第二十六話 ニアケラボ
先日の騒動後、和凪から渡された地図を頼りに、ブレイク、サフィナ、ノーザイ、百花、棚部がラボに到着した。
大通りから離れ、暗い路地裏にある、一見すると普通の民家。だが、確かに看板には『ニアケラボ』と書かれている。
玄関の扉をノックすれば、すぐにガチャリと中から扉が開かれる。中から現れたのは和凪だ。
彼女は「どうもこんにちは、昨日ぶりですね。先日は本当にお世話になりました」とお辞儀をして、棚部たちを中へ案内する。
中へ入ると、そこは普通の民家だった。そしていつのまにか、和凪の隣にジュジュもおり、棚部たちに「こんにちは」と言ってお辞儀をする。
和凪は「そういえば」と何かを思い出したように立ち止まり、ブレイクたちの方を見て話す。
「一応お試しとして育てているんですけど、まだちょっとよく分からないです。まぁ、まだ一日目なんで、すぐに分かるとは思ってませんが……。ですが、ジュジュと調べている別の愛情表現、それは少し気になり始めました。これから時間をかけてやってみますよ。もし駄目そうなら、また貴方たちの所へ相談しに行きますね」
和凪は広岡に言われた通り、植物と魚を育て始めているようだ。
そして、ジュジュと一緒に愛についても調べ、いろいろと実行しているらしい。どちらも上手くいけば、きっとキュクローが食われることなくなり、今後もそういう被害を受ける生き物も減っていくだろう。
ノーザイの頭に乗っているクロや百花が抱えている黄色のキュクローも、前のように和凪から逃げる様子はない。
今は、彼女の変化が順調に進むことを祈るしかないだろう。ブレイクはそう思った。
「皆さん、これを渡しておきます」
和凪の横にいたジュジュが、ノーザイに一枚の紙を渡した。ノーザイが受け取り、周りのブレイクやサフィナたちも覗き込むように見る。
「キュクローたちの食べられないリストが書かれた物です。君たちが食べたり飲んだりできるものは、キュクローたちも基本的に大丈夫ですよ」
ジュジュがそう説明した通り、紙に描かれていたのはキュクローの食べられない物リストだった。そういえば、確かにそんなものを持ってくると言っていた。
これがあれば、間違って食べてはいけない物を食べさせる心配はなくなるだろう。
食べられない物リストをざっと見た感じ、金属類や合成樹脂、アルコールを含む食べ物や飲料水などだった。
ノーザイやブレイクたちが内容を見終わり、その紙は折りたたまれ、ノーザイのポケットに仕舞われた。
その様子を見た和凪が、みんなを案内するため歩き出す。
「あぁ、すいません。本題は松儀さんですね。こっちにいるので、ついてきて下さい」
和凪に付いて行き廊下を歩く。廊下の行き止まりの扉を開けて、左右にある扉の右側を開ける。
そして謎の機材が積まれた部屋に出て、またそこから三色の扉があり、その中から赤色の扉を開けて、ようやく二階と地下へ繋がる階段が見えてくる。
外から見た感じよりも、内装は複雑になっているようだ。
そしてその階段を下りていくと、大きな鉄製の扉が現れた。鉄製の扉には何かの機械がつながれており、和凪はボタンをピッピッと押していく。すると、鉄製の扉が自動で開かれる。
大きな扉が開くと、白くて明るいラボが見えてくる。まるで世界が変わったようだった。
真っ白な通路と扉を通りながら、和凪の後ろを付いていく。はぐれると道に迷いそうな真っ白具合だった。
結構歩いたが、和凪とジュジュ以外の研究員の姿が見えない事に、ノーザイが疑問を投げる。
「そういえば、ここって何人の研究員がいるの?」
「私やジュジュ、所長なども含めて十人ですかね。今の時間帯だと、殆どが仮眠してるかお昼ご飯を食べてると思います」
「思ってたより少ないね」
「大々的にやってる訳じゃないので、ラボの存在を知らない方は多いですからね」
和凪の答えに、ブレイクは確かにと思う。
『ニアケラボ』と看板があっても、見た目はなんの変哲もない民家であり、全員が地下にいるため人のいる気配が全くない。その上、大通りから離れた路地裏にあるここは、地図で教えて貰わなければ目に止まることはないだろう。
