第五話 隠し事
全員が諸室から出ていき、棚部と広岡、そしてナイアーの三人が残された。
広岡は座っている棚部の肩に片腕を置いて話した。
「なぁ本貴さん。さっきの言い方だと、まるで僕なら危険な目に合ってもいい……って聞こえたんだけど? 本貴さんは酷いなぁ、あんなに助け合った仲じゃないか」
棚部が徳札たちに言った、亡くしたくない、巻き込みたくない。その発言に対しての文句を広岡は言っているようだ。
しくしく……。と、あからさまな嘘泣き仕草をしている広岡を無視して、棚部は懐からリトルシガーとライターを取り出して火をつけた。そして一服した後、棚部は変わらぬ声で答えた。
「お前は大丈夫だ、なにも問題ない。お前はそう簡単には死なないだろ。それに、最悪亡くなっても世間は困らない、寧ろ大助かりだ」
「へー……それは、あの子たちの前でも言えるのかい?」
胡散臭い笑みをして言った広岡の言葉に、一瞬棚部の喉が詰まった。
脳裏に過ったのは桜音姉妹の顔だ。棚部は大きなため息をついた。
「言えないな。だが、お前のせいで被害を受けた人たちと、お前のお陰で救われた人たち。天秤に掛けたらどっちが傾くか、お前ならわかるだろ」
「わかるよ。でも、僕は誰かの為に死ぬつもりはない。僕はいつだって、僕のために生きて行動したいんだ。まぁ……それはそれとして、僕には帰る選択肢が用意されてないし、面白そうだからここに残るけどね 」
何かを企んでる様な悪い顔で言う広岡に、棚部はリトルシガーの煙を吹き掛けてやろうとしたが、華麗に躱された。
煙を避けた広岡は棚部の持っていたリトルシガーを奪い、フットの面を彼に突き付け、ニヒルな笑みを浮かべてこう言った。
「それに本貴さん、キミも人外化してるでしょ? たぶんだけど、キミも現世に戻った時に過呼吸になったのかな? そして、現世に戻って過呼吸になった上で心臓も止まったのがサフィナ……ってことで合ってる?」
「はぁ……。やっぱ気付いてたか。それで合ってる。相変わらず目敏いヤツだ」
ブレイクたちにした、一度元の世界に帰った時の説明。あの時の言い方ではあれば、棚部本人も人外化しているとは思わないだろう。そう思っていたが、広岡には完全にバレていたようだ。
「いやー、パッと見ただけじゃ全然わからないよ。今まで培ってきた、経験の賜物かな。キミが纏う雰囲気の微かな違いと、あとは……頭を掻いてた時のちょっとした違和感。今はオールバックだから分かりづらいけど、サフィナとはまた違う感じのツノでも生え始めてるのかな? あと最後に首。かなり近付いて見ないと分からないけど、鱗みたいなのがあるよね? それが過呼吸の原因かなぁ?」
挑発的な言い方をする広岡の言葉を聞いて、棚部は疑問に思った。広岡はいつ俺の首を見たんだ。そして、棚部はふと思い出す。
そういえば広岡は最初、棚部の肩に片腕を置いて話していた。おそらくその時に首を見られたのだろう。相変わらず油断のならない奴だ。
棚部は油断している広岡からリトルシガーを奪い返す。広岡は「おっと」と言いつつ、特に抵抗もせずリトルシガーを放した。棚部は奪い返したリトルシガーで一服した後、広岡に挑発的な笑みを浮かべて言った。
それに対し、余裕そうな顔をしていた広岡の眉毛が僅かに動いた。
「その事について、お前にひとつ頼みたいことがある。これは “一生のお願い” だ」
「えー……ずるいなぁ。 せっかく温存してたのに、それをここで使うの? 僕に拒否権ないじゃん」
「別にずるくないだろ。そもそも “コレ” を先に言い出したのはお前だ。恨むなら、あの時の自分を恨むんだな」
「マジかぁ……。わざわざそれを使うってことは、絶対ろくな事じゃない……」
片手で頭を掻きながら顔をしかめる広岡を無視し、棚部は気にせずまた一服する。
そんな中、何かを思い出したようにナイアーは広岡に話し掛ける。
「あ、そうだ。雅埜くんにも伝えとくよ。彼を人外から人間に戻す解決策はまだないけど、本貴くんの過呼吸は治せるよ。つまり、現世に戻っても人間に扮して生活ができるってこと。でも彼は、サフィナくんを置いて自分だけ戻る訳にはいかないって聞かなくてね。彼は本当に偶然サフィナくんの近くにいたから、こうして巻き込まれただけなのにさ。律儀だねー」
ナイアーからの情報を聞いた広岡は、まぁ本貴さんならそうするだろうな……という感想が頭の中で出てきたが、それよりひとつ気になった事を呟く。
「つまり、黒幕の目的はサフィナだけってことか。……あれだね、本貴さんって不運体質だよね。一年半前にも大怪我してたし」
「あれはお前が手を滑らせて、こっちに爆弾が飛んできたせいだろ。咄嗟に避けてなかったら人生終わってたわ」
「キミは反射神経が高いから大丈夫だよ。それに、僕はこう見えて医療には詳しいからね。何かあったら、僕が応急処置するさ」
