第五十話 怒りの矛先
カーテンの隙間から射し込む陽射しで、ブレイクは意識を起こす。結局あの後、壁に寄り掛かりながら床に座って寝てしまったのだ。
ブレイクがベッドの方に視線を向けると、サフィナは既に起きていた。百花に握られた手はそのままに、もう片方の手で頭を押さえていた。
「っは! サフィナ……大丈夫か? 何処か痛いところとか、何か変なところとかないか?」
ブレイクの声で、サフィナはブレイクの方を見る。そして、百花や百奈も目を覚ました。
サフィナは少し憂いを帯びた目でブレイクを見ながら、少し震えた声で話し始めた。
「……お兄ちゃん。どうしよ……私、昔の頃の記憶……いくつか消えちゃったかも……お父さんとお母さんの事、何も……本当に何も覚えてない。……頭も、痛い」
「サフィナ……」
ブレイクたちはすぐにみんなを呼ぶ。そして百奈と百花は残り、コーネダリスやサントス、マトロポスなどが、サフィナが今どういう状態なのかを調べることになった。
そうしてサフィナたち以外は、リビングに集まっている。ブレイクも部屋に残ろうと思ったが、やめた。実は気になる事があり、それをサフィナの前では話したくなかった。だから、ブレイクはリビングでみんなと集まる事にした。
リビングにみんなが集まった中で、怪我人であるメセルがブレイクに深々と頭を下げた。それは謝罪だった。
「ごめんなさい。私とお姉様のせいでこんなことに。できる限りの協力はさせて欲しい。何か聞きたいことがあればなんでも聞いて頂戴。答えられそうなものは全部答えるわ」
首と肩の間には痛々しい包帯の後が少し見えるが、天使は回復速度が早いのか、メセルの体調は悪そうに見えない。実際、こうして誰かの肩を借りる事なく、自力で立って頭まで下げている。
ブレイクはチラリとキャルソンを見る。キャルソンは腕を組んでおり、ブレイクと視線がかち合った。キャルソンは視線を逸らさない。だから、ブレイクの方が視線を逸らし、目の前で申し訳なさそうにしているメセルに一番聞きたいことを質問する。
「……貴方のお姉さんはサフィナに何をしたんだ?」
ブレイクの質問にメセルは目を伏せながらも、しっかりと答えていく。
「完全には分からないから憶測になるけれど、おそらく中身を抜き取ろうとしたのだと思う。身体だけを万全な状態で獲て、中身を別の人物に変えたかったのだと思う……たぶん。お姉様が何をしたかったのか、私には分からない。けれど……あれを使ったという事は、そういう事だと思うわ」
メセルの答えに、キャルソンやテミス以外の全員の雰囲気が変わる。突然変わる雰囲気に、キャルソンたちは目をパチクリさせてブレイクたちを見る。
みんな思うことは一緒なのだろう。そんな中、棚部がポツリと呟く。それは静かなリビングでは、誰の耳にも入った。
「……前にも似たようなの聞いたな」
「コーネダリスさんが言ってた、サフィナちゃんは誰かの器にされようとしてる……ってやつだね。今回の件もそれに近いと思うよ。まぁ近いってだけで、サフィナちゃんの人外化とか呪いに直接関係はないだろうけどね」
棚部の呟きから、広岡が補足を入れる。
ブレイクは俯いて拳を強く握る。それは自戒の念を込めているようにも見えた。
そんな中、キャルソンがとある言葉を口にする。
「つーかさ……中身というより脳みそなんだよな」
突然発せられた脳みそという単語に、ブレイクは「は?」と一言だけ溢し、目を見開いてキャルソンを見た。
「……脳みそ?」
ノーザイはそう言って頭に疑問符を浮かべた。
ブレイクもノーザイと同じ様に、意味が分からない。脳みそをどうにかするなど、SFのような事があるのだろうかと疑いそうになった。しかしこの世界では、自分達の考えるありえないは通用しない。
キャルソンは右目の視線を斜め上へ向けながら、顎に手を当てて説明をした。
「中身を抜き取るというより、保管した脳みそを入れ換えるってやつだな。でもエンセはそれが完全にできるわけじゃない。アレは脳みそを保管できる技術から発想を得て作った紛い物だし、サフィナちゃんも避けてたからしっかり刺さった訳じゃない、だから記憶が少し消えただけで済んだと考えるのが妥当か……?」
