第三十一話 名前
膝でスヤスヤと眠る橙色のキュクローをブレイクは撫でる。
ウェンシーから預かった本、いろいろと書かれていたが、サフィナに該当する内容は無かった。
人外化する原因、人外と血や肉体の契約をした場合の解除方法、人外化した人間を戻すにはどうすればよいか。最後の項目は解決策が書かれていなかった。それもそのはず、解決策があるのなら、ウェンシーは既に人間に戻っているはずだろうと思えるからだ。
あの本は今、棚部が預かっており、また時間のある時に返しに行くようだ。
サフィナの件について、何も進展がなく焦る気持ちもあるが、冷静にならないといけない。焦りはデメリットを生んでしまう。サフィナの事で冷静でいなければ、いつとんでもないミスや見逃しをするか分からない。冷静であるよう心掛けるのが大事だ。
そんな事を考えながら、ブレイクは自分が撫でているこの橙色のキュクローを見て、ふと思った。ノーザイは自分に懐いた黒いキュクローに、クロと名付けていた。他のみんなはそれぞれのキュクローに、どんな名前を付けているのだろうか。
「なぁ、サフィナ」
「ん? どうしたのお兄ちゃん」
ブレイクの隣で、この世界に関係する歴史の本を読んでいるサフィナの太股に縋り、いろいろな花をポンポンと散らしている桃色のキュクローを見る。
「そういえば、聞いてなかったなと思ってな。その桃色のキュクロー、名前はもう決まってるのか?」
「あぁ、この子はハナミって名前にしたの。桜ばかり咲かしてるわけじゃないけど、いろんな花を見れるから」
ハナミと名付けられた桃色のキュクローを撫でながら笑って答えるサフィナの後ろから、ノーザイがソファーの背もたれに肘を置いて二人を覗き込む。
「へぇー、そうなんだ。ブレイクはどういう名前にしたの? 俺もみんながどんな名前で呼んでるのか、ちょっと気になってたんだよ」
「……俺はネロリにした」
ブレイクは橙色のキュクローをネロリと名付けた。ずっとオレンジの爽やかでさっぱりとした香りがしているから、という安直な理由である。
「……ネロリって何?」
「ネロリっていう香りがあって、この子みたいな匂いがするの」
「ヘー、そういうの名前があるんだ。俺は香りとかに詳しくないからなぁ」
ノーザイの疑問にサフィナが答える。
そういえば、この世界では香水などはあまり見かけない気がする。ブレイクは一件だけ香水を扱ってる店は見たが、それ以外で他のお店なのでは見たことがない。あまりこの世界では香水は利用されていないのかもしれない。
ノーザイは二人のキュクローの名前を聞くと、同じくリビングの椅子に座って話していた百奈と百花に声をかける。
「ねぇねぇ! 百奈と百花はキュクローにもう名前とか付けた?」
話を振られた桜音姉妹は、ノーザイたちがいるソファーの方まで、キュクローを抱えて来てくれた。
「えっとですね……ちょっと安直なんですけど、紫苑のような淡い紫色だったのでそのまま取って、この子の名前をシオンにしました」
「……キララにした。黄色いし、ビーム出すから。それに、呼びやすい方がいざという時に困らないかなって」
百奈と百花の命名理由を聞いて、ブレイクはみんな同じような理由で名前を付けるんだなと思った。
分かりやすく、覚えやすい、親しみのある名前。それぐらいの方が丁度良いとブレイクも考えていた。
「へえー、いいじゃん。あ、そういえばビームの威力ってどんぐらい?」
ノーザイは百花が抱えるキララを見ながら聞く。キララを見ているノーザイに文句があるのか、ノーザイの頭に乗っているクロがバシバシと頭を叩いている。
「わ、分かんない。まだ、ビームを打ってるところを見たことないの……」
「そっか、いつかビーム出したら、どんぐらいの威力だったか教えて。なぜなら俺が気になるから! ビームってロマンじゃん?」
「え……そうなの?」
