74 この子、カロンの前の私の友達だったの
スキル、コンシンとガマンを同時に発動させる。最も無茶が利くコンボだ。
水中を全力で進む。ピノの遊びで泳ぐスピードの半分にも及ばないお粗末な泳ぎなのはわかっているが、現在の俺の全力だ。
それでも、ピノの体がどんどん遠ざかる。
その先に、暗い巨大な口があるのがわかった。
吸い込まれて行く。口の上下に、鋭い牙が並ぶ。ピノが吸い込まれる瞬間、開いた口が閉じられようとした。ピノを狙って捕食しようとしているのが明らかだ。
俺は、とっさに魔法「ヒエ」を発動させる。しばらく使っていなかった、氷の魔法だ。俺の魔法の最大の長所は、狙った相手に直接作用することにある。つまり、絶対に外さないし、離れていてもタイムラグがない。
ピノの細い胴体を食い破ろうとした鋭い牙が止まる。口の周りが凍りついたためだ。
「ヒエ」の効果は大きく、頭部全体が氷で覆われた。口が閉じるのが遅れた。水中であり、十分には利かなかった。口の動きを止めたのも一瞬だ。だが、そのわずかの時間で、ピノが口の中に吸い込まれる。牙が刺さらなかったのなら、すぐには死なないだろう。
俺はひとまず安堵し、ピノを追いかけて、開いた口の中に飛び込んだ。
俺が飛び込んだ時に口が閉じられ、俺は足を深く牙でえぐられたが、すぐに回復魔法「メディカ」で傷をふさいだ。
俺は長いうねうねとした通路を伝い、大きな袋の中でピノに追いついた。
俺がピノの腕を掴んで抱き寄せると、ピノは驚いた目で俺を見た。
激しく首を振る。その意図はわからない。だが、早く脱出しないと、また俺が死んでしまうだろう。
俺はどこでもいいと思いながら「ザン」の魔法を使用した。「ザン」の傷跡の大きさで、威力が強化されているのがはっきりとわかる。
一撃で目の前の壁が縦に割れ、大量の体液が溢れ出る。俺たちが囚われた洞穴が激しく動いた。痛いのだろう。
痛くても仕方ない。ピノを食い殺そうとしたのだ。
俺は立て続けに「ザン」を使用した。同じ箇所を狙う。5回使用したところで、新鮮な海水が流れ込んできた。外につながった。つまり、俺とピノを飲み込んだ巨大な生き物の体に穴を開けたのだ。
俺がピノの肩を叩いてその傷をしめすと、ピノは頷いて俺の肩を抱き、裂けた傷口に飛び込んだ。
相変わらず人魚の泳力は凄まじく、俺を担いだ状態で一気に脱出した。
さらに水の中をピノに連れられて移動する。その途中で、俺たちを食べたのが、巨大なアンコウだったのを確認した。
海の生き物の生命力は強い。体に穴を開けられたぐらいでは、簡単には死なないだろう。
呼吸を止めておくのもさすがに限界だと思った時、俺は海面に顔を出した。
俺は大きく息を吸いたかったが、なぜかその暇も与えられずにピノに引っぱられた。
水がない場所まで引きずられ、仰向けに転がされる。俺の上に、ピノが覆いかぶさってきた。
「ピノ?」
「早く、空気を送らないとカロンが死んじゃうわ」
ピノが動転しているのだとわかった。過去2回、死にかけた俺をピノが生還させた。水中で戦った俺を、ピノは再び死にかけていると勘違いしたらしい。
「ピノ、大丈夫だ。俺は、今回は、息もしっかりしているし……んぐっ……」
俺は口を塞がれた。ピノの口で塞がれた、ピノの息が俺の肺に満ちる。
さすがは人魚だけあり、凄まじい空気量が送り込まれてきた。肺が破裂するのではないかと思うほどの量で俺に空気を送り、ピノは頭を上げた。さらに息を吸い込む。
また同じことをされたら、肺が破裂してピノに殺されると思った俺は、覆いかぶさってくるピノの顔に手をあてがった。
ピノの、珍しく真剣な眼差しが俺に向けられる。困惑したような光を帯び、その瞳が、ゆっくりと鎮まっていく。
「……カロン? もう、大丈夫なの?」
本当は初めから大丈夫だったことは、黙っていたほうがよさそうだ。俺がゆっくりと頷くと、ピノの体から力が抜けた。
崩れそうになるピノを受け止め、俺は以前にそうしたように、ピノを抱き寄せた。
「ピノに助けられたのは、3度目かな?」
助けられたのは嘘ではない。発端はピノが不用意に泳ぎ回ったからであり、ピノを助けるために飛び込み、脱出したのだが、ピノがいなければ水中で息が切れていたかもしれない。
「……たった3回? もっと、いっぱい助けたと思う」
「……ああ。そうだな。ピノがいなければ、俺は死刑になっていた。ピノがいなければ、タイラントと戦っていなかった」
「それに、私がいなければ、かくれんぼもできないでしょ」
それは、助けられたうちには入らないだろう。俺は思ったが、ピノには逆らえない。
「数え切れないな」
「うん。これからも、私に助けられてね」
ピノはわからないことを言う。そう思ったが、俺はピノが、これまで誰に頼られず、姫として軽んじられてきたことを思い出した。ピノは、誰かに必要だと言ってほしいのだ。役立たずだと思われたくないのだ。
俺は体を起こし、ピノを抱き上げる。
「ピノがいないと、俺はダメだからね」
「仕方ないわね。カロンは」
言いながら、ピノはとても綺麗な笑顔を見せた。