結構な距離を歩き、資料室と書かれたプレートが張ってある扉の前で和凪は立ち止まる。
「たぶん、この時間帯ならここに松儀さんが居ると思いますが……」
資料室の白い扉を開けて、和凪を先頭に入っていく。資料室の中には、浅葱色の長い髪を後ろで雑に結んでいる白衣の男がいた。
その男はこちらに気が付くと、パッと明るい表情に変わり、こちらへ近付いてくる。その姿はまるで、久し振りに知り合いと出会ったかのようだった。
「お、長海に山本じゃん久し振り。あれ、後ろにいるのって岡崎と丸井? あれ長海って妹いたのか? 守永が急に知り合いを連れてくるなんて、一体どういう風の吹きまわしだ?」
ノータイムで話す松儀が呼んでいる名前は、どれも知らない人物の名前だった。
少なくとも、松儀の前いるブレイク達には、該当する名前を持つ者はいない。
ノーザイは訳が分からないという表情になる。
「何? 誰が誰だって?」
「こういう感じなんです。松儀さんは、見た相手を別の知り合いと認識してしまうんですよ」
ノーザイの疑問に和凪が答える。
ブレイクは、松儀とのまともな会話は難しいと言っていた、和凪の言葉を思い出す。
松儀は困惑するブレイクたちに構うことなく、別の相手の名前を呼びながらトークを続けている。
「現時点で分かっているのは、守永、長海、山本、岡崎、丸井、利根、田中、ランレン、ホーネスという人物の名前しか出さないことですね。私は守永、ジュジュはランレンと毎回呼ばれてます。彼はウェンシーさんの事は完璧に覚えてるんですけど、それ以外は昔の記憶のまま止まってますね」
松儀に絡まれているブレイクとサフィナ、ノーザイと百花を眺めながら、和凪が棚部に説明をする。
そんな中、サンダルのパタパタという音を立てながら、白衣を着た男がやってきた。彼は無精髭を生やしており、黒い髪はボサボサで少しだらしなさを感じる痩せた中年の男性だ。
しかし、彼は顔が整っているため、そのだらしなさが少しカッコ良く見えてしまう。
「ごめんよ和凪くん、寝てた。お客さんのご案内させちゃって悪いね」
「いえ、いいですよ。気にしてません。むしろ貴方はもっと寝た方が良いかと……」
「まぁ大丈夫大丈夫。失礼、紹介が遅れましたね。僕はこのラボの所長をしている、似明大介だ。僕は人間に創られたホムンクルスだよ」
似明は棚部に握手を求めながら、さらっと自分の正体を明かす。
それに驚いたのは和凪だった。
「え、そうなんですか? 初耳です」
「あれ? 言ってなかったけ? ごめん、隠してた訳じゃないんだ」
自分の事をホムンクルスと言った似明は後ろ頭に手を当てて、にへらと笑いながら和凪へ謝る。
ブレイクはホムンクルスという名前は聞いたことはあるが、実際に見たのは初めてだ。彼がホムンクルスだと知らなければ、ただの人間としか思えないだろう。やはり、この世界には人間が殆どいないのだろう。人間のような見た目をしていても、もしかしたら人外なのでは……と、そうやって疑っていく方がいいかもしれない。
似明はブレイクたちの方を振り向いて、困り眉のまま愛想の良い笑みで話を始める。
「貴方たちの話は和凪くんやサーラくんから聞いてるよ。いつか僕から会いに行ければ良かったんだけど、いかんせん眠くてですね。今回は会えて嬉しいよ。まず応接室に案内するね、松儀くんや僕についてお話をしましょう。今の松儀くんと直接話したくても、大した話はできないだろうし……」
ブレイクたちは和凪やジュジュと一旦別れ、似明と共に応接室へ向かう。
真っ白なソファーに真っ白な壁、真っ白な机の上には真っ白なカップ。全てが白で染められた殺風景な応接室。
そんな応接室のソファーに全員が腰掛けたところで、似明が人数分のお茶を出してくれた。
さすがにカップの中身までは、牛乳などの白い飲み物じゃないのか……とブレイクは少し思った。
なぜラボは全体的に真っ白で統一されているのかブレイクは不思議に思うが、ここで言うことではないので静かにお茶を飲むことしにた。