ノーザイの頭をバシバシしていたクロを抱えてから、親指を立ててキラキラした目で答えるノーザイに、百花は訳の分からないという顔をした。
そして意外にも、ノーザイの発言に食い付いたのは百奈だった。
「分かりますよ。私も早くシオンが目からビーム出すところ、見てみたいんですよね」
「お、分かる?」
ノーザイと百奈、二人のビームに対する熱意が交わされた。
二人の熱いビームの話が終わり、おそらく地下の練習場に居るであろう、いつもの三人に会いに行く。練習場に行くと、疲れた様子の三人が座っており、周りにはキュクローたちもいた。
三人がブレイクたちに気付いて話し掛ける。
「あれ? 三人揃ってどうしたん? ……あ、ここ使う?」
「いやいや、大丈夫だよ。聞きたいことがあって来ただけ。みんなキュクローに名前付けた? どんな名前付けたのか気になっててさ」
ノーザイの質問に一番最初に答えたのは、頭や服に付いた枝葉をチマチマと取っている徳札だった。
「緑です。緑色で枝葉を出してくるので」
「思ってたんやけど、緑色のキュクローに緑って名付けるの、安直すぎんか?」
「青いキュクローに葵って名付けてる奴に言われたくないんですが」
色にそのまま直結した名前を付けた徳札と白金が言い合っている姿を見ながら、高峰は小さな声で呟く。
「どっちもどっち……」
しかし、その声は二人にしっかり届いていたようで、徳札は高峰にも矛先を向ける。
「好きな女キャラの名前をそのまま付けてる貴方も大概ですよ」
「飛ぶんだから、舞でも別におかしくないだろ」
ムスッとした顔で言い返した高峰の横には、飛んだまま高峰にずっと頭突きをする、舞と名付けられたらしい黄緑色のキュクローがいた。
そんな舞を見ながら、徳札は指摘する。
「別の女の名前を付けられて、その子も嫌なんじゃないですか? 記憶違いでなければずっと頭突きされてますけど」
「いや、これは愛情らしい」
「……変な愛情の渡し方ですね」
猫ではないが、猫に近いキュクローからの頭突き。どう考えても僕に愛情を伝えている。高峰からはそんな強い意思を感じられた。
白金は葵と名付けた青色のキュクローを撫でながら、高峰に思い付いた単語を伝える。
「ツンデレっちゅうやつか?」
「それは違う。ツンデレは奥が深いんだ。それにこれはツンデレじゃない。舞は別にツンツンしてない、こういうデレをしているだけだ」
「ほへー」
高峰の説明を真面目に聞いているのかどうか怪しい反応をする白金と、そんな二人を呆れた表情で見ている徳札。
いつもと変わらぬ三人に、サフィナは微笑しながら言葉を溢す。
「お三方はいつも仲良いですね」
「せやろ~、もう家族みたいなもんやで」
サフィナの言葉に白金は嬉しそうに笑いながら、サフィナの方を向いて答える。
その白金の肩を優しく叩いた高峰は、ちょっとしたキメ顔でとある言葉を言い放つ。
「家族みたいなもんじゃない、僕たちは家族だろ」
いい声でそう言った高峰に、白金はわざとらしく目をキラキラさせ、声をいつもより高くして人差し指と小指だけを立てて言った。
「やだ皓利さん、格好いい……」
「よし、次に行こう~」
茶番を始めた二人を無視して、ノーザイはブレイクとサフィナの手を掴んで練習場から出る。
ブレイクたちは、棚部と広岡が居るらしい諸室へと足を進める。
練習場に居た三人に二人の居場所を訪ねたら、徳札が「たぶん諸室か図書室ですよ。あの二人は大体セットで居るので……」と少し不機嫌そうに言っていた。
諸室の扉を叩くと、棚部の「入っていいぞ」という許可の声が聞こえ、失礼しますと言って三人が中へ入る。
諸室には棚部だけでなく、やはり広岡もいた。
「どうかしたか?」
「いえ、大した用事ではないんですが……」
棚部の疑問にブレイクが説明をしようとする前に、ノーザイが先に説明を始めた。
「棚部さんと広岡さんって、自分に懐いてるキュクローになんて名前を付けたのかなーって。それが知りたくなって来たんだ」
