第五十二話 これから
マリアから素材を貰ったブレイクは徳札たち三人と合流して、すぐに『デルテの館』へと向かう。その間、徳札はコーネダリスから貰った連絡用のボタンで、素材が手に入った事を報告した。
それを通して、コーネダリスは探索へ出掛けた全員に集合するよう伝えた。
館へ着くと、ブレイクはすぐにコーネダリスやサントスへと素材を渡し、サントスはコーネダリスの魔法陣の中へ入って何処かへ言ってしまった。
コーネダリスに聞けば、サントスは自分の調合部屋へと行ったらしい。コーネダリスが「そんなに時間は掛からないヨ」と言った通り、他のメンバーが館へ戻ってくるよりも先に、魔法陣から調合した薬を持ったサントスが館へ戻ってきた。
サントスがサフィナと兄であるブレイクに薬の説明をしている間に、他の探索メンバーがぞろぞろと館へ帰ってきた。
そしてまた、サフィナの部屋がぎゅうぎゅう詰めになった所で、サントスは調合した薬をサフィナへ渡す。
「不味いかもしれませんが、それは我慢してくださいね」
サフィナは薬と水を飲むと、何度か咳き込む。ブレイクはすぐにサフィナの背中を擦りながら彼女を案じる。
「ッゲホ! ゲホッ!」
「っ! 大丈夫か?」
「だ、大丈夫だよ。粉の薬飲むの久し振りだったから、ちょっと噎せただけ」
サフィナは少し涙を浮かべるが、笑顔のままブレイクに顔を向けて言った。
サフィナは確かに昔から粉の薬が苦手だ。だからサフィナの言った事は嘘には思えず、本当にただ噎せただけなのだろうと分かる。ブレイクは少しホッとするが、まだ懸念が消えた訳ではない。
「……とりあえず、今は経過観察するしかないネ。明日も私たちが様子を見に来るのサ」
「あぁ、頼む」
コーネダリスはサフィナから棚部へと視線を変えてそう言い、棚部もそれに返事をした。
今すぐに効果が出るわけではないし、もし何かあったらブレイクたちで完璧に対応できるとは思えない。コーネダリスたちが診に来てくれるのはとてもありがたい、ブレイクはそう思った。
「一応説明はしましたが、念のため薬についての詳細が書かれた説明書を置いときますね」
「あぁ、ありがとうございます」
サントスはそう言って机の上に説明書を置き、ブレイクは軽く会釈をしてお礼を言った。
とりあえずは大丈夫らしいが、やはりブレイクの不安は拭えない。コーネダリスやサントスを信頼していない訳ではないが、実際に目で見て確かめない事にはなんとも言えない。それに、完治する薬ではなく進行を遅らせる薬である。つまり、これから完全に記憶が失くなることはない……なんて事にはならない。
ゆっくりと進行は進む。完全に記憶が失くなる前に、どうにかしなくてはいけない問題なのだが、ブレイクには何も案がない。一階の図書室で調べてみようとは思っているが、おそらく有力な情報は出てこないだろう。
ブレイクの脳内が不安でいっぱいになってきた頃、ブレイクはふとサフィナを見る。笑ってはいるが、サフィナの表情はどこか暗い。
サフィナ本人が今一番ツライというのに、ブレイクは自分の中でサフィナを心配するばかりだった。自分の配慮の無さ加減に自分自身を殴りたくなるが、その衝動は抑えて、ブレイクはサフィナの名前を呼ぶ。
「サフィナ、大丈夫か?」
そして兄のブレイクに名前を呼ばれた事で、サフィナは本音を口から出した。
「……もしも、これから……両親だけじゃなく、皆さんや……お兄ちゃんの事まで忘れてしまったら……って思うと、怖い……私は、もう何も忘れたくない……」
俯き震えた声でサフィナはそう言ったサフィナは、自分に掛けられている布団をギュッと強く握り締めていた。
サフィナは今日、ずっと考えていた。もし、本当にみんなの事やお兄ちゃんの事を忘れたら、私には何が残るのだろう。何も記憶を持たない私は、何を思うのだろう。どうして私はこんなにも、みんなに迷惑を掛けてしまうのだろう。
そもそも私がいなければ、みんなはこの世界に来ることなどなく、変わらぬ日常を過ごしていたはずなのだ。そんな申し訳なさと、心のどこかで今の生活をみんなと続けたいという、自分勝手な考えが浮かんだ。
自分の浅ましさに、布団を握る力が強くなる。サフィナは顔を上げられない。
そんな重苦しい空気の中、広岡がいつもと変わらぬ声で、顎に手を当てながらとある提案をする。
「うーん……今覚えてる事だけでもいいからさ、日記を書いときなよ。次の日にもし忘れてても、日記を見ればいい。それで完全に思い出すとまではいかなくても、理解はできるだろうし……」
「日記……ですか?」
広岡の日記という言葉にサフィナは顔を上げ、目をパチパチさせて復唱した。
そしてコーネダリスは広岡の提案に乗り、サフィナの方を向いて優しく話し掛けた。
「あぁ、それはアリだヨ。やってみるだけやってみた方がいいかもネ。意外といい効果があるかもしれないのサ」
コーネダリスに笑顔でそう言われたサフィナは、少し考える。
