79 美人だな。だが、死んでおろう。
俺は、王子の命令で城に滞在することになり、身体測定の後で兵士の訓練に参加した。
結果として、勇者レベル20のステータスが猛威を振るい、俺は翌日には王子付きの執事見習いへと昇格した。
兵士である近衛部隊も存在したが、兵士たちから常識外に俺は強いと判断され、武器を持たせずに王子の身を守らせたほうがいいということになったらしい。
もちろん、武器は身につけていないだけで、いつでもアイテムボックスから取り出せる。
王子を暗殺する危険などは考えないのだろうかと不思議にもなったが、この国の人間は、そういうことは考えないらしい。平和なのだろう。もっとも、アイテムボックスの存在を周囲の人間が知るはずがない。
俺としても、俺を信じて大丈夫なのかと、あえて尋ねることはしなかった。俺が剣闘士をしていた国からどれぐらい離れているのかわからなかったが、同じ国内ではないのだ。身分は簡単にはわからないだろう。
剣闘士という身分を離れて悪事はしていないと思いたいが、海賊だった短い期間のことも思い出される。海底ではホライ・ゾンを討伐することを条件に許されたが、ひょっとして、海賊時代の俺のことを知っている者がいるかもしれない。
いや、海賊だったとはいえ、あれも戦争中のようなものだった。俺を個人的に恨んでいるとは限らない。
考えていると、色々と後ろめたいことも思い出すが、気にしないことにした。
何より、数日から数週間の後、正確な日はわからないが、ホライ・ゾンが俺を迎えにくるだろうと魔女は言った。
海賊たちの情報を得るためにも、王子のそばに居られるのはありがたい。それに、呪いを体外に出さなければいけない。城下町に遊びに行く機会も、そのうちあるだろう。
だが、王子に使えるようになった初日に、俺は度肝を抜かれることになる。
王子に呼びだされ、執事見習いとして同行を命じられた。
街に繰り出した王子は、人混みが嫌いなのかどうかわからないが、やはり奴隷が曳く車に乗った。俺も、王子の背後に控えて乗った。俺と同じような立場の先輩執事が数人いて、心強い。全員が貴族の出だと後でわかり、大変恐縮したのだが、この時はそこまではわからなかった。
王子は山で狩をするのが好きなのだそうだ。車もその度に出す。狩は戦争の模擬体験で、帝王学の一環だそうだが、馬に乗らなくてもいいのかという疑問を、俺は口にしなかった。
王子が狩を終え、俺はただ待機してじっと待った後、帰ることになった。
奴隷はご苦労様だ。俺が手伝うわけにもいかない。
車の後部に乗って、居心地悪く景色を眺めているとき、俺は、信じがたいものを見た。
海岸線に、打ち上げられた女がいたのだ。
「殿下、あそこに人が倒れています」
「……どこだ?」
ステータス的に強化されている俺が見つけたものを、誰も見つけられなかった。これまで比較したドディアやズンダに劣っていたために気付かなかったが、視力もステータスの中に入っているらしい。
砂浜に打ち上げられていたのは、黄色い髪をした女のように見えた。
まさか、そんなはずがない。俺はそう思いながら、じっとしていられずに車を降りた。
王子が制した。執事たちも止めたが、俺は止まらなかった。
急いで砂浜を走り、足を取られながら、転ばずに、うつ伏せで倒れていた女のもとに駆け寄った。
「ピノ?」
意識せず、口をついていた。
別人であってほしいと思った。俺を地上に送り届け、あの人魚の姫は、おばである魔女の城か、父である海の王の城に戻り、平和に暮らしているはずだった。
似ているだけだ。まだ、顔は見ていない。
それに、足がある。
足があった。ピノの下半身は、魚の尾びれだったはずだ。
髪に隠されていた、ふっくらとした尻の双丘に、俺は目を背けた。
背中側から見ると、女は全裸だった。
