第三十三話 優しさ
百奈と百花の二人が飛び出した扉の方を見ながら、広岡は珍しく呆気にとられた顔をした。
「えぇ……」
呆然としている広岡の背中を、棚部は肘で小突く。それに反応した広岡は棚部の方を向いて、二人の視線がかち合う。
「おいお前、分かってるな」
「いや分からん」
「百奈を傷付けたら許さないが、お前が百奈とそういう関係になるのも許さない」
強い視線でそう言った棚部の言葉を聞いて、広岡はロングパーカーのポケットに片手を入れ、もう片方の手で百奈たちが出ていった扉の方を指差す。
「なるほど。今から振ってきていい?」
言ったそばから実行に移そうとする広岡のフードと中に着ている服の後ろ部分を、棚部がまとめてグイッと掴んで止める。突然引っ張られた事で首が締まった広岡は「ぐぇっ」と声を出して大人しく立ち止まり、棚部の方を振り向く。
「おい馬鹿待て。そういうのは、こう、ちゃんとしないと駄目だろ。そもそも百奈はお前に告白すらしてない。それなのに先手で振るな。もしかしたら恋じゃないかもしれないだろ」
棚部の言い分に広岡は首を押さえながら、露骨に面倒臭いという顔をした。
「いやだってさぁ、どう見てもそういう目で見てたじゃん。めんどいから先手必勝で行こうかなって……」
好かれるのも嫌ではないし、嫌われるのも好きだ。相手が自分にどんな感情を持っていようが、広岡には関係ない。
しかし恋によって、広岡といる時の百奈の思考が普段より鈍ってしまう事が問題になる。先程の百奈のように、恋に思考を奪われて、まともな言動ができにくくなる。それは、この世界では致命的だ。
そして何より、広岡自身が誰かとそういう関係になる事を必要としていないし、一切の興味もないのだ。
少し沈黙した広岡は、すぐにいつもと変わらぬ顔と声色でペラペラと言葉を発していく。
「別に百奈が嫌いな訳じゃない。そもそも僕は、これと言って嫌いな人間とかいないし……。ただ、誰ともそういう関係になるつもりはないってだけ。それならさっさと諦めさせた方がいいでしょ? 成就しない恋に時間を費やしても勿体無いだけだよ」
広岡の言葉に棚部は何も言わない。ただ静かに、広岡の続きの言葉を待っているようだ。
「もしもの話しだけどさ、僕がよく知らない相手に恋愛感情を向けられた場合、僕はそれを利用するだけ利用して捨てるタイプだよ? 僕がそういう奴だってキミもよく知ってるだろ。だから、さっきの提案は僕なりの最大の優しさなんだよ」
広岡は目を細めたまま、本心の分からない笑みを浮かべ、棚部に顔を向ける。
本当は、広岡が百奈を振ってくれた方が、棚部としても嬉しい。引き取った姪っ子がその男に助けて貰ったとは言え、現役の犯罪者で尚且つ性格も手癖も足癖も悪い男と付き合うなど、どう考えても許せるわけがない。
せめて広岡以外なら考えてやらない事もないが、よりにもよって一番最悪な相手に恋をしている。現在進行形の犯罪者な時点で論外なのだが、それ以上に『アレ』から広岡を奪うなど、自ら死にに行くのと同義だ。
しかし、今すぐにあの百奈が振られると考えると、それはそれでなんとも言えなくなる。だから、棚部としては待って欲しいのだ。
百奈がそれを受け入れるまでの、ちょっとした時間が。広岡が誰かとそういう関係になるつもりは無いという事に、少しずつ気付いていく時間が必要なのだ。
棚部はため息を吐き、広岡の顔に指を差す。広岡は目を細めたまま、表情を動かさない。
「はぁ……そうだとしてもだ。せめてもう少し待ってやってくれ、もっと優しさを見せろ。あとお前は勘違いをさせる様な言動を百奈にするな」
「……? ……分かった、気を付けるよ」
広岡は明らかに分かっていない顔をしたが、すぐにいつもの顔に戻り普通の声で返した。
おそらく、自分の言動のどこに勘違いをさせる要素があるのか、あまり理解していない。恋をしたらどんな言動でも、そういう風に捉えてしまう事があるのだと分かっていない。
棚部はそれを指摘しようと口を開くが、それよりも先に広岡が話し始めた。
「……あの時、僕じゃなくてキミが助けてたら、未来は変わってたのかな。ていうかさ……殆ど喰われてたとしてもだよ? 最終的に彼女の足を完全に切り離したのは僕なんだけど……普通そんな相手に恋なんてするかい?」
