第二十九話 霊長類最強の男と新たなる女
◆シクソン領ハムレー・高級宿屋アカシヤ207号室
「つまり突然アイズが女体化して、ついでに爆乳になったと――――そう言いたいのねアラガミ」
「うむ」
淡々と頷くアラガミ。
対面から全てを供述し終えた男の顔は、いつも通りの仏頂面である。
「要するにアイズさんは我々を騙し、頃合いを見計らって旦那様に取り入ろうとした女狐と――――そういう解釈でよろしいのですね旦那様?」
「違う」
アラガミの右腕部をがっちりと腕組みしたジュディがにこやかに尋ねる。
いつも通りの微笑のはずなのに、その迫力はドラゴンも逃げ出しそうなほど威圧的であった。
「だんなの言う通りだよー。ボクは女狐じゃなくてアリスっていうちゃんとした名前があるんだからねっ!」
そう反論するのは騒動の中心人物であるボクッ娘痴女。
下半身裸の白衣一枚という扇情的な格好でアラガミの左腕に抱きつく様は、完全に狙っているとしか思えないあざとさがある。
右手にに美女、左手に痴女とはまさに両手の花状態のアラガミ。
けれど、どことなく彼が可哀想に思えるのはきっとティーの錯覚ではないだろう。
「落ち着きなさいジュディ。まずはコイツ」
「コイツじゃなくてアリスだよ」
「はいはい、アリスね。アリスの話を聞いてそこから色々判断するのが賢いと思うのだけれど」
ティーの提案にしぶしぶ頷くジュディ。
八頭身美女の癖して一々仕草が子供っぽい所が彼女の魅力の一つでもある。
「よしっ、じゃあ良いわね。というわけでアリス。アンタがどこの誰で、アイズはどこに行ったのか洗いざらい吐き出しなさい。でないとそこの怖いお姉さんが何しでかすか分かんないわよ」
ちらりとジュディの方を覗くアリス。
そこにいるのはむくれ面の美女の筈なのに、アリスは何故か魔王よりも恐ろしい何かの片鱗を垣間見た様な気分になった。
「わかった、わかったってば! ちゃんと話すから殺さないでっ!」
そう言って慌てて自身の身の上について語りだすアリス。
その様を見て『争え争え! っていうか今の私のポジション、超おいしくない!? うけけ』と内心ガッツポーズをしている金髪エルフは、ある意味大人物なのだろう。
◆アイズとアリス
「簡単に言うとね、私とアッ君は一つの身体を共有しているの。あっ、アッ君っていうのは、だんな達がアイズって呼んでるあの子の事ね」
のっけから彼女の話はぶっ飛んでいた。
「二重人格というよりは入れ替わりって言った方が分かりやすいかな。人格だけじゃなくて状態も肉体も全部別物なんだ。だからアッ君は男だけど私は女だし、アッ君は疲労困憊だったけど私は元気。ついでにアッ君は女好きだけど、私はだんなが大好き―、ぐへへへへ」
最後の辺りでジュディがぴくりと反応したが、アラガミが彼女の頭を撫でる事で鎮静化した。
これが俗に言うナデポというやつである。
「それでいつもは時間を決めてお互いに入れ替わってるんだけど、こっち来てからアッ君無駄に張り切っちゃってさー。見たでしょあのヘロヘロ状態。幾らおっきい仕事だからって張り切り過ぎだよねー」
入れ替わる前のアイズの話が真実だとするならば、彼は一週間近く不眠不休で活動していた事になる。
最早病的を通り越して人外レベルのワーカーホリックだ。
「だから私アッ君と約束したの。だんな達と合流したら私と入れ替わってちゃんと休みなさいってね。アッ君最初はごねてたけど、やっぱり疲れてたみたいで最終的には折れてくれたんだ」
こうして入れ替わりとその時間を決めたアイズ&アリス。
当初の予定では、アラガミ達と合流した後に一度アイズが離脱し、その後あらかじめ借りていたもう一つの部屋でアリスと交代する予定だったらしい。
「あれでアッ君意外と過保護だからねー。私としては愛しのだんなに会いたかったんだけど、そうすると色々めんどくさくなるって言われてさー。まぁ、アッ君の心配する気持ちも分かるし? だから、超しぶしぶだけど従ってやったのさ!」
ちなみにアラガミの事はアイズの身体を通して見聞していたそうだ。
肉体も人格も別存在だが、記憶はある程度共有できるとの事である。
「でもさでもさ、ここで思わぬトラブルが発生したんだよ」
アリスが話したそのトラブルとは、先程宿屋のロビーで起こったアイズ気絶事件の事である。
乳神様の逆鱗に触れた愚かなチンピラが、哀れにも一発KOされた痛ましい悲劇。
それを半身であるはずのボクッ娘痴女は、予想外にけろりとした口調で振り返った。
「アッ君、アレで気絶しちゃったからねー。一応時間までは待ってあげてたけど、約束は約束だし時間きっかりにボクが出てきたってワケ」