似明も一口お茶を飲む。ほっと一息ついたところで、少し悩む素振りをしながら、こちらへ問いかける。
「そうだね……とりあえず、ホムンクルスって分かりますか?」
「錬金術で作られた人造人間……であってるか?」
「合ってます。僕はこのラボを廃墟にさせないために作られたんです。このラボにはウェンシーくんがいるからね」
棚部の簡単な回答に似明は頷く。
似明から発せられたウェンシーという名前は、和凪からも聞いたことがある。正気じゃなくなった松儀が、唯一記憶している相手であり、松儀がお世話している女性でもあるということを思い出す。
ブレイクはその事を呟き、似明の反応を伺う。
「ウェンシーって確か、松儀さんが唯一覚えてる相手……でしたっけ? 和凪さんがそう言ってたと思うんですけど」
「えぇ、そうですね。どこから話そうかな……とりあえず僕の事から先に話すか。……まず、僕を作ったのは松儀来威です。彼は完全に正気じゃなくなる数年前に、僕を作ってラボの全権限を僕に託した。自分がどんどん正気じゃなくなっていくのを、彼は理解していた。それでも止まれなかったんだろうね」
似明は少し悲しそうな表情で松儀について話す。
その声色と表情から、似明が本当に松儀を心配しているのが伝わる。
「そしてウェンシーくんというのは、松儀くんの奥さんなんですよ。そのウェンシーくんも人間だったんだけど、今は訳あって人外になってるし寝たきりなんだ。その寝たきりのウェンシーくんを調査しながらお世話してるのが松儀くんです」
人間だったが人外になって寝たきり……という似明の言葉に、ブレイクは隣にいるサフィナを横目に見る。
サフィナは寝たきりではないが、人間から人外になったのは共通している。
もしかしたら、サフィナに関係する何らかの情報が得られるかもしれない。
「まぁ簡単に時系列で説明すると、二人が結婚する。ウェンシーくんが人外によって襲われ、人外化が進み寝たきりになる。そして襲われた時に、愛娘のメルエダが亡くなる。せめてウェンシーくんだけでも助けようと調べたりしてる中、自分が正気じゃなくなって行くことに気付いて、ウェンシーくんと共に研究していたホムンクルスの生成を成功させる。で、僕が生まれたってわけ。僕が生まれて二年後、松儀くんが完全に狂った。それで今は僕がラボの所長をしている……って感じですね」
似明は顔をコロコロと変えながら説明をした。
正直、松儀が狂ってしまうのも分かる。もし、今のサフィナがウェンシーと同じように寝たきりだったら、どうにかしようとしていただろう。そして、そのまま正気を失っていくかもしれない。
もしかしたら、ノーザイや棚部が止めてくれるかもしれない。それでも、止まれるかどうかは分からない。
そんなことを考えているブレイクの横で、サフィナが不安そうな表情で似明に質問をした。
「どうしてウェンシーさんは襲われたんですか?」
「人間だからだよ。松儀くんとウェンシーくんは当時、この『サレイア』の町にいなかったんです。少し離れた『ミスニーク』って町に住んでましてね。あそこは十年前に突然、人間に敵意を向け始めたんだ。それの被害にあった人間は多い。ウェンシーくんもその内の一人です」
人間だから。それはブレイクたちも既に経験したから分かる。
ここでは、人間というだけで攻撃対象になる事も、弱いとやっていけない事も知っている。
ただ不可解なのは、松儀たちの居た町が突然おかしくなったことだ。
ブレイクはここに来て、まだ日が短い。突然人間を襲うようになったとして、それが『カコデモニア』ではよくある事なのか、そうではないのかの判別がつかない。似明の言い方からして、おそらく後者なのだと思われる。
ノーザイは何か考えるような素振りをして、似明の話を展開する。
「あったね、覚えてる。あの町は『サレイア』の次に人間が住みやすい町だったのに、突然人間が多く襲われたって。『ミスニーク』から『サレイア』に逃げてきた人間は多かった。でも、殆どが年寄りと子供ばっかりで、子供なんて十人もいなかったんだよ。俺はもしかしたらまだ人間がいるかもしれない……と思って『ミスニーク』に行ったはずなんだけど、無くなってたんだよなぁ」
