第三十話 不安
和凪とジュジュを先頭に、ラボの玄関である大きな鉄製の扉の前まで来た。
そこには既に似明が待っており、ウェンシーが言っていた緑色の本を持っていた。似明はその本を棚部に渡す。
「……それ、預けときます。分厚いんで、読むのに時間掛かりそうですし」
「あぁ、助かる。読み終わったらちゃんと返却しに来るよ」
そんなやり取りをしてる棚部の後ろから、ノーザイがひょっこりと出てきて似明に話し掛けた。
「あ、似明さん。聞くの忘れてたんだけどさ、あの時……ウェンシーさんが俺たちの時間を止めたように見えたアレってなに?」
「……それは、僕もまだ分からないんですよ。人外化したことで得た能力なのか、はたまた別の何かなのか……これは後々調べるつもりです」
あの時とは、和凪に呼ばれて急いで松儀やウェンシーのいる部屋へ行った時のことだろう。確かにあの時、一瞬だが時が止まったような、体だけが動けなくなったような、なんとも言えない経験をした。
しかし似明もそれがなんなのか分からないという。ウェンシー自身が分かっているのかどうかも気になってくるが、今からそれをするのは少し時間が足りない。
そんな事を考えていたブレイクは、突然あることを思い出した。それは、松儀が呼んでいたとある相手の名前だった。
「あ、そういえば。あの、俺もちょっと聞きたいことを思い出したんですけど……松儀さんが俺たちや和凪さんの事を、別の相手の名前で呼んでたじゃないですか。その方達は今もいるんですか?」
「あぁ、えっと……田中、山本、岡崎、丸井、利根、長海、守永、ランレン、ホーネス……ですよね?」
似明は和凪が最初に教えてくれた人物たちの名前を上げていく。
こうして改めて聞くと日本の名前が多い。松儀も日本だから日本の知り合いがいても別におかしくはないが、この世界に日本の名前を持つ人物が意外といるという事に少し気になる点があるのだが、何かと言われると困る。何かはよく分からないが、なんとなく気になる。
ブレイクはモヤモヤを抱えながら、似明の回答をしっかりと聞く。
「この名前はみんな松儀くんと仲の良かった人達の名前なんですよ。でも、殆どがもう亡くなってる。僕が生存確認できてたのは、田中くんとホーネスくん、あとは利根くんの子供ぐらいですかね」
顎に手を当てながら思い出すようにして答える似明に対し、棚部が質問をするが、その問いに答えたのは似明ではなくノーザイだった。
「もしかして、田中ってあの爺さんの事か?」
「……あぁ! 俺が少し前に棚部さんに紹介した人間のお爺ちゃん。確かに彼の名前も田中さんだね」
似明が名前を呼んだ田中という人物に、棚部とノーザイは心当たりがあるらしい。
ノーザイが紹介して棚部は知っているが、ブレイクたちは知らない。つまり、それはブレイクたちが来る前の話なのだろう。
「たぶんその田中であってると思いますよ。田中くんは松儀くんよりも、かなり年上のお爺さんだった記憶があるので」
「そうか……。時間があったら、またあの爺さんに会いに行ってみてもいいかもしれんな」
棚部がその田中に会いに行く際は、自分も付いていこうとブレイクは思った。
一方サフィナは、名前を上げられた人物の殆どが亡くなっていることに心を痛めていた。
「……殆どの方が亡くなってるんですね」
「全員、松儀くんと同じ町に住んでましたから……逃げ切れなかったんだと思う。田中くんとホーネスくん、それと利根くんの子供がこの町へ逃げて来た所までは記憶してますが、その後は僕も分からないんです。田中くんは先程お二人が合ってたみたいですけど……。ホーネスくんと利根くんの子供も、もしかしたらいつか会えるかもしれませんね。この町から出てなければ居ると思うので」
「そう、ですよね……」
棚部たちが田中というお爺さんに出会っているので、似明が言うように、意外とホーネスや利根の子供とはこの町に居れば会えるかもしれない。
サフィナは少し複雑そうにしながらも、微笑んで返事をした。
「……もう聞きたい事とかないか? まぁ、あったとしても明日にしろ。今日はもう帰らないと夜になっちまうからな」
そう言いながら棚部は腕時計を確認する。もう夕方が過ぎようとしていた。地下にあるラボから家の中へと戻り、そのまま外に出れば夕陽が沈み始めていた。ブレイクたちは思っていたより長い時間ラボにいたらしい。
