第三十二話 義足
太陽は見えず、雨も降りそうな曇天。『デルテの館』の三階にある桜音姉妹の部屋には、姉妹と広岡がいた。
百奈が椅子に座り、彼女の足元のすぐ近くで広岡が何か作業をしている。黙々と進める広岡の頭には、いつものように仄かに発光しながら寝ている光がいた。
百花はその様子を、シオンやキララと共にベッドの上からジッと見ている。百花はいつか、今広岡が担っている役割を、自分ができるようになりたいのだ。
百奈は左足の膝下から足を切断している。そのため、彼女には義足が必要であった。その義足の点検とメンテナンスを、定期的に行わなければいけない。
広岡は百奈の左足へ、丁寧に下腿義足を装着させる。
義足をつけた百奈は確認のため、広岡と百花の手を借りながら、ゆっくりと立ち上がる。
「はい、どんな感じ? 気になる所あったら言ってね」
「ありがとうございます。……特に気になる所とかはないですね」
部屋の中を軽く歩いて百奈は答え、広岡は「そっか」と優しく返した。
問題ない事を確認した百奈が椅子に座るとほぼ同時に、部屋の扉をコンコンと叩く音が響く。扉の向こうからは、棚部が自分の名前を言った。百奈は「どうぞ」と扉越しに伝えた。
百奈の許可を得た棚部は扉を開けて、部屋の様子を伺う。棚部の両肩にはカイとレイが乗っていた。部屋にいる三人を見た後、棚部が広岡に聞いた。
「……もう終わったか?」
「うん、特に問題ないよ」
「そうか、とりあえずは安心できるか。まぁ、何かあれば遠慮せず相談なりなんなりしてくれ」
広岡の答えと百奈の様子を見て、棚部はホッとした顔をして百奈と百花にいつでも相談するよう伝えた。それに乗っかるようにして、広岡も思い詰める前に言うよう二人に伝えた。
「そうそう、無理は禁物だよ。キミたちで思い悩まないで、何かあったら僕か本貴さんに言ってね。それじゃあ、お大事に」
「待って!」
手をヒラヒラさせて部屋から出ていこうとする広岡の袖と、それに続いて出て行く棚部の袖を百花が掴む。
棚部の「うぉっ」という声と、広岡の「うわっ」という声が重なり、急に掴まれた二人は驚いて少しよろめく。
突然袖を掴んで止めた百花を、二人はどうかしたのかという顔で見る。
百花は二人から視線を逸らして百奈を見るが、すぐに視線を二人に合わせて話す。
「……姉さんがね、今でも寝てる時に酷く魘されてる事があるの。あたしに何かできる事とか……ある?」
「も、百花! それは言わないって……」
百花の発言に百奈は慌てる。そんな百奈を見つめた後、広岡が少し悩むようにして言った。
「そうなの? まぁ、そう簡単に忘れるのは難しいだろうしなぁ。……それで、実際のところどうなの? 教えて?」
広岡は首を少し傾げて、百奈を見詰めて問う。百奈は少し顔を赤らめながら、グッと何かを抑えた表情をする。
「……本当は……寝てる時だけじゃなく、起きてる今でもふと思い出す事があるんです。あの時の痛みが、あの時の恐怖が。私を喰らっていく感覚が、視界が霞んでいく感覚が、血が流れ出る感覚が……。でも、昔に比べてマシになった方なんです」
百奈の話を聞いて、広岡は困ったように苦笑いをする。
「うーん、それは早く言って欲しかった。あれからもう七年経ってるけど、ずっとそうだった? それともここに来てから?」
「……ここに来る前までは落ち着いてたんですけど、慣れない環境で少し疲れが出たのが理由かもしれません。でも、本当にそんな心配しなくても大丈夫ですよ」
百奈が嘘を言っている様にも見えず、本人が言う通り大丈夫なのは大丈夫なのだろうが、やはり棚部は姪っ子が心配になる。
「ふむ、百奈は大丈夫と言うが、やっぱり心配だな。……寝る前に暖かい飲み物を飲むとか、安心できるものと一緒に寝るとかが効果ありそうだが、百花と一緒のベッドで寝てみたらどうだ?」
棚部の提案に対して、百花は少しムスッとした顔で拗ねたような言い方で話した。
「……この前、すごく魘されてた時にあたしが手を繋いでも、一緒のベッドで抱き締めるようにして寝ても、姉さんは魘されたままだった。それに、暖かい飲み物も意味ない。飲んでも魘される時は魘されてるから……」
