第五十九話 手掛かり
自分の父の日記を読んでから俯いていた階直は、いつものジト目のままだが、少し懐かしむような表情をして口を開く。
「母さんは、友達を助けるためにあの色に入って死んじゃったんだ……そっか……。母さんは優しい人だったんだね……」
そう言った階直に、詩色が優しく話し掛ける。
「そうじゃぞ。わしはずっとそう言っておっただろう」
「言ってたけど、実際の事なんてボクは知らないし……ていうか知ってたなら、母さんが亡くなった理由を教えてくれれば良かったのに」
ジト目のまま少しムスッとした表情で見つめてくる階直に、詩色は糸目のまま申し訳なさそうな顔をして答えた。
「わしも教えようとは思っとったが、アンタの父親にまだ早いと言われてての。もっと大きくなってからの方がいい、そう言われていたのでな。だから、綾美さんが自ら赴くまで黙っていたのだ。すまんな」
「そう……父さんらしいね」
階直は困り眉のまま笑った。詩色も「全くじゃな」と肩を竦めた。
そんな二人を優しい眼差しで見ていた関は、少し首を横へ動かした。すると、とある本に目が留まり、そしてその本を手に取る。少ししか埃を被っていない、分厚い辞書のような本。
階直の父の部屋に積まれている本の中、関が手に取ったこの本だけ違和感を抱いた。関は階直に本を見せながら話し掛ける。
「ねぇ、綾美ちゃん。この本は知ってますか?」
「これは……」
階直が関から渡された本を確認するよりも先に、彼女の隣にいた詩色が糸目のまま、おや? という顔をした。そして、その本の持ち主の名前を口にした。
「わしの記憶が正しければ、それはホーネスさんの本では? たぶん綾美さんのお父様が借りて、そのまま放置された物だと思うぞ」
「ホーネス……ホーネスってどこかで聞いたような……?」
詩色が言ったホーネスという名前に、ノーザイがうーんと悩む。ノーザイは「どこかで聞いた、どこかで聞いたんだけど……」と、何度も繰り返している。
そんなノーザイに助け船を出したのはサフィナだ。サフィナはホーネスという人物の名前を覚えていた。
「……松儀さんのご友人で、今もどこかで生きてるかもしれない方……だったと思います。確かホーネスさんと利根さんって名前だったと記憶してますが……」
サフィナの説明を聞いたノーザイは、少し悩んだ後に手をポンッと叩いた。
「…………あぁ! そう、その人だ!」
ノーザイが納得したのを見た後、サフィナは詩色にホーネスについて聞く。詩色がホーネスの名前を出したということは、ホーネスと知り合いなのだろうと、サフィナはそう思った。
「詩色さんはホーネスさんとお知り合いなんですか? 今ホーネスさんがどこにいらっしゃるとか、分かりますかね……」
「あぁ、ホーネスさんは知り合いだ。いつだったか……あいつが急に最後のお別れだとかなんだか言い出したんじゃ。そしてその次の日から、あいつの行方は分からなくなった。死んだのか、はたまた何処か遠い場所へ行ったのか……わしには何も言うてくれんかったからな」
糸目のまま表情を変えずにそう言った詩色に、サフィナは眉を下げて少し頭を下げた。
ホーネスが生きていて、彼の居場所を知っているかもしれないと思い聞いたが、思ってたのと違った返答が来て、サフィナは申し訳なく感じながら謝った。
「そ、そうでしたか……すみません、なんか……」
「ん? そんな気にしなくて良いぞ。別れと言うのは、いつだって突然来るものだ。わしは伊達に長生きしとらん、もう慣れておる」
詩色は謝るサフィナに対して、本当に気にしなくて良いという声音で答えた。
そんな中、ブレイクは本を持っている階直に質問する。そして階直は本の埃を軽く払い、表紙に書かれた文字を読む。
「本の表紙にはなんて書いてあるんですか?」
「えーっと……わかんない。これ何語?」
階直は頭にハテナを浮かべた。
そしてそんな階直の様子を見て、周りも本の表紙に記載されている題名を見るが、なんて書いてあるのかが分からない。そもそもこれが何語なのかも分からないのだ。
詩色は顎に手を当てながら口をへの字にした。
「……わしにもわからん、何語じゃこれ」
「とりあえず中身を見てみたらええんとちゃう? もしかしたら中身は読めるかもしれんし」
白金にそう促され、階直は本を開く。そして階直を中心に全員が周りに集まり、本の内容を確認しようとする。
しかし、本に書かれていた文字は全く知らない文字だった。日本語でも英語でもない。少なくとも、ここに居る全員が読めないと分かる。
「……いや、全く読めん!」
「長く生きておるが、本当に何語か分からんな」
白金が声を上げ、詩色もずっと顎に手を当てたまま「うーむ……」と唸っている。
ブレイクやサフィナ、ノーザイや関も分からない。ただひとつ言える事は、何語かも分からないし全く読めないが、なんとなく良い感じはしない。むしろ不安を感じたり、精神的に参ってしまいそうな、そんな嫌な感じが少しだけする。