「それでどうにかなるなら、こんなに困ってないんだがなぁ……」
棚部と広岡が止まらない雑談を続けていく。
そんな二人のやり取りを眺めていたナイアーは、指先の爪で机をトントンと音を鳴らし、二人の視線を自分に向けさせた。
「仲良くしてるところ悪いけど、今日の記録は書かなくていいのかな? もうすぐ今日が終わるよ、本貴くん」
「記録?」
広岡はなんのことだか分からないが、棚部はナイアーに言われて思い出したように、近くに置いてあった鞄から一冊のノートを取り出した。
「あぁ、もし俺たちが人外から人間に戻る方法を見つけて現世に戻ったとして、また別の人間がここに連行されるかもしれない。そんな時、前例があったという事実と、手助けとなるメッセージがあったら助かるだろ。……俺たちもそれに何度も助けられた」
「つまり、記録ってか日記みたいなものだね。次がないのが一番だとは思うけど、神様は気まぐれだからねぇ……」
諸室でのやり取りと同じように、広岡はナイアーをジト目で見つめた。
そしてナイアーも同じように、肩を竦めてやれやれといった様子で話す。
「おや、こっちを見られても困るなぁ。私はいつだって、人間に可能性を抱いてるだけだというのに。キミたちには是非頑張って欲しいよ。しかし今回の件は珍しいことに、私も詳しく知らないんだよね。ひとつ言えることがあるとすれば、ここは過去を模した未来……ってことぐらいかな」
薄ら笑いから表情を変えないま言ったナイアーの最後の言葉に、広岡は顔をしかめる。その表情は少し焦っている様にも見えた。
「未来ねぇ……ちょっと待て、あの車を見た時の嫌な予想が当たりそうで嫌だ。つまり僕たちは世界が違えども、現在から未来へ移動したことになる。それだと猟犬ちゃんに狙われるんじゃないの? 今はまだ大丈夫でも、いずれ殺される未来が見えてきましたよ」
冷や汗を少し滴して乾いた笑いを溢す広岡に、ナイアーが先程とは違う声音でポツリと呟いた。広岡はそれを聞き逃さなかった。
「ティンダロスの猟犬はたぶん来ないよ」
いつも余裕な表情を崩さない広岡にしては珍しく、素で驚いている様子だ。しかし、すぐに納得したような表情に戻る。
「…………マジ? ……あ、でも本貴さんたちはここに来て既に一年経ってるのか。それなのにまだ生きてるってことは、本当に彼らは干渉してこない可能性がある……のか……?」
「私も不可解に思ってちょっと調べたんだけど、私のいとこが関わってる感じがするんだよね。あいつが関わってて、尚且つ『カコデモニア』を贔屓してるなら、ありえる話ではある」
「キミのいとこ……つまりマイノグーラの事かな? ふーん、それが出てくるのか。……これってさ、キミが原因の一端を担ってる可能性が高くない? この『カコデモニア』に人間しかいませーんとかなら、キミが関わってなくてもまだ分かるよ。でも人外ばっかりなんだよね。それにこの世界の謎とサフィナの問題については、また別の問題な気がするけど……さすがに情報が少なすぎて断定はできないな。そもそも、なんで最近になって過去の人間を、この未来に存在する世界へ連れて来ないといけなかったのか。なぜサフィナを人外にした? それに人外は人外でも、キミらとは関係のない要素を持った人外の方が『カコデモニア』には多そうなんだよな。つまりマイノグーラやキミだけじゃなく、別の何かが起源となった可能性が高いけど……」
腕を組み顎に手を当てて俯き、ブツブツ言いながら考え事をし始めた広岡を、ナイアーは楽しそうに見つめた。
「ふふ、実は私もまだいろいろと調査中なんだ。つまり、私が今回の件に百パーセント関わっているかどうか、それは現時点じゃ断言できないかな。だからキミたちと一緒に真相へ辿り着けることを、とても楽しみにしてるよ」
そして、途中から二人の会話に入らず、黙々《もくもく》と記録をノートに書いていた棚部に、ナイアーは視線を送った。
「本貴くん、記録を書くのに夢中なのはわかるけど、思考放棄はあまり宜しくないかな」
「俺は広岡が来た時点で、考えるのは放棄した。それに広岡が言ってたお前のいとこ……マイノグーラだったか? 俺はそいつを知らん、今初めて名前を聞いた。お前も知ってると思うが、知識の多さでは俺よりあいつの方に軍配が上がる。できれば褒めたくはないが、広岡は挙一明三だ。つまり察しも勘もいい。だから俺は今までと同じように、少しでも情報を集めるのに集中するさ」
記録ノートから視線を外すことなく、棚部は答えた。それ以上、特に話すことはない。そう言っているようだった。
会話の相手がいなくなり、二人とも己の世界に入り込んでしまった今の状況を眺めて、ナイアーは笑みを浮かべたまま肩を竦め、闇に溶けるように諸室から姿を消した。