「あぁ、そういうことか」
棚部は机の上にいる赤色と水色のキュクローに視線を移して答えた。その横にいる広岡は頬杖をついて、ブレイクとサフィナに質問をする。
「先に聞くけど、ブレイクくんとサフィナちゃんはなんて名前にしたの?」
広岡に聞かれたブレイクとサフィナは付けた名前を伝えた。名前を聞いた広岡は「いい名前だね」と微笑んだ。
そんな広岡の肩へ、ブレイクとサフィナだけでなく、ノーザイも含めた三人の視線が向かっていた。
なぜなら、いつもは広岡の頭の上でスヤスヤと寝ている小さくて白いキュクローは、珍しいことに今日は広岡の肩で寝ていたからだ。
三人の視線の先にいる、白いキュクローを指で優しく撫でながら、広岡はノーザイたちに名前を伝える。
「この子は光って名前にしたよ。なぜって? 常に光ってるからだよ」
「分かりやすいね」
「ノーザイくん程じゃないさ」
広岡は肩を竦めてノーザイに言うが、正直どっちもいい勝負である。しかし、ブレイクはそれを思うだけで口には出さない。
それよりも、光と名付けられた白いキュクローについて聞きたいことがあった。
「いつもは頭の上にいるのに、今日は肩で寝てるんですね。何か理由とかあるんですか?」
光は殆どの時間を広岡の頭の上で寝ながら過ごしている。食事の際などに移動している所は見るが、ブレイク的にはずっと頭の上にいるイメージが強い。
「さぁ、知らない。僕が光を勝手に移動させるとめっちゃ強く発光して、僕や周りの目を潰しにくるんだよ。だから、僕は何もしない」
広岡は自分の肩で寝ている光の頬をツンツンしながら言った。ツンツンされた光は目を開けて広岡の方を見るが、すぐにまた寝始めた。
「基本的に頭で寝てることが多いけど、今日みたいに肩とか……あとフードの中とかポッケの中とかで寝てる事もあるよ。光ってさ、他のキュクローに比べて小さいでしょ? 頭以外にいると潰しそうで怖いんだよね」
光と名付けられた白いキュクローは、確かに他のキュクローに比べてとても小さい。サイズ感で言うならハムスターのようだ。
ブレイクたちのキュクローと並べれば大きさは一目瞭然で、広岡が心配になる気持ちも分かってしまう。
サフィナは広岡の肩にいる光を眺めており、少し触りたそうにしているが、触ろうとした自分の手を自分で押さえて困り眉のまま話す。
「小さすぎるのも大変そうですね」
「草とか花を散らされるよりは、個人的にマシだけどね。キミや徳札くんは掃除が大変そうだな~って見る度に思うよ」
そう言いながら広岡はサフィナの頭を見る。サフィナの頭にはハナミが今もポコ……ポコ……と花を咲かしている。
広岡はその落ちてきた花びらを掴み、棚部がいる机の上でくっついている赤色と水色のキュクローに花びらを一枚ずつ乗せていく。
花を乗せられた二匹のキュクローを、目をキラキラさせてサフィナが眺める。
「わぁ、可愛い。……あ、掃除は私より徳札さんの方が大変みたいですよ。さっきお話を聞いたら『マジで大変です。枝葉を取るだけで時間が溶けますよ、正直マジでヤバイです』って本人が言ってましたし……」
「んははっ! まぁ、そうだろうね」
おそらく困っている徳札の姿を想像して笑ったであろう広岡は、手を止めることなく花びらをどんどん増やしており、赤色と水色のキュクローは花に埋もれていく。
そんな中、ブレイクは棚部に聞く。
「棚部さんは赤色と水色、どっちも名前は決まってるんですか?」
花を乗せられていく二匹のキュクローを見ていた棚部は、視線をそのままにして答える。
「あー、赤色がカイで水色がレイだな」
「暖かいと冷たいだからだね」
「分かりやすい方がいいんだよ」
「それはそう」
カイとレイ。確かに分かりやすいが、ノーザイのクロや徳札の緑に比べると、ほんの少し分かりにくいかもしれない。広岡が暖かいと冷たいと言わなければ、ブレイクは気付くのに少し遅れていただろう。
