77 ひどい薬だ
俺は硬いベッドの上で横になり、俺に体を預けるピノを抱いた。ただ抱いているだけだ。どんなに俺が好きになっても、下半身が魚のピノとは、これ以上の関係にはなれないだろう。
「ピノ、起きているかい?」
「うん。カロン、どうしたの? 疲れているなら、寝ればいいのに」
「そうだな。疲れているなら、寝ればいい。その通りだ。だけど……俺は寝たいほど疲れているわけじゃないんだ」
「なら、遊ぼ」
ピノが顔を上げた。下から見上げても、とても綺麗な顔立ちをしている。この子に慕われているだけで、俺は幸せな気持ちになる。ファニーと会っても、ここまで満ち足りた気持ちにはならないかもしれない。きっと、人魚の魔力もあるのだろう。
「……俺は、多くの罪を犯した」
「でも、私のものだよ」
「魔王の配下の七魔将の一人、ホライ・ゾンは悪い奴だが、俺は借りはあっても、恨みはない。そのホライ・ゾンを殺せと、グリフィルは言うんだ」
「悪い人でしょ? 殺してもいいんじゃない?」
「……俺は、そこまで割り切りない」
俺の道徳観は歪んでいるのだろうか。世話になっておいて、裏切ることはできない。ピノは違うようだ。たぶん、こっちが普通なのだろう。俺が異質なのだ。俺は、俺の体をどういう理由かわからないが、楽しそうにぺちぺち叩いているピノに言った。
「俺は、ホライ・ゾンに逆らうこともできない。それが、操作された結果なのかどうかもわからないほど、巧妙に操られている。魔女がそれはなんとかしてくれると思う。だけど、呪いから解放されても、ホライ・ゾンを殺す理由がない。ピノ……俺の持ち主だろ? 命令してくれないか?」
「うん。いいよ。なんて命令すればいいの?」
「ホライ・ゾンを殺せって」
「うん。その人を殺して」
「……わかった」
我ながら情けないとは思う。だが、俺は全てをピノに押し付けることで、自分を納得させた。
残った時間を遊んで過ごした。ピノにとっては楽しい遊びだが、俺にとっては過酷な鍛錬だ。実にあり難い。強くなっていく勇者としての力に、肉体がいつ限界を迎えてもおかしくはない。鍛錬できる十分な時間はない。水中で人魚と遊ぶというのは、これ以上ない鍛錬だ。
期間いっぱい遊び、俺は魔女グリフィルを訪れた。
「結果を聞こう」
俺の姿を見るなり、グリフィルは言った。俺の返事次第で、俺は追い出されるのだろう。海底深くに放り出されても、たぶんピノは助けてくれる。なんとか死なずに済むかもしれない。だが、俺は断らない。
「ピノが俺に命じた。ホライ・ゾンを殺す」
「情けない男だね。自分では決められないかい」
「ああ……悪いな」
「気に入らないが、覚悟はわかった。ピノ、いいんだね?」
「もちろんよ。なんで?」
俺の背後から、ピノが顔を出す。当然のようについて来ていた。俺の背後に隠れていたのは、ピノの判断である。たぶん理由などない。
「この坊やがホライ・ゾンの討伐に失敗したら、命じたあんたが狙われるかもしれないんだよ。この坊や、それを見越してピノを引き入れたんだ。ピノは、生贄に出されようと、お姫様に違いない。ピノ責任は、海王の責任だ。ホライ・ゾンに攻められるきっかけを与えることになる」
「失敗しない。やる以上、勝つ」
「見込みは?」
「……ない」
「うん、いいよ」
俺とグリフィルの話の流れを断ち切るように、ピノは宣言した。グリフィルの目が大きく見開かれる。
「ホライ・ゾンは、もう大きな勢力になりつつある。普段は海賊船一隻で動いているけど、海底にも影響を広げている。攻められるきっかけを作ってもいいのかい?」
「カロンなら失敗しないわ。それに、私が一緒に行く。それなら、私が命令したことがわかっても、お父様には迷惑はかからないわ」
「ピノに父親が命じたって、決めつけるかもしれないよ」
「大丈夫よ。証拠もないのにそんなことができるなら……何をしても攻められるってことだもの」
俺は、思わずピノを振り返っていた。いつも、楽しそうにただ泳いでいるだけだと思っていた。ピノの言葉とは思えなかった。グリフィルも同じだったようだ。
「確かに、その通りだ……ピノ、知恵の実でも食べたのかい? でも、カロンがホライ・ゾンを討伐するなら、それは海の上だ。海中じゃ見込みはない。ピノを海からあげるわけにはいかない。人魚は、地上じゃ生きていけない」
「地上の岩場は、泳げないのか?」
地中ですら泳ぐピノであれば、泳げそうな気がする。だが、グリフィルは首を振る。