ブレイクは彼の言っている事がよく分からない。……分からないというより、脳みそを入れ換えるだとか、保管する技術だとか、実感が湧かないのだ。
しかし広岡は、今の説明で大方を把握したようで、視線をキャルソンに向けて質問を投げる。
「誰の脳みそと入れ換えるつもりだったのか分かる?」
「……セリーナ・ゴレグリって名前の天使らしい」
キャルソンが出した名前に、メセル以外は頭にハテナを浮かべる。そしてノーザイがそのまま疑問を口に出す。
「え、誰?」
「セリーナさんはお姉様の親友よ。ただ、私が聞いた話だと既に亡くなっているはず……なのだけど……なんで貴方が知っているのかしら?」
セリーナという人物についてメセルが説明をするが、そのままキャルソンに少し疑いの目を向けた。
ブレイクは、メセルがキャルソンに疑いの目を向けるのも分かる。キャルソンは先程から、今回の件全てとは言わないが、それでもある程度の情報が出揃ったような、粗方の顛末を知っているような話しをする。
ブレイクもキャルソンをじっと見つめる。しかし、キャルソンは平然とした様子でメセルの問いに答える。
「そりゃ、全部知ってたからな。あの実験場には、セリーナ・ゴレグリの生きた脳みそが保管されていた。だからあの実験場を爆発したんだよ。実験体の脱出も、研究員を付き出すために呼んだ天使たちも、爆弾を仕掛けたのも、全部計画してたものだからな」
全て計画されたもの。そう言ったキャルソンに、棚部は納得したように口を開く。
「なるほど……やけに準備や誘導が早いなとは思ってたが、全部計画してたのか……」
テミスはキャルソンを見ながら「そうだったんだ……」と驚いており、メセルも目をパチパチとさせていた。
広岡は少し思う。脳缶があの実験場にあって、その脳缶ごと爆破したという事は、セリーナは何も分からぬまま、生き埋めからの爆発で死んでいったという事だ。
おそらく “アレ” らの脳缶の技術からして、脳みそ状態でもセリーナの意識はあっただろう。たぶんエンセはそれを知っていた。だが、キャルソンはそこまで知らなそうだな、とも思った。もしキャルソンが知ってた上で今回の計画を立てたのなら、自分以上にとてもいい性格をしている。彼の性格からして、まぁ知らなかったんだろうなと結論付けた。
そんな事を思いながら、広岡はそれを言葉にしない。もしキャルソンがそれを知ったら、話が止まりそうだからだ。広岡はキャルソンにまだ聞きたいことがある。だから、彼にとある質問をした。
「ねぇキャルソンくん、それって誰から聞いた? キミ一人が運良く全部を知ってしまった……って訳じゃないでしょ? キミが見つけられる情報なら、キミ以外の誰かも見つけられる情報だ。けど、それを知ってるのはエンセ本人とキミだけ。いったい誰から情報を流してもらった?」
「……わざわざ俺から聞かなくても、お前は分かってるんじゃないか? 俺が誰から情報を貰ったのか」
広岡の問いにそう答えたキャルソンに、広岡は考える素振りをして黙り込む。
きっと広岡には心当たりがあるのだろう。そう思いながらも、ブレイクは気になったことがある。その情報についてだ。誰が流したのか、そしてどこまでの情報が流れていたのか。おそらく流された情報の中に、サフィナの情報もあったと考えていい。
ブレイクは視線を広岡からキャルソンに移して、彼に直接問い掛ける。
「待ってくれ。その情報ってどこまでの情報だ? エンセの親友に関する情報だけか? それとも、サフィナに関する情報も流されていた?」
キャルソンはしっかりとブレイクの目を見て言葉を続けた。その表情はとても真剣だった。
「俺が知らされたのはエンセに関する情報だけですよ。つまり、親友のためにサフィナちゃんを狙っている事、脳みそを入れ換えようとしていたこと。それぐらいですが、おそらくエンセの方にはまた別の情報が流されてたんでしょうね。それこそ、脳みそを入れ換えるならサフィナちゃんの肉体が一番いい……って事とか。つまり、先にエンセへサフィナちゃんの情報を流して、その後に俺にも情報を流したんだろうなって感じです。まぁ、これは俺の憶測だから間違ってるかもしれませんが……」