こうして全員のキュクローに付けた名前を聞いて、ブレイクはふと思う。みんな意外と分かりやすくて覚えやすい名前を付けていた。自分もネロリより蜜柑とかオレンジとかにした方が良かったかもしれない。
そう考えていたブレイクの心情が伝わったのか、頭に乗っていたネロリがブレイクのアホ毛を引っ張った。ブレイクは一瞬驚いたが、ネロリはすぐに引っ張るのをやめて落ち着く。なんとなく、名前は変えない方がいいだろうと思った。それに、結局一番最初に付けた名前に愛着が湧くのだ。ブレイクはネロリを頭の上から下ろして抱える。ネロリは嫌がらずにブレイクへ体を預けた。そんなネロリを見て、ブレイクは少し笑う。
ノーザイの隣で一人と一匹が心を通わせている中、ノーザイはカイとレイをジッと見つめて、気になった事を棚部に質問する。
「カイとレイはいつもこんな感じで、ずっとくっついてる?」
「いや、結構な時間離れてる事が多いぞ。こいつらは周りに人が増えると、何故か突然くっつきだすんだ」
「へー、謎だなぁ」
「俺もよく分かってないんだ。まぁ、何かストレスとかを抱えてる訳じゃなさそうだから、大丈夫とは思うが……何かあったら和凪さんの所に行くさ」
ノーザイと棚部のやり取りを聞いたブレイクは、人が増えるとくっつくのは確かに謎ではあるが、意外と二匹共シャイなのかもしれないと思った。
「やっぱり、キュクローにもそれぞれあるんですね」
「生き物なんてみんなそうだよ。みんなそれぞれ違って、何もかも全てが同じ存在なんて殆どいないんだから」
ブレイクの呟きを拾ったのは広岡だった。広岡は胡散臭いニコリとした笑みでブレイクを見ていた。
「ねぇ、ブレイクくん。そろそろ昼になるけど、今日のお昼の料理当番ってブレイクくんじゃなかったけ?」
「え? ……あぁ、もうそんな時間なんですね。ありがとうございます。リビングに戻りますね」
広岡に指摘されたブレイクは時計を見る。時刻は十三時前を指しており、思っていたより長い時間、みんなにキュクローの名前を聞いていたと気づいた。
棚部と広岡に一言伝えて、ブレイクたちはリビングへ戻るため諸室を後にする。
廊下を歩いていく中、ノーザイは腕の中にいるクロを撫でながら、ブレイクとサフィナに話し掛ける
「みんな色々な名前付けてたなぁ。あと、なんだかんだみんな可愛がってたね」
「ええ、皆さんそれぞれのキュクローに愛着が湧いてそうでしたもんね」
「そうだな……」
ブレイクは楽しそうに会話する二人を見て、微笑みながら言葉を返した。
三人が二階に上がったところで、三匹のキュクローが突然三人の元から降りる。
「あ? おいっ、危ないだろ……」
「ぅおっと、どうしたどうした?」
「あら?」
キュクローたちの突然の行動に三人は驚く。
降りて集まった三匹は「キュー……! キュッ、ンギュ」「ギュォン、キュオッッ!」「ピキュ……。キュー……ギョピュ……」と、何か会話をしているようだった。
「何、なんて言ってるの? 通訳さん呼んでくる?」
「いや、さすがにそれだけで呼ぶのは……」
ノーザイはキュクローの通訳ができるマトロポスを呼ぼうと、コーネダリスから渡されたボタンを用意するが、そのためだけに呼ぶのは憚れる。
サフィナはキューキュー鳴く三匹を、微笑みながら見つめる。
「何を言ってるか分からないけど、なんだか仲が良さそう。ふふ、微笑ましい」
「……あぁ、仲がいいのは良いことだからな」
二階の廊下で団子になっているキュクローたち。ブレイクはそれを眺めながら、もしサフィナを人間に戻したとして、その後もこの世界と本来いるべき世界を往き来できるのだろうかと思う。ノーザイやキュクローたちと離れたい訳ではない。しかし、サフィナをこのままにもしておけない。
ブレイクはキュクローたちから視線を動かし、廊下の窓から見える空を見ながら、どちらも選べる未来がないのか思考を巡らせた。