「地上のものを持っては岩の中を泳げないのは知っているだろう。地上の物を飲み込んでも同じだ。体内に地上のものが入れば、体内から出すまでは潜れない。食べ物は最悪だ。体の一部になるから、下手をすると海で生活することが数年に及んで、ようやく潜れるようになるぐらいさ」
「つまり、地上で一切物を食べられないということか……無理だな」
「えーーっ……我慢できるよ」
「できないよ、ピノは」
俺は断言した。ピノは俺が思っているより賢いとしても、基本は本能のまま生きている。目の前に食べ物があれば、食べないでいることはできないだろう。
絶対に失敗できない。だが、それはホライ・ゾンの呪いを打ち消せるという前提の条件があってのことだ。
「あの呪いはどうなった? ホライ・ゾンに逆らえないままなら、戦うこともできないぞ」
「もちろんさ。わかっているよ……最後の材料が集まったからね。直ぐにできる……ほらっ、これだ」
魔女グリフィルは、大鍋の中のものを器に移しとった。紫色で、固形物がなさそうなのはありがたいが、嫌な臭いがしている。
「……それは?」
「ホライ・ゾンの呪いは強力だ。あんたの精神を犯し、力を引き上げている。全部を打ち消す薬を作るのは簡単だが、残念だけどあんたの力を引き上げたままにしておかないと、ホライ・ゾンを倒すことはできないだろう。ホライ・ゾンの精神支配だけを取り除き、力をあんたの中に残す」
「そんなことができるのか?」
「できなければ、ホライ・ゾンは倒せないんだ。やるしかなかったんだよ。それに……随分苦労したけどね。まあ、これが完成だ。だけど、これを飲むだけじゃだめだ。この薬は、あんたの体内に入っているホライ・ゾンの血を二種類に分類する薬さ。あんたの全身に巡っている分はそのままに、頭の中に入っている血だけを、体外に出す。できることはできたけど、飲むだけじゃ駄目だ。体外に出すためには、決まった方法がある。とても危険だ」
「……どうすればいい?」
「脳の中に溜まったホライ・ゾンの血は、脳の中から引き剥がされても死なずに、次の獲物を求める。人間の脳に取り付いている奴らに、その人間を諦めさせ、次に向かわせる。あんたの精神を犯している血は、この薬によってあんたの生殖器に移る。あんたは、そこから排出する」
「トイレでか?」
「小便となって出てくれるなら、随分簡単だったね。女の中だよ。ホライ・ゾン本人の意思なんて、血にまで通ってはいない。勘違いさせるのは簡単だ。だけど、あんたの子供を身籠れる相手の中に注がなければ、あんたの精神支配は完全には解けない」
「……ひどい薬だ」
「嫌だというなら……この薬を飲んだ後、精子を殺す薬を飲むかい? うまくすれば血を殺せるかもしけないけど……行き場を失った血が、また脳に戻るかもしれない。それと……その結果、あんたは二度と女と交れなくなる。生殖能力を破壊するんだから、当然だ」
魔女グリフィルの言うことを総合すると、薬を飲んだだけではだめなので、その後女を探して性交しろと言っているのだ。俺が、転生した中身がオヤジでなければ、赤面して逃げ出しているところだ。
「しかし……ホライ・ゾンの船に、女は……一人いるが、現在どうしているかわからないぞ」
「わかっているよ。ホライ・ゾンの血が体内に溜まったままで、同じ船になんか乗せられるかい。ホライ・ゾンの血が、本来の役割を思い出してまた脳に戻るのがオチだ。これから、あんたを地上に送る。そこで、まずどこかの女の中に血を吐き出してから、ホライ・ゾンの船に戻るんだ。あんたが地上に戻れば、ホライ・ゾンの方から見つけるはずだ。ずっと内陸に住んでいれば見つからないだろうけど、海辺の街にいれば、数日中には迎えが来ると思いな」
「……難しいな。一応聞くが……ホライ・ゾンの血を流し込まれた女は……どうなる?」
「苦しむね。だけど、直ぐには死なないだろう。ホライ・ゾンが生きているうちは、体を蝕まれる。早く解放してやりたければ、ホライ・ゾンを倒すんだ。時間がかかるようだと、あんたが移した血のせいで、その女は死ぬかもしれない」
「……最悪だな」
「私は、魔女なんだよ。薬を飲みな。そうしたら、ピノに送ってもらいな。ピノは、地上までこいつを送ったら、直ぐに戻りなよ。こいつについて行っても、辛い思いをするだけなのはわかっただろ」
「……うん」
いつになく神妙な顔をしていたピノに不安を覚えながらも、俺は渡された魔女の薬を飲み干した。