「……教えろ。誰が情報を流した。そいつがサフィナの情報を流さなければこんな事にはならなかったかもしれないのに!」
キャルソンにそう叫びなが詰め寄るブレイクに、キャルソンは右目を一度閉じてから、そしてしょうがないという目でブレイクを見て、そのとある人物の名前を口に出す。
「…………鳴等途」
「……鳴等途……?」
「俺とエンセに情報を提供した相手は、鳴等途っていう名前を名乗ってましたよ」
ブレイクはキャルソンが言った名前を復唱する。
それはブレイクの知らない名前だった。しかし、何となくそれが本名じゃないのは分かる。発音からして、楢戸ではない。それに、鳴等途という名前はあまり聞かない。ほぼ偽名で確定だろう。しかし名前だけでは情報が少ない。
ブレイクは一言「特徴は?」と更に疑問を投げ、キャルソンは思い出しながら答えていく。
「そうですね……眼鏡を掛けた黒髪赤目の女で、長くて厚いコートを着た、長身の綺麗な相手でしたよ」
眼鏡を掛けた黒髪赤目の女。
今ブレイクが知っている人物の中で近いのは和凪ぐらいだが、彼女はそこまで長身ではないし、何より彼女は目の中の全てが青い。つまり彼女ではない事は確実だ。しかし、それ以外に該当しそうな人物がいない。
ブレイクは歯痒い気持ちをどうにか抑え、その人物の居場所について聞く。
「そいつが今どこにいるのか分かるか?」
「さぁ、そこまでは分かりませんね。あの日以来、一切会ってないので」
キャルソンは肩を竦めながらそう言った。
それは嘘には聞こえない。鳴等途という人物は本当に情報を伝えただけなのだろう。
だから尚更ブレイクは分からない。エンセとキャルソンの二人に情報を流す事で、その鳴等途にどんなメリットがあるのか。今回の件はそいつにとって良い結果だったのか、悪い結構だったのか。
悶々と考えていたブレイクだが、ふとキャルソンの言葉を思い出し、視線を銀髪の男に向ける。
「……広岡さんは何か知ってるんですよね? 誰なんですか、どこにいるんですか、教えてください」
急にこちらを向いて話題を振ってきたブレイクに、広岡は反射で言葉を返す。
「え、知らないけど」
そう答えた広岡の胸ぐらを、ブレイクは思い切り掴む。周りは止めようとするが、ブレイクは更に掴む力を強める。
どうしてこの人は嘘をつくんだ。キャルソンとの会話で黙り込んだのは、思い当たる節があったからではないのか。知っているのなら教えてくれればいいのに、なぜ教えてくれない。知られると何かマズいのか? サフィナがあんな事になってるのに、なんでこの人はこんなに……なんとも思ってない顔をするんだ?
「……嘘を……つくんですか……? 鳴等途という女が……元凶かもしれないのに? そいつがいなければ、サフィナは、あんなことには……!」
「嘘じゃない。僕は “鳴等途” なんて人物を知らないし、会ったこともない。疑うのは勝手だけど、僕に怒りや憎しみを向けても何も変わらないよ」
ブレイクに胸ぐらを掴まれても、広岡の表情と声色は何一つ変わらない。ただ彼の声を聞く限り、嘘を言っていないのだろうと分かる。それが、広岡の本心だということも。
それでもブレイクは、この沸々とした怒りと憎しみを犯人にぶつけたかった。でも相手がいないから、可能性がある相手にぶつけようとしている。広岡に言われたように、自分が今やろうとしている事が、どれだけ意味のないことか分かっていてる。こんなのは八つ当たりだと。でも、もう止まれなかった。
「貴方は…………ッ!?」
ブレイクは俯いていた顔を上げて、広岡の顔を見ようとするが、広岡の顔まで視線が行かなかった。
なぜなら、ブレイクは広岡の首にあるチョーカー、そしてそれに着いている赤い装飾を間近で見た時、まるで凍り付いたように目を奪われたからだ。
