75 魔法なんて使えたんだ
ピノは俺が事前に言って置いたように、岩の中に潜った。持っているのが海産の蟹だけなので、全身が隠れた。
目の前の変異したカニもどきは、ピノの中では友達だったことなどない、ただの不気味な魔物らしい。
俺が身構えると、視界にカニモドキの名前が踊った。敵として認識されたのだ。
俺は剣を構え、魔法を放った。
「ザン」
カニもどきの足が数本折れとんだ。だが、本体には届かない。
カニモドキは俺を正面に見つめたまま、真横に移動する。
俺は向きを変え、視界の中央にカニモドキを据える。
巨体にもかかわらず、カニモドキは素早い。近づかずに魔法を放った。体から無数に生えた細い足は砕け散らせることができたが、本体には傷がつかなかった。ホライ・ゾンにより強化された魔法でも、カニモドキの甲羅を砕くことはできなかった。
「ザン」では致命傷が与えられない。俺は、「ボヤ」に切り替えた。カニモドキの動きは止まらない。
効果がないはずがない。体から湯気が上がっている。焼きガニになりながら、俺に戦いを挑んでいるのだ。
俺は背後に飛んだ。
飛んだ場所に、カニのハサミが振り下ろされた。地面が抉れる。凄まじい破壊力だ。
「ボヤ」
俺は魔法を放ちあえて距離を詰めた。カニモドキに離れた場所を攻撃する手段はない。近づくのは悪手だと知りつつ、懐に入った。
カニモドキの長い手足が、逆に使いにくくなると判断した。
懐に入った。体を寄せた。鉄の剣を突き立てる。
剣先がはじかれた。
硬い。俺が知る限り、ここまで硬い相手と戦ったことはなかった。
立て直しだ。俺はさらに背後に飛ぼうとした。距離を稼ぐつもりだった。だが、背中が押された。
押されたと思ったが、実際には掴まれたのだ。カニモドキの長い足が、折りたたまれて俺の背に回されていた。
「ザン」
カニモドキの、張り付いた人間の顔が歪む。甲羅は傷つかない。だが、効いていないわけではないのだ。甲羅の内側には、確実にダメージが入っている。俺は、そこに気づくのが遅れた。「ザン」を連発していればよかったのだ。
俺の体を抱き寄せたカニモドキが笑った。身体中から生えていた細い足は、俺の魔法でほとんど残っていない。そのはずだった。そう思っていた。
自らの意思で生やせるとは、思わなかった。
俺を抱いたカニモドキの体から、細い足が突き出した。細いゆえに貫通力に優れ、肉を貫く鋭い刃となった。
「カロン!」
ピノの声が聞こえた。全身が痛む。俺は、この世界にきてまともに防具などつけていたことはなかった。そのツケが来たのだ。
俺の口から血が溢れた。内臓が血を吹いているのだろうと、ぼんやりと考えた。
「痛いな」
「ピノを騙した報いだ」
「だが、ピノは俺が、幸せにする」
「人間なんかに、ピノを幸せにできるものか!」
「バン、レベル2」
俺が先ほど取得したばかりの魔法は、これまでの魔法と違って使う時にレベル設定があった。消費魔力は「バン」のレベル累乗である。レベル2の「バン」は、MPを25消費する。「ザン」の5倍だ。
結果はすぐに現れた。
俺の目の前で、カニモドキが爆発したのだ。
俺も吹き飛ばされた。
背後に飛び、なぜか壁には叩きつけられなかった。
「カロン、カロン!」
ピノの声が背後から聞こえた。耳元で叫んでいた。どうやら、俺の体をピノが受け止めたらしい。
「……ピノ?」
「カロン、ダメ! 死なないで!」
「……ピノ……」
「どうして? どうしてカロンが死ぬの? 私を一人にするの?」
「大丈夫だ」
「私は……私は……これからどうすればいいの? 一人で、何をして遊べばいいの?」
一人になって退屈することの心配だろうか。俺は、大事にされているのだろうか。あるいは、ただのペットだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながら、これ以上放置すると死にそうだったので、自分の体に回復魔法「メディカ」を使用した。
身体中の傷が塞がる。出血も止まった。だが、まだピノは俺の体にすがりついていた。
俺の名を叫び、死なないように呼びかけている。
もう大丈夫なのだが、どうやってそれをピノに理解してもらおう。
いくつか方法を考えた。やはり、正攻法が一番か。
騒ぎ続けるピノの口を塞ぐ。俺の口で塞ぐ。これが正攻法かと異論はあるだろうが、俺にはわかりやすい方法だ。相手の意表をつくのだ。
ピノは、何が起きたのかわからないらしく、俺と口づけをしながらも叫び続けようとしたが、俺が舌でピノの舌を押さえつけると、何をされているのかピノが理解し始めた。
瞳に理性の色が戻り、頬を紅潮させた。
顔が離れる。
「……カロン……エッチ」
「ごめん。俺が大丈夫なの、話しても聞いてもらえなさそうだったから」