裸の肩に触れ、揺する。反応はない。
「ピノ、ピノ?」
俺は倒れたままの女を抱き起こし、仰向けに変えた。
腕がだらりと垂れる。足がだらしなく砂浜に落ちる。
足だ。尾びれではない。その上、全裸だ。普段乳房につけている貝殻もない。あの貝は、ただの貝殻ではなく中身が入っている生きた貝を吸い付かせてるのだと教わったが、その真偽を知る前に、俺は海から出てしまった。
上向かせて確信した。これは、ピノだ。どうして足が生え、どうしてこの場に横たわっているのかわからなかったが、ピノに間違いない。
俺は顔を背けて、アイテムボックスから粗末な服を取り出して着せる。鑑定上服とされているだけましなのだ。
体を隠してから、ピノが全く息をしていないことを思い出す。
俺は、呼吸を確認するために首筋に手を当てた。脈ではなく呼吸を確認するために首筋に手を当てるのは、ここにエラがあったことを知っているからだ。
だから、胸が動いていないことが、呼吸をしていないことにはならない。だが、俺の手は滑った。滑らかな、凹凸のない綺麗な肌であることを、指先が伝えてくる。つまり、エラがない。
現在、ピノは肺でしか息ができず、その肺が上下していない。
俺はさらに焦った。
胸に耳を押し当て、心臓を探す。わからない。動いていない。
「ほう……美人だな。だが、死んでおろう。貴様、死体愛好癖があるのか? 興味深いな」
王子が俺の後を追い、車を降りて近づいてきた。王子の目に全裸のピノを晒さなかっただけでも、隠したのは無駄ではなかった。
だが、俺はまだ信じなかった。
「メディ、メディカ、オウキュウテアテ……」
知っている回復魔法を次々にかけたが、反応はない。死んでいる相手には効果がない。俺は、復活魔法は習得していない。
だが、諦めるのは早い。
俺は両手を重ねて、ピノの心臓があると思われる位置に置いた。両ひじを伸ばし、体重をかける。
「おい、何をしておる。死体が好きなら、持って帰ってもよい。だが、死体を好まない者もおる。あまり人目に晒さぬよう、気をつけるように。それから……腐ると臭うから、防腐剤を忘れるな」
王子は尊大だが、いい人なのだ。俺は王子の言葉に苦笑しそうになりながら、力を込める。
規則的に30回、心臓を圧迫する。
次に口を開けさせた。指を突っ込んで異物がないか確認し、舌で喉を詰まらせないよう、やや斜めを向かせる。
「おお……そこまで……変態とはいるものだ」
王子を無視して、俺はピノと思われる女性の鼻をつまみ、開けた口に自分の口を当てがい、息を吹き込んだ。
俺の肺が空になるまで息を送り、さらに心臓に戻る。
30回繰り返し、息を送る。
「……ただの変態嗜好ではなさそうだな。どんな意味がある?」
俺は、諦めなかった。ピノには何度も助けられた。ピノの言葉では、ずっと助けられっぱなしだったようだ。そのピノを、死なせるわけにはいかない。
俺は、延々と続けた。ずっとそばで見ていてくれたのは、王子の優しさなのだろう。
しばらくして、俺の肩が叩かれた。
「もう、いいだろう」
「まだ……」
「いや、必要はあるまい」
俺の顔の横に、背後から指が出された。王子の指が、まっすぐ、ピノを指している。
静かに胸が上下していた。ピノの首筋に指を当てる。規則正しく、心臓が動いているのがわかった。
「……面白い技術を体得しているようだな。執事見習いのカロン、覚えておこう」
「あれがとうございます」
「まずは、この女を運べ。実に見事だ」
俺は、王子が何を褒めたのかわからなかった。ただ、ピノを死なせずに済んだことだけに安堵していた。
どうしてピノが砂浜に打ち上げられたのか、どうして尾びれを失ってしまったのか、直接尋ねるしかないだろう。
俺はピノを抱きかかえたまま、奴隷たちを待たせてあった車に乗り込んだ。