チョーカーに付いている赤色の長細い何かは、ただの赤い装飾なのではなく、小さくて透明な長細い容器に赤い液体が入っているという事に気付いた。
そして一瞬。ほんの刹那。たった一秒にも満たない瞬間。 “何か” が見えた。それはきっと、見てはいけないものだった。その一瞬で、ブレイクには負の感情と全ての恐怖が一気に雪崩れ込んできた。
それが怖くて、ブレイクは掴んでいた胸ぐらを放し、広岡を思い切り突き飛ばした。
「っ!」
「おっと……大丈夫か?」
突然突き飛ばされた広岡はバランスを崩すが、後ろにいた棚部が片手で雑に受け止める。
広岡は棚部に軽くお礼を言いつつ、そのまま体勢を整えてブレイクの方をどうしたのかと見つめる。
ブレイクの周りには、急に様子がおかしくなったブレイクを心配して背中を擦る高峰と、顔を覗いて様子を伺っているノーザイがいた。
「……はっ……はっ……今のは、いったい……何、が…………?」
冷や汗を流して浅い呼吸をし、何かを見てしまったと思われるブレイクの姿に、広岡はなんとなく事態を察する。
運の悪い子だ……。広岡はそう思いながらも、少し落ち着いてきたブレイクにしっかりと目線を合わせて話し掛ける。
「……ねぇ、ブレイクくん。とりあえずさ、サフィナちゃんの所に行かない? そろそろ診断も終わってる頃だと思うし、今できることなんて限られてる。ブレイクくんがその女に復讐したいのは分かるけど、今するべきは妹の心配でしょ。キミはもう少し冷静になって妹の事を考えるべきじゃないかい? ブレイクくんはさ、いざという時に限って優先順位の判断が下手なんだよね。いつだって冷静でいないと、いつか本当に大切なものを失うことになる」
ブレイクに詰め寄るかのように捲し立てる広岡に、後ろにいた棚部がため息を吐きながら彼の頭を軽く叩く。
「はぁ……」
「いて」
ポカッという軽い擬音が聞こえ、広岡は全く痛くなさそうな声を出した。
ブレイクは俯いたまま、どう答えるべきか悩んでいた。サフィナに早く会いに行きたい気持ちと、情報を流した奴を野放しにしたくない気持ち、その二つがある。しかし広岡の言うように、今優先するべきなのは前者であると分かっている。分かってはいるのだ。
「……俺は」
ブレイクがポツリとそう口から溢した瞬間、リビングの扉がバンッと突然開かれ、とある人物が大きな声で入ってきた。
「どうもこんにちは! サフィナちゃんが大変って聞いたので来ました……よ……ってあれ? …………もしかして私、すごくタイミング悪かった……ですか?」
「どうしましたか、和凪さん…………なるほど、すみません。ノックはしたんですが反応がなかったので、心配で突撃したんですけど……間が悪かったようですね」
リビングに入ってきたのは和凪とジュジュだった。先程までの重たい空気を察して、和凪はちょっと泣きそうになっているし、ジュジュはとても申し訳なさそうにしている。
そしてずっとリビングにいたキュクローたちも、ノーザイの頭に抱き付いているクロと広岡の頭で寝ている光以外は、数匹で集まり重たい空気から少し離れた所に居た。
ノーザイは和凪とジュジュの二人に、いつもと変わらない雰囲気で話し掛けた。
「和凪さんにジュジュさんじゃん。急に来た事に関しては、別にそんな気にしなくていいよ。それより、ちょうどサフィナの部屋に行こうって話になったんだけど、二人もくる? ちょっと部屋狭くなっちゃうけど、別にいいよね……え、いいよね?」
ノーザイは自分で言った言葉に不安を覚えたのか、ブレイクの方を不安そうにしながらチラチラと何度も見て問い掛ける。
そんなノーザイにブレイクは少し笑って、普段の表情と声で答えた。
「……駄目なわけないだろ。心配して来てくれた相手の気持ちを無下にするつもりはない」
先程より少し柔らかくなった雰囲気に、和凪とジュジュは顔を見合わせてホッとした。
落ち着いたブレイクは、広岡にさっきの事を謝る。広岡は「気にしないでいいよ」と返し、ブレイクの頭を軽く撫でた。
そして大人数でぞろぞろと、サフィナの部屋へがある三階へと向かう。




