第五十五話 後日談
庭の小さな噴水から少し離れた館の隅。
そこからサフィナと百花のやり取りをこっそりと聞き、彼女たちの様子を静かに眺めている男がいた。
「さすがに行かないか~」
ノーザイはいつもより小さめの声で、噴水の方を眺めていた一人の男に声を掛ける。
背後からノーザイに声を掛けられた男──ブレイクは彼の方を向いた。そして心外だと言っている様な顔で、腕を組みながら彼に返事をした。
「行くわけないだろ、そこまでシスコンを拗らせてない」
「シスコンの自覚はあるんだ……」
ノーザイはそう言いながらブレイクの横に行き、遠目で噴水の方をチラッと見る。二人の少女は変わらず寄り添い合っていた。その姿を見て、ノーザイは少しだけ目を閉じてから、ブレイクへと視線を戻した。そしてノーザイは、ブレイクにとある疑問を投げる。
「そういえば、あの二人って同い年だっけ?」
「あぁ、どっちもまだ十六歳だ。まだ、子供なんだ。あんな重荷を背負わせていい子達じゃない。俺たちが早く解決しないといけない問題なんだ……」
ブレイクは眉間に皺を寄せ、噴水の方を見ながらそう言った。眉間に皺を寄せているが、その瞳からは慈愛も感じられた。
そんなブレイクを見ながら、ノーザイはいつもより少し元気のない声で返事をした。
「……うん、そうだね」
ノーザイは複雑だった。サフィナが人間に戻って欲しいと、記憶を無くして欲しくないと、どちらも本当にそう願っている。だが、サフィナの問題が解決すると、きっとブレイク達はこの世界からいなくなるのだろう。そんな気がする。
そう、怖いのだ。ブレイクやサフィナたち、今この館に住むみんながいなくなって、せっかく賑やかになった『デルテの館』がまた静かになるのが。また、一人でこの館に行かないといけなくなる。それが、ノーザイにとって不安なのだ。今の楽しい時間をもっと永く過ごしたい。だがそれは、サフィナの問題を遅らせているだけになる。何かいい案はないのだろうかと、日々そう考えているが、ノーザイは未だに良い案を見出だせていない。
俯いたノーザイは、抱えていたクロを少しだけ強く抱き締めた。クロは嫌がることはなく、むしろノーザイに「自分がいる」と言わんばかりにノーザイの顔をペロペロと舐めた。
「うん……ありがとう、クロ」
ノーザイはクロに笑いかけ、顔を上げる。すると、腕を組んだままのブレイクと視線が合った。
少し憂いを帯びた表情のノーザイを見て、ブレイクが館の壁に背中を預けたまま話をしていく。
「お前が何をどう思うかは勝手だ。だが、俺も……お前やここで出会った人達と、一生のお別れをしたいとは思ってない。サフィナの件も、お前やこの世界のことも、できる限り最善の道をみんなで選んでいきたい。俺はそう思ってる」
ブレイクはまっすぐな瞳でノーザイを見ながら、しっかりとした声でそう言った。
ノーザイは嬉しかった。ブレイクはちゃんと考えている。サフィナが一番なのは当たり前だが、自分や他の仲間の事も、ちゃんと思ってくれている。同じように一緒に居たいと思っていた。そして、一番いい結果を出せないかと、みんなで模索しようとしてくれている。悩んでいたのは自分だけではない。それが知れただけで、ノーザイは心が少し軽くなる。
不安げな表情だったノーザイは一度目を閉じた後、いつもの表情に戻り、笑みを浮かべながらブレイクの言葉に返事をした。
「……うん、分かってる。ちょっと不安になっただけ。俺は一人じゃない、そうだよね?」
いつもの調子に戻ったノーザイに、ブレイクは方眉を下げながら軽く笑ってこう言った。
「ちゃんと分かってるようで何よりだ」
「キュッキュッ」
ブレイクの発言の後に、うんうんと頷く様にクロが鳴いた。そんなクロを見て、ブレイクとノーザイの二人は少し微笑んだ。
******
噴水にいる二人を見守っていたのは、ブレイクたちだけではない。
館の二階。その窓から、噴水を見つめる影が三つあった。
「……百花、サフィナちゃん……」
「心配か?」
二人の名前を呟いた百奈に、棚部が優しく声を掛ける。
百奈は棚部の方を向いて、困り眉で微笑みながら答える。
「そうですね……少しだけ心配です。でも、百花もサフィナちゃんも弱くない。きっと大丈夫だって信じてます」
