76 ふん。とんだ意気地なしだ。
それから、俺は一方的になぶりものにされた。
巨体な顎で噛み付かれ、砕かれ、割かれ、魔法で癒す。
その繰り返しだ。幸いなのは、食べられても消化されることがなく、朽ちた肉の間から脱出できることだ。
気がつくと、俺は岩の上に投げ出されていた。
投げ出され、すぐに置き上がる。
海竜の死体は、鎌首を持ち上げて俺を見つめていたが、やがてゆっくりと沈んだ。
「……ど、どうしたんだ?」
「知らない」
俺の背後から声が聞こえる。俺の背中側の岩壁から、ピノの首が突き出ていた。岩の中でも自由に泳ぎ回れるという特殊能力を持つ人魚のピノは、安全な岩の中に隠れていた。首だけを出すこともできるらしい。
「体力切れかな……ゾンビに体力があるのかどうかわからないけど、魔力で動いているなら、魔力切れかもしれない。一定のダメージを受けると動かなくなるとか……条件があるのか?」
試してみなくてはわからない。俺には、あえて試してみる理由はない。だが、このままでは終われなかった。
「どこにいくの?」
せっかく大人しくなった海竜の死体に向かおうとした俺を、ピノが呼び止める。
「魔女に、あれの爪を取ってくるように言われているんだ。このままじゃ帰れない。なんとかして、爪の一枚でも剥がさないと……」
「これじゃ、だめなの?」
ピノは、ピノの手のひらより大きな、鉤爪を見せた。茶色く変色しているが、さっきまで暴れていた海竜の爪だろう。直接捕まれ、握りつぶされそうになった爪だ。よく覚えている。
「ど、どこで手に入れた?」
「だって……カロンを掴んだまま、爆発して、手だけもげたでしょ。水の底に落ちたから……岩の中を潜って、取ってきたの。海竜は海の生き物だから、私は一緒に岩に潜れるわ」
なるほど、それなら安全だ。俺はピノの持つ爪を受け取り、同時にピノを受け取った。
「キャッ……カロン、どうしたの?」
ピノを受け取った俺は、両腕で抱きしめていた。
「あっ……ごめん。つい、嬉しくなって。これで……でっかい竜のゾンビと戦わなくてすむ」
「うん。よかったね」
ピノが、俺の頭をいい子いい子と撫でる。俺は、念のため海竜の腕が復活していないことを確認したくて、少しだけ近づいた。
水の中から、巨大な死体が立ちあがる。片手にあたる場所の、手首から先がなかった。
俺は、それだけを確認して、ゆっくりと下がった。
静かに、海竜が水の中に戻る。
どうやら、俺が遠くにいるから、というただそれだけの理由で、海竜は反応していたらしい。
とにかく、仕事は終わった。俺はMPを回復するために、その場に座り込んだ。
俺とピノが一緒に戻ると、魔女グリフィルは渋い顔をした。
「ピノには知らせるなって、言ったはずだがね」
「知らせていない。ついてきてしまったんだ。どうしようもない」
「それも含めて、追跡されるなって意味だとは思わなかったのかい?」
魔女の研究室で、グリフィルはいらいらと愚痴をこぼした。俺には冷たくあたる一方、ピノは話を聞いていなかった。研究室に来るのは初めてらしく、壁の中を泳いで、時折顔を出しては置いてあるものを悪戯している。研究室は水没していないので、ピノが自由に移動するには、壁に潜る方が簡単なのだ。
「俺は、ピノに黙って行ったつもりだった。入り口についたら、ピノがいたんだ。帰れとも言えないじゃないか」
「ちっ、わかったよ。ピノ……あれを見たのかい?」
「うん。お友達に会ったよ。小さくなっていたけど、元気そうだった」
ピノの言葉に、グリフィルは怪訝そうに眉を寄せた。グリフィルが予想していたのとは、違う反応だったのだろう。
俺は、ますますピノが好きになった。単に、グリフィルのことが嫌いだったこともある。
