第十二話 道連れの契約
時を少し遡る。
ナイアーは今、面白いものを二つ見ている。
一つ目は、別の個体から通して見ているヴァヴェートや徳札たちの戦い。
二つ目は、ナイアーの目の前で浅い呼吸をする、一人館に残った広岡だ。
「随分とつらそうだね。まぁ、それもそうか。人間にとって “それ” は、とても苦しくとても痛いものだしね。残念だけど、私はキミに何もしてあげられない。私が干渉したら、キミはキミじゃなくなるだろうからね。それは勿体無い」
ひとり喋るナイアーに、広岡は返事をしない。
自分の部屋にある一人用のソファーで俯き、ぐったりとしている広岡は眉間に皺を寄せ、額の汗がポタリポタリと下へ垂れていく。その青白い顔を見れば、彼は体調が悪いのだろうと分かる。
ナイアーはしゃがんで、俯いている広岡の顔を見る。
広岡の左目がいつもの灰色から緑色に変わっており、左目の周りにはドラゴンのようにも見える、謎の赤い模様が浮かび上がっていた。
「キミのその顔は珍しいから、ここで見守っていてあげよう」
その言葉に、今まで無言だった広岡が嫌そうな顔をして反応する。
「……嫌すぎる。キミに見守られながら耐えろとか……ここは地獄かい?」
「え、なに? 地獄に行きたい? 変な趣味だねー。いいよ分かった、元気になったら連れていってあげよう。そういえば、キミは痛いとか苦しいとかは嫌だって言ってたけど、今どんな気持ち? 痛いも苦しいもあるってちゃんと理解してたのに、なんで『道連れの契約』を結んだの? 実はMだったり!? あぁでも、キミから言った “あの約束” が原因で、契約を結ばざるを得なかったのか! 自業自得というやつだ。……ねぇねぇ、無視してないでおくれ。弱ってるキミは珍しいけど、会話してくれないし、動きもしないから微妙だ。口ぐらいは動かそうよ。別の何かに集中することで、痛みや苦しみを紛らわせることができるかもしれないというのに」
ペラペラと捲し立てるナイアーに、俯いていた広岡は少し顔を上げた。
その顔にはいつものような、余裕綽綽とした表情は見られない。彼は顔色の悪い中、頭のてっぺんから足の先まで、全身に伝わる痛みや苦しみを必死に耐えているのだろう。
いつも以上に細めた目でナイアーを見た広岡は、小さな声でポツリと呟いた。
「……今、キミと会話する気力がない」
「え~! 残念。ま、今のキミに何を話しても面白くなさそうだし、しょうがない。今から本貴くんたちの所へ行こう! あっちは面白いことになってるし、私が登場したら相手側や観衆はどんな反応するんだろ。この姿じゃなくて、本来の姿でバーンって出てみようかな!?」
ウキウキを隠さず、この部屋から出ようとする素振りを見せたナイアーに、広岡は咄嗟に手を伸ばす。
そしてナイアーの袖を、今出せる範囲の力で掴む。その動作にナイアーはピタリと静止して、面白くて仕方ないといった笑みを浮かべた。
そのナイアーの顔に広岡は小さく舌打ちをして、ため息をはいた。
「はぁ……キミは本当に性格が悪いな……」
「性格が悪い? 酷いなぁ~。私はキミや他の神々なんかより、ず~っとマシな方だよ」
「……どの口が言ってるんだか」
肩を竦めたナイアーは、悪態をつく広岡の顔から視線を変え、ナイアーの袖を掴んでいた広岡の手を見た。
ナイアーは空いているもう片方の手に付けている手袋を、手品のようにパッと消して素手になる。そして、袖を掴んでいる広岡の手を掴もうとしながら言った。
「行くのを阻止したいなら、しっかり手を掴まないと」
「……ッ!」
ナイアーの指先が広岡の手に触れた瞬間、広岡は勢いよくナイアーの手を振り払った。バシンという音が響き、一瞬の沈黙が生まれる。
その沈黙は、ナイアーの笑い声によってすぐに破られる。
「アッハハハ! 凄い勢いで払われちゃった。素手の私にしっかり触れると、発狂まっしぐらだしね。あの時みたいに、お仲間を皆殺しにしちゃうかもしれないのが怖いんだ? しかし残念、今ここには私とキミ以外、誰一人としていないよ。まぁでも、今の表情は良かった! 一瞬だったけど、久し振りに見たよ。私の気が向いたら、みんなが集まってる所でまた同じ事してみようかな~?」
「はぁ、だる……」
一人用ソファーの上で蹲った広岡の浅い呼吸音と、ソファーの肘掛けに腰掛けた、ご機嫌なナイアーの歪んだ鼻歌が、広い館の中で不協和音として微かに響いた。