そう言った百奈は少し間を置いてから胸に手を当て、窓から空を見ながらポツリと言葉を溢す。
「……本当は私も、何かお役に立ちたいんですけどね……難しいです……」
百奈は胸に当てた手をギュッと握りしめて、悔しそうな声を出す。
自分の足では足手まといになる。義足に慣れてきてはいるが、この足で走ったり強い衝撃を与えたら、きっと使い物にならなくなる。だから、みんなと一緒に現場へ赴く事も、戦うこともできない。できるのは手当てぐらいで、みんなが無事に帰ってくる事を願って待つことしかできない。そんな自分に歯痒さを感じる。
もっと役に立ちたいと……昔からずっと思っている。ずっと周りに助けて貰ってばかりで、何も返せていない。
そんな事を考えながら俯いた百奈に、隣にいた広岡が彼女の頭を優しく撫でる。
「僕たちには帰る場所があって、僕たちの帰りを待ってくれている人がいる。それは心の支えであり、絶対に帰らなければいけない……という心理を生む。それは、とても重要な役割なんだよね。それに、キミは自分の医療技術にもっと自信を持っていい。キミのお陰で助かった相手がいるんだからさ」
相変わらずニヒルな笑みを浮かべてそう言った広岡に、百奈は少し顔を赤くしながらも謙遜する。
「あれは、私よりもサントスさんのお陰で……」
「はいはい、それを彼の前で言ってあげればいい。キミが助手としてとても優秀で、キミがいなければもっと大変で危なかった……ってサントスさんは言うよ。ていうかそう言ってたよ」
俯いた百奈の頭を手で優しくポンポンと軽く叩きながら、広岡は表情を変えずにそう伝える。
広岡のその言葉を聞いた百奈は、キョトンとした顔を広岡に向けて聞く。
「……そう、なんですか……?」
「ほぼ無意識に呟いた感じだったがな。つまり、本心からそう思ったってことだ」
百奈の疑問に答えたのは広岡ではなく棚部だ。その棚部の回答に、広岡もうんうんと軽く頷く。
それは昨日、百奈たちが起きてくるよりも前、早朝の事だった。棚部、広岡、コーネダリス、マトロポス、サントスの五人で集まって話している時だ、サントスがそう言葉を溢していたのを、棚部も広岡もちゃんと聞いていた。百奈本人は知らないが、その時の事を二人は言っている。
二人の言葉を聞いて、少しだけホッとした表情になった百奈に対し、広岡は人差し指を立てながら彼女へ話す。
「僕らも手当てとかは一応できるけど、キミに比べたら全然だからね。また時間がある時に、僕たち全員に正しい処置の仕方を教えてくれるかい? キミは何かを教えるのが上手いからさ」
「……はいっ、分かりました」
広岡のその言葉に、百奈は恥ずかしそうにしながらも、微笑んでしっかりと返事をした。
そして、少し視線を逸らした後、棚部と広岡に向けて軽く会釈をしながらお礼を言う。
「あの……えっと、励ましてくれてありがとうございます」
困り眉のまま微笑んでそう言った百奈に、棚部は彼女から視線をゆっくりと外して、窓から見える外を見ながら一言呟く。
「事実を言っただけだ」
「そうそう、そんな気にしなくていいよ。僕は思ってもない事は言わない主義だから」
棚部の言葉に続いて、広岡も百奈にニヤケ面で伝える。
しかし、広岡の言葉に棚部がすぐに反応する。
「嘘つけ」
広岡の方を見ること無く即答した棚部に対して、広岡は困ったような笑みを浮かべながら言った。
「ちょっと、否定が早いよ」
「ふふっ」
いつもと変わらぬ二人のやり取りに、百奈は少し元気になる。
そんな中、リビングからガシャン! という音と共に三人の声が響く。
「ちょお! 危な!」
「あ、悪い。手が滑った」
「二人とも何してるんですか」
声の主は白金、高峰、徳札だった。三人は今、壊されたリビングの修復をしている最中だ。
窓際で集まっている三人、棚部と広岡、そして百奈は、ちょうどその修復作業の休憩をしていた所だった。
棚部と広岡は横目で互いに視線を合わせた。そして棚部が「行くか……」と呟き、広岡も「そうだね」と返しだ。そして、広岡が百奈に顔を向けながら「行こうか」と手招いた。
すぐ後ろにあるリビングの扉へ向かう二人の背を追って、百奈も歩き出す。百奈は修復場所を遠目から見て、修復が完璧かどうか見る役目があった。今はその役割を果たすのが先だ。百奈は意気込んで、少しずれた赤い眼鏡の位置を直した。