それは全員が感じているようで、全体の雰囲気が少し重くなる。
そして階直の持つその本から、何か一枚の紙が落ちていく。それをサフィナが視界に捉えた。そして、腰を屈めてその紙を取り、軽く見てみる。そこには、サフィナのよく知る日本語で何かが書かれていた。
「あ、紙が落ちましたよ。あれ、何か書いてある…………皆さん、これ読めますよ。日本語で書いてあります」
そう言ったサフィナに、全員が階直が持っている本から、サフィナの持つ紙に視線を向けた。そしてそれをノーザイが言葉にして読む。
「えーっと……『人間の往来は不可。往来するには条件が必要。それは、人間をやめるか、主の手を借りるかだ。一時的に変化させる薬もあるため、それを飲むのもひとつの手である。しかし副作用があるため注意。その薬の作り方は別紙を参照。』だって」
ノーザイがそう読み上げた言葉を聞いて、白金はうんうんと首を縦に振りながら述べた。
「なるほどなぁ……全く分からん! なんの事を言っとるのかさっぱりや!」
ニコニコしながら「分からん! いや~分からんなぁ!」と言っている白金の横で、階直もいつもより更にジト目で眉間に皺を寄せていた。
「人間の往来? 主の手? 薬に副作用……? うん、意味が分からないね。なにこれ」
サフィナが持っていたその紙をノーザイは渡して貰い、階直たちに見せながら話す。ノーザイには何か考えがあるようだ。
「……これ、俺らが持って帰ってもいいかな?」
「いいけど……なんで? これが何を意味してるのか分かった?」
階直はノーザイたちが持って帰ることに関して、特に問題ないと思っている。気になるのは内容の方だけだ。もし分かったのなら教えて欲しいのだ。
しかし階直の疑問に、ノーザイは首を横に降りながらも、とある人物の名前を口に出して話し始めた。
「いや全然分からん。……分からんけど、こういうのは大抵棚部さんか広岡さんに見せれば分かると思う。……たぶん」
「あぁ、確かに。あの二人なら、理解できる可能性はあるか……」
ノーザイの提案にブレイクは少し感心した。棚部と広岡は、自分達より何かと色々詳しい。とりあえず困ったら二人に聞いてみる。というひとつの手が、実はブレイク達の中であったりする。棚部と広岡たち本人がそれを知っているかは分からないが。
そんな事をブレイクが考えていると、ノーザイが二人に渡すために持っていたその紙が、なんの前触れもなく燃えた。それもかなりの火力だ。あまりにも突然の事で、誰もが一瞬動けず固まった。
「へ、あっっっつ!? え! なに!?」
「ギュォア!?」
そして事態に気付いたノーザイの大きな声と共に、ノーザイの頭の上に移動していたクロも大きな鳴き声を上げた。
その声に周りもハッとした。そしてサフィナが一番最初に声を出した。
「ノーザイさん! 水! 水使ってください!」
ノーザイの手ごと燃えた紙に、サフィナが彼の名前を呼びつつ、彼に能力を使えと言う。
ノーザイはすぐに燃えてない方の手で、家を水浸しにしない程度の水を燃えている方の手へ当てる。そしてその火はすぐに消えた。
それはノーザイに水を当てられたから消えたというより、燃やすべき物を燃やせたので消えたようにも見えた。
ノーザイの手にあった紙は、塵も残らず燃えて無くなった。そんな突然の事で、全員が言葉を失っていた。少しの沈黙の後、階直がポツリと呟く。
「燃えた……?」
「待って、弁明させて。俺じゃない」
ノーザイは燃えなかった方の手のひらを階直たちに向けて、とても真剣な表情で弁明をしようとする。
しかしノーザイが弁明する前に、階直が言葉を述べた。
「見たら分かるよ。キミが燃やした犯人なら、あんなにガチで驚いたりしないでしょ」
階直の言葉に続いて、白金も口を開く。
「そもそもノーザイくんは炎とか使えんやん」
「そうだよ、俺は水と氷が専門だから!」
手をヒラヒラさせながら、ノーザイは空中に水の塊や氷を少しだけ出して見せる。
ヒラヒラと手を振った事で、燃えたノーザイの左手が赤くなっているのがよく見えた。サフィナはそれに気付いて、ノーザイへ案じる言葉を掛ける。
「ノーザイさん、左手大丈夫ですか?」
「あー……軽い火傷はしたけどそこまで酷い感じでもないし、とりあえず氷で冷やしとく。館に帰ったら、百奈にちゃんと診てもらうよ」
ノーザイはそう言って、左手の火傷を負った部分に、自分で作り出した氷を当てた。そしてノーザイの頭の上にいるクロは、何故かプルプルと震えて踞っていた。それは、ナイアーが近くにいる時の行動に似ていた。
そんなノーザイとクロを見ながら、ブレイクは怪訝な顔をしながら呟いた。
「……でも、なんで急に燃えたんだ?」
「何者かが介入したのは確かだろうな。しかし、その介入者が誰なのか分からん事にはなんとも言えん……」
ブレイクの呟きを拾った詩色はそう言いながら、首を少しだけ上に向けて、糸目のまま屋根のある天井を凝視した。