確かに、日記を書いていれば、もし記憶が失くなっても確認はできる。私にはブレイクという兄がいて、自分が今までどんな生活をしてきて、ここに居るみんなの事をどう思いどう接してきたのか。今はまだ覚えていられる事を、今の内に全部記せば、思い出として残らなくても記録として残る。
そこまで考えたサフィナは、ポツリポツリと気になった事を呟く。
「日記って……なんでも、いいんですよね? 覚えている昔の事でも、今日の事でも、お兄ちゃんや皆さんの事でも……」
「ああ、なんでもいい。日記は日々を記すものだ。どんな内容であっても、誰も文句なんて言わん。過去の事でも、現在の事でも……残しておきたい、覚えておきたい、忘れたくない。そう思った場面をメインにしつつ、何気ない平坦な日常を書いてもいい。お前の好きなように書けばいい」
サフィナの呟きに、棚部はいつもより少し柔らかい声でサフィナにそう伝えた。
日記を書くことで、誰かに迷惑を掛けることはない。今の自分のために、そして未来の自分のために、日記を書くのは悪くない。それにサフィナは、みんなとの日々を大切にしたい、元の世界での事もこの世界での事も忘れたくない。そんな強い気持ちがサフィナにはある。
サフィナは少し微笑んで、日記を書くことを決めた。
「好きなように……そう、ですね。日記、書いてみようと思います。今までの事、それに皆さんの事も。沢山、いっぱい、日記で本棚が埋まるぐらい書きますよ」
周りにいるみんなを見ながら、サフィナは明るい笑顔でそう言った。
そんなサフィナに、ノーザイや白金が自分の事は沢山書いて良いと言ったり、百奈や百花は写真も撮ってみたらどうかと聞いたり、周りが色々と注文や提案を始めた。
サフィナは最初あわあわとして困った様子だったが、段々と笑顔になっていき、みんなと楽しそうに話し始めた。
そんな様子を扉近くで眺めていたブレイクに、棚部は小さな声で話し掛ける。
「今は大丈夫そうだが、何かあればすぐに俺や広岡に伝えてくれ。もし俺らが近くにいなくて難しいなら、コーネダリスさんでもいい。今回はすまなかったな」
「そんな……気にしないでください。それに、今回は誰が悪いとか思ってません。強いて言うなら、実行したエンセと情報を流した鳴等途に、少し思うところがあるぐらいです」
ブレイクは少し俯いてそう言うが、すぐに顔を上げて困り眉のまま笑みを向けた。
棚部は彼が自分たちを心配させまいと、迷惑を掛けないようにと、無理やり笑みを浮かべているのが分かる。
きっと、やっていいのなら、ブレイクはエンセや鳴等途に復讐するのだろう。しかし、それはしない……というよりできない。なぜなら、サフィナがそれを望んでいないから。
もちろんサフィナがそう言った訳ではない。でも、兄のブレイクには分かるのだろう。そんな事をしても、サフィナに起きた現状は変わらないし、サフィナが喜ぶわけでもない。
今のブレイクはきっと複雑な心境だろう。棚部はそんなブレイクの頭を雑に、しかし優しく撫でる。
「そうか……あまり思い詰めるなよ」
突然頭を撫でられたブレイクは、少し恥ずかしそうにしながらも、小さく「はい」と答えた。少しして、サフィナに呼ばれたブレイクは棚部に一言伝え、周りのみんなに当たらないようにベッドへと向かった。
そのまま、ブレイクはサフィナやみんなと楽しそうに何か話しており、棚部は扉近くで静かにその光景を眺めた。
そんな棚部に話しかける男がいた。彼は他のみんなには聞こえないように、しかし隣にいる棚部には聞こえるような、小さく囁くような声で疑問を投げた。
「心配?」
「そうだな、心配ではある」
「それは妹さんじゃなくて、お兄さんの方が……かな?」
「分かってるくせに、いちいち聞いてくんな」
棚部の隣に居た男──広岡はいつもと変わらぬニヒルな笑みを見せていた。
広岡はサフィナの周りで楽しそうに話しているみんなから視線を外し、棚部へと視線を向けた。そして棚部の頬を、人差し指で軽くつつきながら言った。
「だってキミが不安そうな顔してたから。キミがそんなんじゃ、みんなも釣られて不安になる。一応ここではキミがトップなんだから、真っ直ぐ前を見据えて立ってなきゃね。キミがその顔を見せていいのは、みんながいない時だけだよ」
「それはその通りだが、お前に言われると癪だな」
サングラスの先にある視線を広岡から逸らした棚部は、何とも言えない表情をしていた。
広岡に指摘された事は、事実で何も間違ってはいない。だからこそ複雑なのだ。警部である自分が、犯罪者というまともじゃない奴から、至極真っ当な事を言われた。広岡のこういうところが、嫌いだが嫌ではない。棚部はそう思いながら、眉間に皺を寄せた。
そして棚部は、先程からずっと自分の頬を突いてくる広岡の人差し指を、ペシッと払いのけた。そして棚部はため息を吐きながら、ニヒルな笑みを崩さない彼の額に、軽くデコピンを喰らわした。