「そんなことないよ。でも……どうして大丈夫なの? あんなに刺されて、血もいっぱい出ていたのに」
「……回復魔法だよ」
「そんなこともできるの? カロン、魔法なんて使えたんだ」
今まで、俺がどうやって戦っていると思っていただろうか。ひょっとして、忘れているだけかもしれない。とにかく、また一つ、障害をクリアしたことは確かだ。
俺は、そのまま横になった。傷は塞いだが、ここ数十分で無理をしすぎている。体が限界だ。
次の部屋では凶暴化した魚人と対面した。顔からしてマグロで、俺は海の王の一族かと緊張した。だが、ピノが言うには、全く関係ないとのことだ。全然似ていないと言われたが、俺には魚の顔の見分けはつかない。ピノが言うのには、海の王は男前らしい。
自分の父親だから持ち上げているのかもしれない。俺の顔がどう見えているのか実に不安ではあるが、聞くのが怖かったので黙っていた。
凶暴化したマグロの魚人は強敵だったが、俺を捕まえたのは失敗だった。至近距離で魔法を連発すると、動かなくなった。
少し休んで次の部屋に行き、半分水に浸かったままの、海竜の死体をみつけた。
竜といわれてドラゴンを想像したが、俺の目の前にいたのは、タツノオトシゴの成長したような姿をしていた。死亡しており、体の肉はほとんどが朽ちているために、はっきりとは解らないが、この世界のタツノオトシゴは、成長すると本物の竜になるのかもしれない。
「……ここが目的地?」
ピノが、相変わらず可愛らしく、首を傾けた。
「うん。この死体の爪をもってくるように言われている」
「……でも、神様だよ」
「神様? 海竜は、神様なのかい?」
「うん。そう言われているけど……こんなところに、ご遺体が……ここ、霊廟なのかな?」
「わからないけど、爪を貰うぐらいはいいんじゃないかな?」
ダメだろうか。魔女は、ピノには知らせるなと言った。その理由は、ピノの友達がいるかもしれないから、ということだった。その友達は実際にいたし、ピノは乗り越えた。気づかなかったのかもしれないが、とにかくもう問題はない。だが、魔女が全てを俺に教えているとは限らない。より深刻な問題を隠していたのかもしれない。
ピノが俺について来なければ、問題にはならなかったことだ。
「いいんじゃない? 必要なんでしょ?」
それほど問題ではなかったようだ。俺は脱力しながら、竜の骸に向かった。
竜が巨大だったため体の半分しか水に浸かっていなかったが、俺の足がつかない程度には深さがあった。
長い胴体が丸まっている。蛇がとぐろを巻いているのに似ている。海の神様は、眠るように穏やかに死んだのだと思われた。もっとも、死んでいるので現在の神様は別の存在となっているのだろうが。
俺は爪を取りに水に潜った。その時、波に揉まれた。
体が洗濯機に放り込まれたようにもみくちゃにされ、何が起きたのかわからなかった。
背中を打ち付けた。水の中にしては、激しかった。肺の空気を吐き出す。
体が持ち上げられた。
何かに、掴まれていた。
目の前に、巨大な柱がある。腐っている。フナムシだろうか。全面に張り付き、吐き気を催す光景である。
水の中からは持ち上げられている。俺は顔を上げた。どうやら、海竜は死んだ後、ゾンビ化していたようである。これまで、必要がないので動かなかったのだろう。
腕が短いので、俺とは目が合わない。首があちこちを向いていたが、一箇所に止まった。
「ひっ!」
ピノの悲鳴が聞こえた。ピノに狙いを定めたのだ。俺を掴んでいながらピノに目をつけたのは、俺を握っていることを忘れたのかもしれない。ゾンビなので、知恵は回らないのだろう。
「ピノ! 岩の中に!」
「うん!」
「バン、レベル3」
消費MPは125にも及ぶ。俺は、目の前の竜の腕を爆発させた。
爆発と同時に俺を掴んだままの腕が破裂し、俺は宙を飛んだ。
岩の壁に叩きつけられ、地面に落下する。水中でなかった分痛いが、むしろ幸いだ。水中で襲われたら、海竜相手に何もできないだろう。
俺の目の前に、竜の巨大な顔が迫った。俺はまだ、破裂して持ち主をはなれた竜の手に掴まれている。動けない。
手が動かず、魔法の狙いをつけることができない。もう少し時間があれば、対処できたかもしれない。だが、ゾンビとなった海竜の動きは早かった。
俺を、自分の手ごと噛み付いた。ボキリという音が聞こえたが、竜の手の骨が砕けたのだろう。
俺の体にも牙が刺さり、強靭な顎で噛み砕かれる。
「メディカ、タイカ」
自分の体を癒し、同時に見える範囲の全てを焼く。
急降下した。竜が俺を口に入れたまま、水に潜った。
俺を掴んでいた竜の手は砕かれている。俺は闇雲に手足を動かした。竜の喉の奥に入るが、死体である。穴が空いていた。
喉の後ろから、俺は飛び出した。
海竜が水の中で旋回する。俺に狙いを定めているのが、はっきりとわかった。