「す、すまん。既に実行しているとは思わなかった」
棚部は百花に対して、とても申し訳なさそうにした。棚部の提案は既に実行されており、どれも効果はなかったのだ。
そんな二人のやり取りを見て、百奈は近くにいた広岡の片手をゆっくりと掴んで名前を呼ぶ。広岡は掴まれた手をそのままに、百奈へ視線を移す。
「……あ、あの! えっと……雅埜さん」
「ん? なんだい?」
「あの時のように、してくれたら……もしかしたら、その……」
百奈の言葉を聞いた広岡はいまいちピンと来ていないようだった。彼女の言うあの時がいつを指しているのか本当に分からず、広岡は百奈に直接疑問を投げる。
「あの時? え……どの時?」
「えっと……あのバケモノから……私を助けてくれた時です」
百奈が少し躊躇いながら言った言葉を聞き、広岡はその場面を思い出す。
どういう経緯だったか、百奈たちの父親が『シャッガイからの昆虫』に寄生されたのが原因か、はたまたそれ以外の理由かはあまり記憶に無い。
ただ、あの時百奈を襲っていたアレは初めて見る姿の生き物で、初めて聞く名前であったのは覚えている。
アレは『ゼワ』と呼ばれているらしい。読めた書物に書かれていた情報はとても少なかった。分かったのは名前と見た目、それからとても貪欲であり、『シャッガイからの昆虫』が『ゼワ』を恐れているという事しか分からなかった。召喚方法などは一切わからず、なぜアレがあの場所にいたのかは、未だに謎のままである。
広岡はそんな記憶を思い出しながら、先程までしていた棚部と百花の会話を含め、あの時に起きた事を思い出しながら考える。
助けてくれた時に該当しそうな場面。百奈が勢いよく投げられた時に抱きとめたこと、一度しっかり抱き締めて千切れかけていた足を切り離してどうにか『ゼワ』から逃げたこと、そして百奈に強く抱き締められたまま彼女を抱えて落ち着かせたこと、百奈はそれらの内のどれかを言っているのかもしれない。
その中で共通するのは抱き締めるという行為だ。つまり、そういうことなのだろうと広岡はそう推測した。
「…………………………抱擁して欲しいってこと?」
長い沈黙の後、広岡からの抱擁──つまりハグをして欲しいのかと聞かれた百奈は、茹でダコのように顔を真っ赤にして変な声を上げてしまう。
「うぇっ!? あ、いや、違……わないですけど、その……えーっと…………」
百奈は照れてあせあせしながらも、掴んだ広岡の手を放さない。寧ろ先程よりも、更に強く握られている気がする。
広岡は掴まれてる手を百奈の前へ持っていく。百奈は目の前に持ってこられたその手と広岡を交互に見る。
赤い顔のままオロオロとする百奈へ、広岡は微笑みを向ける。
「ねぇ、百奈ちゃん」
広岡に名前を呼ばれて、百奈は心臓がバクバクとうるさく動くのを感じる。
百奈は今、視界がキラキラしていて眩しい。目の前にいる広岡を直視するのが難しい。目を逸らしては、また広岡に目を向けて、また逸らす。
そんな百奈の心境を気にすることなく、広岡はいつもと同じ声で口を開く。
「キミ……手汗すごいよ」
「……えっ!? あっ、ごめんなさい! っあ!?」
手汗。そう言われて、百奈の頭は一瞬回らなかった。
しかし、すぐに意味を理解した百奈は立ち上がって、掴んでいた広岡の手を勢いよく放す。その反動で百奈は横へ倒れそうになった。
棚部や百花が百奈を支えようと動くが、それよりも先に一番近くにいた広岡が支える。
「おっと……大丈夫?」
支えられた事で二人の顔が近付く。広岡は百奈の体勢を戻して、心配する言葉を投げるが、百奈はそれどころではなかった。
「うあ、あ……ぁ……えっ、と。わ、わわわ、私……先にリビング戻ってますね!」
彼女は真っ赤な顔で目をグルグルさせる。
言葉にならない声を出してあわあわした後、広岡に素早く何度もお辞儀をして、早足で部屋から出ていき階段を下りる音が部屋まで響いた。
「え、姉さん!? ちょっと待ってよ!」
飛び出していった百奈を追いかけて百花は急いで部屋を出ていく。そんな二人の後を追って、トタトタと足音を鳴らしながら、シオンとキララも部屋を出ていった。
部屋の扉がバタンと閉まり、桜音姉妹の部屋には男二人が残された。