沈み始めている夕陽を見ていた棚部に、似明はとあるカードを渡す。表面は『ニアケラボ』の文字とマークが書かれていた。裏面には何やら数字と英語が書かれており、それは何かのパスワードにも見えた。
「では、こちらをお渡ししときます。これはラボへの扉を開けるのに必要なパスワードと、自由に出入りが許される会員証です。失くしたり、誰かに譲渡しないようお願いしますね。それでは、またいつでもお越しください」
笑顔で手を振る似明と、お互いに手を繋ぎながら空いた方の手を振る和凪とジュジュにお見送りしてもらい、ブレイクたちは『ニアケラボ』を後にした。
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車が置いてある所まで向かう途中、ブレイクはずっと考えていた。もしかしたら、あの二人はいつかの自分たちの未来かもしれないと。
もし自分を犠牲にしてサフィナを生かせるのなら、やはり俺は松儀さんと同じ事をするかもしれない。でもやっぱり、残される側の事もちゃんと考えなければいけない。ウェンシーさんは一緒に逝きたかったと言っていた。その相手の考えによっては、置いていかれるより一緒に死ぬ方が救いになる事もある。しかし、松儀さんの相手に生きて欲しいというその願いは、気持ちは痛いほど分かる。
まだ、その段階ではない。まだ大丈夫。まだ間に合う。まだ、サフィナは生きている。きっといつか、人間として俺とサフィナの二人で、あの日常に戻れる。そう考えていないと、良くない方向へ舵を切ってしまいそうになる。
俺はまだ大丈夫だ。俺はまだ間に合う。俺はまだ、正気でいられる。サフィナが居てくれればもう、それ意外は何も望まない。
「お兄ちゃん。お兄ちゃんは私のために死んじゃ駄目だよ。置いていかないでね。私もお兄ちゃんのこと、もう二度と置いていかないから」
ブレイクの不安が顔に出ていたのか、サフィナはブレイクの手を優しく握って笑いかけた。そんなサフィナにブレイクも微笑み返して、サフィナの手を握り返した。
「……あぁ、当たり前だ。俺はお前とずっと一緒だからな」
そんなやり取りをしているブレイクとサフィナの、少し前を歩いているノーザイと棚部は内心ヒヤヒヤしていた。
なんとなくだが、ブレイクの心情と二人のやり取りの意味が伝わってきた。ノーザイは頭の後ろで手を組ながら、後ろの二人に聞こえない程度の声量でポツリと呟く。
「なんか良くない気がするなぁ……」
それは隣にいた棚部にはしっかりと聞こえており、棚部もノーザイと同じようにあまり良くない気がしていた。
「ノーザイ、お前にも分かるか。俺も良くない気がしてならない。不安だ。あの二人を連れて来ない方が良かったかもしれん……」
「うーん……呼んだの俺だけどさ、ちょっと後悔してる」
ノーザイはしょんぼりした顔で「やっちゃたかもなー」と呟きながら、不安そうな顔のまま歩みを進める。
棚部はそんなノーザイを暫く眺めた後、隣を歩いている百花の名前を呼ぶ。
「百花」
「……何?」
「お前は、あの二人を参考にしなくていいからな」
百花は棚部を見た後に、少し後ろで手を繋ぎながら歩くグレイラル兄妹を軽く視界に入れる。そして町の方角にも目を向け、棚部に問う。
「あの二人って……どっち? 松儀さんとウェンシーさんのこと? それともブレイクさんとサフィナちゃんのこと?」
「あー……どっちもだ」
棚部の歯切れの悪い返事を聞いて、百花は棚部を一瞥した後、真っ直ぐ前を見据えた。
そんな百花の瑠璃色のツインテールが、強い風に靡く。彼女は強い風を気にせず、しっかりとした眼差しで先を見つめていた。
「そう、安心して。あたしは誰の命も無駄にしたくないの。最後まで、最善の道を探して掴み取るわ。もちろん、誰の命も失わない方法でね」
百花の言葉には強い意思があった。
昔に比べて、百花も成長しているのを感じられる。まだ十六歳の子供だが、なんとも頼もしい事を言う。棚部は感慨深くなりながら、百花の頭を優しく撫でてポツリと呟いた。
「……そうか、頼もしいな」
突然頭を撫でられた百花は、なぜ撫でられたのか分かってない顔で棚部を見ながら、頭に疑問符を浮かべていた。
それぞれがそれぞれの思考を巡らせる中、沈み始めていた夕陽が全員の背中を照していた。




