丸。
その瞬間、大画面の『アルカディア』の映像が、ガガッと激しくブレた。
―― 9. 剥がれかける少年の輪郭――
「あ……う……」
アオイが頭を押さえ、よろよろと後ろへ下がった。
彼の身体から、パチパチと青いデジタルノイズが飛び散る。サツキの放った「リアルな記憶の拒絶」が、システムの根幹に致命的なエラーを叩き込んだのだ。
アオイの美しい顔が、一瞬だけ、ノイズ混じりの「緑色のテキストデータ(文字列)」へと変貌し、また元に戻る。
「なんで……なんでそんなに『今』がいいの……? 昔の方が、ずっと、みんな優しかったのに……っ!」
アオイは胸を引き裂かれそうなほど寂しげな悲鳴をあげると、ブラウン管テレビの裏側へと逃げるように走り去り、そのまま光の粒子となって消えてしまった。
それと同時に、軽自動車サイズのテレビがバチン!と音を立てて爆発するように火花を散らし、画面が真っ暗になる。集まっていたオタクたちの姿も、霧のように掻き消えた。
「ハァ……ハァ……」
静まり返ったラジオ会館の最上階。
キシは冷や汗を流しながら、自分の手をしっかりと握り直した。アオイの誘惑はあまりにも甘美だった。だが、サツキの「リアルな涙」が、彼を現実に繋ぎ止めていた。
「サツキさん……。俺、もう迷いません」
「……うん。ありがと、キシくん」
サツキは涙を拭い、小さく笑った。
しかし、安堵したのも束の間。足元のコンクリートが、再び激しく震え始める。アオイ(システム)の暴走は、もう誰にも止められない領域へと突入しようとしていた。