キミは一体どういう教育をしてるんだい? と肩を竦めながら聞く広岡に対し、棚部は呆れたように話した。
「知らん。それは百奈しか分からんだろうな。それに、まさかお前の事を好きになるなんて思うわけないだろ。俺の方がなんで? って聞きたいぐらいだ。広岡がクズなの知ってるよな? 恋は盲目と言うがそこまでか? こいつは利用価値のある相手は助けるが、いざとなったら真っ先に捨てるぞ? って問い詰めたい気持ちはある」
棚部にいろいろと言われているが、広岡は特に気にしない。なぜならどれも事実であり、広岡にとって否定する必要もない事だからだ。ましてや相手は棚部である。今更猫を被った所で意味はない。
しかし、棚部は一拍置いた後、視線を少し下に向けて言葉を続けた。
「……だがもし、あの時お前の役割が俺だったら、もっと悲惨な事になってただろうよ。軽傷だったお前が、あんなボロボロの重傷になって戻って来たんだ。あの時点でそれなりに重傷だった俺が行ってたら、助けるどころか俺も一緒に人生終わってただろうな」
「一番最悪なパターンだね。まぁ僕が助けても、結果として彼女の片足は無くなったけど……いや、無くなったというか僕が切り離したんだけどさ」
「それでも、あれが一番最善だったと思うぞ」
棚部の言うように、あの場面でそうしなければ、百奈は足を失くすだけでは済まなかっただろうし、おそらく広岡も五体満足でここにはいなかっただろう。
それは広岡も分かっている。
「……まぁ、過ぎた事を考えてもしょうがない。過去の失敗は、改善するべき点を見つけてそれを理解し、次へ生かすために思い出すものだよ」
そう言った広岡は、困り眉で愛想笑いを浮かべていた。
そんな広岡から視線を外すことなく、棚部は腕を組んでから言葉を述べる。
「とりあえず、百奈の件に関してだが、あいつの決心がつくまで待ってやってくれ」
「はいはい、分かったよ」
軽い口調で答える広岡に、本当に大丈夫なんだろうな……という心配が棚部に過る。
そんな棚部に広岡が話題を変えて話す。
「ていうか結局のところ、百奈の症状は解決してないんだけど……あれはどうすればいいんだろうね。コーネダリスさんに頼んでみるのもアリだと思うけど」
「それも選択肢のひとつだな」
「それ以外に選択肢があるのかい? ……一応言っとくけど、僕は誰かを抱き締めながら寝るなんて無理だよ。僕の大事な腕が死にそうだ」
自分の両腕を交差させ、両手で掴みながら広岡は答える。
そんな彼の額に棚部は軽くデコピンを喰らわし、広岡は小さく「いて」という声を上げた。
「言われなくても却下に決まってんだろ。百奈に対して思わせ振りな言動をするなって、さっき言ったばっかりだろうが」
睨みながらそう言ってくる棚部を無視して、広岡は額を片手で擦りながら、うーんと悩みつつ言葉を口にする。
「やっぱコーネダリスさんに頼んでみるしかないかなぁ。町に精神安定剤とか睡眠薬とか売ってる所あったけ?」
「それはノーザイに聞いてみるしかないな。ちなみに俺は見たことない。個人でやってる診療所は一ヶ所だけ知ってるが、薬まで扱ってるかどうかは知らん」
棚部の言葉を聞いて、診療所よりコーネダリスの方がいいだろうな……と、広岡は思った。知らない相手より信頼できる相手の方がいい。しかし、コーネダリスからそこの診療所を紹介できるのなら、そっちに行くのも有りだろう。つまりどっちにしろ、とりあえずコーネダリスに連絡した方が早い。
広岡は思考していた最初の部分だけを言葉にする。
「個人的にだけど、信頼性で言ったらコーネダリスさんに軍配が上がるかな。百奈だけじゃなく百花からしても、既に知ってる相手の方がいい気がするし」
広岡の発言に棚部も賛成だ。
診療所はあっても誰がやっているのか分からないし、ノーザイに聞いてからの方が良さそうではある。早めに対処するなら、コーネダリスの方がいいだろう。彼女は信頼できる取引相手である。そして彼女の魔法だけでなく、横にいるサントスも医療や薬草などに詳しかった筈だ。それも頼りにしていいだろう。
「……後で連絡してみるか」
そうポツリと呟いた棚部は、広岡の「とりあえずこの部屋から出ない?」という言葉に返事をして、二人の男は桜音姉妹の部屋を後にした。