ピノが引き摺り込まれた海底は、俺が進むべき方向ではなかったようだ。壁伝いに濡れないで移動できる通路があり、その先に石の扉があった。
どうやら、俺は戦う必要のない相手と戦ったらしい。
ピノを責めることはするまい。
「……あっ。本当に、この洞窟はおばさまの研究した子達がいるのね」
突然だった。疲労した体を休め、そろそろ次の部屋に行こうかと俺が思っていた時、ピノが言った。
「どうした? さっきのアンコウ、知り合いか?」
「ううん。違うの」
ピノが、俺の上から降りて、水の中に手を伸ばした。
白い指先に、小さな蟹がはさまれていた。
俺の目には、ただ美味そうだという感想しか浮かばない。
「その蟹が、どうしたんだ?」
「私には、わかるわ……この子、カロンの前の私の友達だったの」
「その……蟹が?」
「今はこんなに小さいけど……タイラントの生贄に選ばれる前は、私よりずっと大きくて、色々と口うるさかったわ。最後に喧嘩して……知らない間にタイラントのところに連れていかれて……ずっと後悔していたの。また会えたら……ちゃんとお話ししようって……」
俺には、ただの小さな蟹にしか見えない。ピノが単なる頭のおかしな子だとは思わない。きっと、何かが違うのだ。
「魔女グリフィルの研究で、小さくなったのかな……それとも……本来の姿に戻ったのかな。なら……グリフィルの研究も、悪いものばかりじゃないんだな」
俺は、グリフィルは凶暴な魔物を生み出す研究をしているのだと思っていた。だか、それならば、入り口にいたタツノオトシゴ兵は失敗ではないだろう。さっき俺とピノを食べようとしたアンコウが、研究の影響かどうかはわからない。
変化した魔物を元に戻すことが研究に含まれるとしたら、確かに俺に施されたホライ・ゾンの呪いも解けるかもしれない。
「おばさまは、いい人だもの」
なぜか、ピノはグリフィルを信じている。
「そのサイズになって、話はできるのかい?」
俺は、再びピノが持つ小さな蟹に話を戻した。
「私だってことはわかっているわ。だって、こんなに懐いているんだもの。ひょっとして、私にお話をしてくれているかもしれない。でも……私には聞こえないわ……ごめんね」
ピノは手にした蟹に謝罪した。声を聞いてあげられないことを謝罪した。
「その子、どうする? 一緒に連れて行くかい?」
「でも……カロンの邪魔になるわ。私だけでも足手まといなのに」
「ピノが足手まといのはずがないじゃいか。俺を助けてくれたのに」
「……そうだったわ。また助けてあげる。なら、一緒に連れて行くわ。おばさまのところに連れて行けば、お話だけでもできるようにしてくださるかもしれないし」
「よし。じゃあ、次に行こう」
俺が立ち上がると、ピノは水面を手で叩いた。なんの意味かと俺が振り向くと、抱き上げて連れて行けと手でしめした。
俺の邪魔をしたくないのではなかったのか。俺は思ったが逆らえず、ピノを抱き上げて通路を歩き、石の扉をくぐった。
真っ青な色をした不気味なカニが、サメを思わせる巨大な魚を解体していた。
カニだと思わせるのは、固そうな甲羅と長い爪、足からの連想だ。実際には、蟹とは断定できない姿をしていた。
足が身体中から生えて、まるでハリセンボンのように見えたし、泡を吹く口の周りには、人間そっくりの顔が張り付いていた。ただひたすらに不気味なカニだ。体も、立ち上がった俺の身長ほどもある。
「……ピノ?」
俺が鉄の剣を構えた時、体ごと振り向いた巨大なカニが、俺が抱っこする人魚を認めて声を出した。
「知り合いか?」
「知らないわ」
俺の問いに、ピノは断言する。
「僕を忘れたのかい? ほらっ! 僕が茹でガニより生の方が美味しいって言ったら、喧嘩になって口もきかなくなったじゃない。その後、タイラントの生贄にされたピノの騎士、ワタリガニのザリだよ」
巨大なカニが自分の顔をハサミでさして訴えている。ピノが先ほど俺に語った思い出話とかなり部分が符合するが、ピノは首を振った。
「そんなはずないわ。ザリはここにいるもの!」
ピノは高く手を挙げた。その手のうえに、先ほど拾った小さな蟹がいる。ピノが発見し、友達だと断定した
小さな蟹である。
巨大なカニは、顔を歪めた。体は大きいが、本物の蟹と比べて目が突き出ていないし、位置も低い。ピノが手を掲げたために、その上に乗っているものが見えなかったようだ。
ピノは手のひらを上にして、高々と掲げている。どうも、ザリと名乗った巨大なカニの視線から察すると、ピノが俺を友達だと紹介したように見えたらしい。
「僕のピノを騙して……僕の名前を語っているんだね。そいつ……人間じゃないか。人間なんかと……一緒にしないでよ」
体が大きく見た目も醜悪だけに、口調が可愛らしいのが逆に不気味だ。ピノは怪訝な顔をする。
「この子が人間のはずないじゃない。どう見ても、蟹でしょ」
ピノが言っているのは、ピノの手のひらの蟹だ。
「許さない。ピノを返せ!」
どうやら俺は、ピノの友人と、ピノをかけて戦わなければならないらしい。