「でかくて、脚がたくさんあるカニは殺した。ピノの友達は小さな蟹らしい。でかいカニがピノのことを知っていたらしいが、ピノにとっては、そいつは友達ではなかったようだ」
「……そう……かい。まあ、ピノがいいっていうのなら……まあ……いいのかねぇ……」
「そのことはいいだろう。ピノが納得しているんだからな。ほらっ。これが、海竜の爪だ」
「ほう……本当に採ってきやがったかい。こりゃ、本当に勇者かもね。確かに、あんたはまだ弱い。ホライ・ゾンにも勝てないだろうし、魔王には歯が立たないよ。それでも、あんたに賭けたいと思わせる何かがあるようだね。カロン……いつまでも、魔将の配下でいる場合じゃないだろう。ホライ・ゾンを殺しな。それで、お前の背負った罪を帳消しにしてやろう。お前はまた、本物の勇者に戻るんだ」
「ホライ・ゾンを殺せというのはわかるが……あれは魔王の配下だし、あんたたちとは仲が悪そうだ。だが、それで俺の罪が消えるっていうのは、どういう意味だい? あんたは、俺の罪を捌ける身分じゃないだろう?」
俺が尋ねると、グリフィルは面白そうに笑った。
「はっ! 本当に、何も知らないのかい。私は海の王の妹だ。ただの魚人が、海の王として君臨できるはずがないだろう。子供たちが神聖な人魚になるはずがないだろう。私の兄は、この海を統べるよう生まれついている。私は、罪を裁く力がある。海で産れた者だけじゃない。海で生きている、全ての者だ。その私の見立てじゃ、カロン、あんたはどっぷりと罪を犯して、ぬぐいきれない闇をかかえている。その罪を背負ったままじゃ、魔王を倒す本当の力は得られない。人間たちの言葉で、堕落した、とでもいうのかね。私は、その罪を帳消しにしてやることができるのさ。もちろん、自在に、じゃない。見合っただけの働きをした者に、という条件がつく。カロン、あんたは、ホライ・ゾンを殺しな。誰にもできない。いや、できなかった。あんたの犯した罪を償うには、そのぐらいの試練が必要なのさ」
つまり、魔女グリフィルとは、海の神様に近しい存在だということなのだろう。理解できたかといえば怪しい所だが、俺にホライ・ゾンを殺せと言っているのはわかった。
「だが……俺自身には、ホライ・ゾンに恨みはない。殺す動機がない。悪い奴かもしれないが、俺自身の罪を償うために、恨みもない奴を殺せというのか?」
「ああ。そうだ。カロン、あんたは童話を聞いたことがないのかい? 鬼退治に行った勇者は、鬼を恨む理由があったのかい? そうじゃないだろう。鬼がいたから、人間たちが困っていたから、正義のために鬼を殺したんだ。カロンの罪を拭うためには、正義のために、恨んでもいない魔将を殺さなくちゃならないのさ」
「……少し、考えさせてくれ」
「ふん。とんだ意気地なしだ。てっきり二つ返事だと思ったよ」
「カロン、どうしたの?」
ピノが俺の前で踊る。いや、踊っているわけではないのだ。ただ、楽しそうに泳いでいた。話の内容を聞いていたのかどうかわからないが、俺はピノに心配されるような顔をしていたのだろう。
「なんでもない。ピノ、戻ろう」
「うん。何して遊ぶ?」
「俺が横になっているから、その上でピノが寝ているっていうのはどうだい?」
「それ、遊びじゃなくて、寝るときいつもやっているじゃない。いいよ、カロンが疲れているなら、先に寝よ」
「ああ」
俺が背を向けると、冷たい声が飛んできた。
「三日やる。その間に決断しな。その間に結論が出せなければ、お前は私の敵だ。ピノを含めて、全てを失うと思いな」
「わかった」
俺はピノを連れて、グリフィルの城の与えられた部屋に戻った。