「無くなってた?」
「うん、町ごと消えてた。町ごと何者かに持っていかれたようにね」
ブレイクの疑問にノーザイは答えた。
無くなっていた、それも町ごと。普通ならありえない話だが、ここは普通の世界ではない。
似明はノーザイの話に、うんうんと頷き話を進める。
「そうなんですよ。僕も気になって調べに行ったんだけど、彼の行った通り町ごと何かも無くなってました。なので、その町に残っていた人外たちは、未だ行方不明のままです。そしてここで気になる事があってね。これは噂で聞いたんだけど、あの無くなった『ミスニーク』は最下界へ飛ばされたんじゃないかって」
最下界という単語を、ブレイクは何となくだが知っている。この世界に来て二日目の朝に渡された資料、それに記載されていたからだ。
ブレイクたちが今いる場所が中界、空にあるのが上界、そして地下にあるのが下界、その更に下が最下界となっていた筈だ。
似明は渋い顔をしながら、最下界について少し話す。
「最下界……よっぽど物好きとかじゃないと行かない、地獄と呼ばれてる場所ですよ。もし本当にそんな所に飛ばされたのなら、生きている人物は殆どいないでしょうね」
「ちょっと聞きたいんだけどさ、どっからその飛ばされたって噂が? 俺は初めて聞いたよ、その噂」
「……下界にいる人外たちが最下界から悲鳴のような声を聞いたらしく、その時期が町の消えた時期と重なってたらしいんですよ。だから噂として流れ始めたんだと思ってます。まぁ、僕が実際にそれを聞いたわけではないんですけどね」
「もしそれが本当だとして、何故その町が最下界へ飛ばされたのか、そもそも誰が飛ばしたのか……って話しになってくる?」
「そうなりますね。正直、その犯人の特定は難しいと思いますよ。あれだけの規模を動かせるなら、相当な実力者でしょうし、誰かが知っててもおかしくはない。しかし今現在まで、これと言った目星い犯人像が上がってきてない……」
最下界と『ミスニーク』について、似明とノーザイが交互に話をしていく。最下界と『ミスニーク』の関係については、今の段階では分からないだろう。
それに、今の本題はそれではない。似明もそれを分かっており、逸れた話題を戻す。
「……というか話が逸れちゃったね。とりあえず、ウェンシーくんが寝てる部屋へ行きましょうか。松儀くんもそこに移動してると思いますので。知っての通り話は通じないだろうけど、彼の日記とかあるから見ていってください」
「……勝手に見てもいいんですか?」
サフィナは困惑した表情で似明に聞く。
確かに、普通なら人の日記を勝手に読むことはしないだろう。
似明はサフィナの疑問に親指を立てて答えた。
「日記は実質資料だから大丈夫」
「それは俺も同感だな」
そう言った似明の言葉に賛同したのは棚部だった。そんな棚部に百花が驚いた様子で本人に問い掛ける。
「え、本貴さんって勝手に人の日記読むの?」
「お前らのは読まん。読むのは資料になってる日記だけだ」
「……どういうこと?」
百花はよく分かっていないようで、棚部は誤解の無いよう説明を始める。
「既に亡くなった相手や、まともじゃなくなった相手の場合、日記はそいつに関わる謎を紐解く鍵になるんだ」
棚部が言うことは分かる。亡くなっていた場合、どういう原因で亡くなったのか、誰とどのような交流をしていたかが分かるかもしれない。まともじゃなくなった場合、なぜ正気を失ったのか、何をしていて何を見たのかが分かるかもしれない。
日記は書いた人物の日々を教え、新たな情報を出してくれる。ブレイクは棚部の言い分に肯定する。
「棚部さんの言いたいことは分かります」
「ふーん……?」
煮え切らない返事をした百花が、今のを理解したかどうか定かではない。ただ、何かを考えている様子は見て取れる。
応接室から出ようと立ち上がった時、扉の向こうから走ってくる足音が聞こえてきた。それはとても急いでいて、切羽詰まってる様子が感じられた。
ブレイクたちは止まって扉の方を注視した。