ショートボブの髪をいじりながらあっけらかんと笑うアリス。
要するに今回の騒動の原因は……
◆高級宿屋アカシヤ207号室
「私のせいじゃないわよっ!」
話を聞き終えて早々にアイズを気絶させた誰かさんが反論した。
「そりゃあ殴ったのは私だし、気絶させたのも私だけど、それはそもそもあの馬鹿が人のコンプレックスを弄って来たからで」
「うんうん分かるよティルりん」
必死に自己弁護に励む金髪エルフを変なあだ名でフォローするボクッ娘痴女。
「アッ君ってあーゆーデリカシーのないとこあるからねー。正直ボクもアッ君が悪いと思ってるよティルりん」
「ありがとう。でもそのティルりんって何?」
「ティルフィーゼ・ティタニエル・ティリスだからティルりん。可愛いでしょ」
ちょっと可愛らしかったので金髪エルフはティルりん呼びを許可する事にした。
「待って下さいまし!」
和やかな空気になりかけた207号室にストップをかける吸血妃。
その流麗な眉が怪訝そうに曲がっている事からも、彼女が相当ご立腹な事が伺える。
「な、何かな?」
背中に汗を垂らしながら、視線の主に言葉を投げ返すアリス。
得体の知れない彼女が一体どんな言葉を繰り出してくるのか不安で不安で堪らないといった様子である。
「私の事は何と呼ぶつもりですか!?」
杞憂に終わった。
杞憂過ぎて逆にしばらく理解が追いつかない程にどうでもいい事だった。
「ティーさんだけ可愛らしいあだ名を頂くのは不公平です。私にも可憐で親しみやすいあだ名をつけて下さいませ」
「えっと……」
ジュディの無茶ぶりにアリスは少しだけ悩む素振りを見せ、やがて意を決したように思いついたあだ名を告げた。
「……ディーちゃんで、どうかな?」
瞬間、207号室に沈黙が流れた。
「アリスさん」
スッと立ちあがった吸血妃がそのままボクッ娘痴女の元へと近づいていく。
こんな馬鹿な問答をしている癖に歩き方は一流モデルも顔負けである。
そのままゆっくり両手を広げたジュディはアリスに完璧な微笑を浮かべ
「素晴らしいですっ!」
熱烈に抱擁した。
「ディーちゃん――――なんて愛らしい響きなのでしょう! 是非これからは私の事をディーちゃんと及び下さいましねっ!」
「あぁ、うん。気に入ってくれたのなら嬉しいよ……ディーちゃん」
「はいっ、ディーちゃんですっ!」
そのまま更にギュッと抱きしめるディーちゃん。
吸血妃は朗らかな顔でそっとアリスの耳に囁いた。
「では、素敵なあだ名のお礼に私からも一言。貴方、もしかして――――されてます?」
弛緩した空気から放たれたその言葉はまさに正鵠を射たものであった。
「えっ? どうしてそれを……」
「うふふっ、それは秘密です。けれどそういう事でしたら私力になれるかもしれません」
「本当!?」
そのまま二人はいそいそと内緒話を始めてしまった。
「ねぇ、アラガミ。私達なんだか置いてけぼりね」
「俺はもう慣れた」
霊長類最強の男の悲しい発言にティーは「アンタも大変ね」と労いの言葉を投げかけるのだった。
「お待たせ致しました旦那様! 色々お話を聞かせて頂きましたが、どうやらアリスさんは『敵』ではないようです」
「そうか」
ないしょ話を終え、戻って来たジュディの言葉にアラガミは頷きひとつで返した。
「ちょっとアラガミ、そんな簡単に信じちゃって大丈夫なわけ?」
余りにもあっさりし過ぎている霊長類最強の男を心配し、ついそんな事を尋ねてしまうティー。
しかしアラガミはいつも通り淡々と首を縦に振るのだった。
「今回の様な珍妙なケースには、ジュディの卓越した知識こそが肝要になる。加えて俺はアイズ・ジャシィーヴィルという男の事を知っているからな。アリスが奴の縁者だというのならば、それだけで信じるに足る理由だよ」
要するに霊長類最強の男は、吸血妃とあの怪しげなざまぁプランナーの事を信じているらしい。
少々懐が広すぎるその意見に若干呆れながらも、ティーは彼の意志に同調する事にした。
「じゃあ私は、そんなアンタの事を信じるわ。文句ある?」
「ない」
断じるアラガミ。
小気味いい返しに思わずティーの顔も綻んだ。
◆
こうしてハムレーで巻き起こった最初の騒動はひとまずの落着を迎えた。
洗脳、陰謀、喧嘩、入れ替わり、修羅場――――ただ宿屋に寝泊まりしただけでこれだけのトラブルに出会えるのは、きっと町のせいだけではないだろう。
稀代のトラブルメーカー達が紡ぐ大騒ぎの序章はこれにて終わり。
魅了勇者を取り巻く一連の物語はこれより《転》へと至る。
これにて二章前半終了です。次回の投稿は二、三日空けさせて頂きます。




