70 せっかくこのサイズまで育てたんだよ
3日後、俺はピノと『生贄の祭壇』にいた。
それが、タイラントという魔物に生贄を捧げる場所の正式な名称らしい。
名前として祭壇となっているからと言って、神に捧げる宗教的な意味がある場所ではないらしい。ただの餌場だ。
だが、それでは犠牲になる者たちが救われないため、厳かな名前をつけたのだろう。
俺は繋がれず、ピノは俺が着ていた上着をきせられていた。さすがに俺も海賊の幹部になってから、奴隷の時よりましな服を来ていたし、ピノは海産以外のものを身につけると、岩の中を泳いで逃げることができない。
お姫様であるピノが着てもみすぼらしくなく、ピノを拘束するための服として、俺の着ていた服が利用されたのだ。
俺の方が拘束されなかったのは、ピノが一緒なら逃げるはずがないと、なぜか考えられているのを、通りすがりのタツノオトシゴ兵の会話から知っていた。
3日あれば多少はレベルアップも測れたはずだが、俺は勇者レベル18から変化していなかった。タイラントの情報も、ほとんど得られなかった。
結局、3日間ピノの遊びに付き合ってしまった。ピノは無邪気に遊び、俺はずっと付き合っていた。睡眠も食事もピノと一緒である。すっかり、この人魚姫の所有物となっていた。
「ピノ、タイラントってどんな奴だ?」
俺がこの質問をしたのは数え切れないほどである。だが、まともな答えが返って来たことはない。まともに聞いてくれたのも、今が初めてだ。
どうして、今は聞いてくれるのか。
他にすることがないためだ。
生贄の祭壇に居るように命じられ、俺もピノも、遊びに行くわけにはいかない。ただ、当のタイラントが現れるのを待つしかないのだ。
「おっきい怪物……って聞いているけど……見たことはないわ」
「大きい……か。クラーケンより大きいのかな。海の生き物なら、クジラかな?」
「……知らない。でも、そんなこと聞いて、どうするの? どんな食べられ方をするか、想像するの?」
ピノの話し方は、俺が知っているどのピノの話し方よりも、悲しそうだった。これまで笑っている顔しか見たことがなかった。だが、生贄の祭壇につれてこられてから、ピノは一度も笑っていない。
「……ピノ、死ぬのは嫌か? 食べられるのは嫌か?」
「うん。逃げたい」
「逃げられない。だけど……戦うことはできるだろう」
「戦うって……どうやって?」
「まずは、こうだな」
俺は、アイテムボックスから鉄の剣を取り出した。ピノが驚く。
「凄い。どこから出したの?」
「問題はそこではなく……まあいいや。剣で殺せるような相手ではないだろうが、時間は稼げる。簡単に殺されなければ、勝つ方法を探せるかもしれない」
「……カロンは、ずっとそんなことを考えていたの?」
「あ……ああ」
俺は、海底の住人に殺されても構わないとまで思っていた。俺自身の罪は、それほどまでに重いと感じていたからだ。今でも、それは変わらない。だが、俺を生かそうとした、俺をかばってくれたピノが、ただ運が悪いからという理由で化け物の餌にされるというのは、許容できない。
俺は戦おうと思った。勝てなくても、戦うのだ。懸念としては、タイラントが海底の住人にとって本当に神聖な存在で、ピノも殺されることを望んでいるという可能性だが、ピノ自身は死ぬことを恐れている。ならば、俺はピノを守ろう。その結果、海底の住人を敵に回しても、今更だ。
「ピノ、もしタイラントを殺せたら……俺たちはどうなる?」
「……私に、プロポーズしているの?」
ピノは意外そうな顔で尋ねた。かなり本気の顔だったので、俺は焦った。
「そ、そうじゃない。ただ……タイラントは海底の住人から崇められていて、殺したら罪になるとか……そういうこともあるだろう?」
「それなら……心配ないと思う。パパは、いつもタイラントの悪口を言っているから」
それは、安心の材料にはならない。信仰していないが、神として崇めざるを得ないような場合は、いくらでもあるだろう。タイラントがそうではないという保証はどこにもない。だが、俺はそう言えなかった。
重い物を引きずるような低い音が響き、海底が震える。その強大な存在が響かせる音を、俺は聞いてしまった。
全身が震えた。生きた気がしなかった。
「……こ、これか?」
まだ姿は見えない。不自然なそり立つ水の壁が震えている。姿が見えないため、俺はただ振動を意味して、『これか?』と尋ねた。
ピノが震えながら頷いた。
「知らないけど……たぶん……」
どうやら、俺は神話級のモンスターと戦わなければいけないらしい。
重い音ともに、縦になった水面が震える。
水面からの光の照り返しがなくなり、少しだけ暗くなる。
俺の上に影が落ち、俺の影に、ピノが隠れた。
俺の体にしがみつき、ピノはがたがたと震えていた。
俺は鉄の剣を心もとないと、これほど思ったことはなかった。
剣を構え、俺の上に影を落としたモンスターを待ち受ける。
海底の王国と深海を分ける、垂直に切り立った水面に影が浮かび、水面から、俺とピノがいる場所に、ぬめ光る巨大な物質が現れた。
ウミウシ、だと俺は思った。巨大な体は、海の牛と呼ぶのにふさわしい。だが、俺が知る世界のウミウシは、ナメコのような滑った体をした、実に小さな生き物で、様々な彩色が楽しめる生物だ。観賞用としても一部のファンがいる。
俺の認識をあざ笑うかのように、巨大なウミウシの表面は黒く、ぶよぶよとしていた。
上の方に穴が空いた。たぶん、口だ。頭部だろうか。いや、口があるからといって、頭だとは限らない。
「……ターーーイラーーーーーーントーーーーー」
がらがらとしわがれた声で、巨大なウミウシが吠える。ウミウシの鳴き声が『タイラント』と聞こえるため、その名がついたのだろう。
「ピノ……下がっていろ。ただでかいだけのやつなら、どうにでもなる」
「うん……カロン……」
俺は、目の前に迫る巨大な壁に目を向けながら、ピノを振り向こうとした。体に衝撃を受けた。ピノがしがみついていた。
「ピノ、これからあいつを倒す。離れていてくれ」
「約束だよ。私より、先に食べられないって」
「ああ。わかった。だから、下がっていてくれ」
「うん」
ピノの去り際、俺は剣を一閃した。ピノに着せられていた俺の服を切り裂く。剣の心得など元の世界ではなかったが、この世界で訓練をし、レベルをあげ、この程度なら簡単にできるようにはなっていた。
「タイカ」
ホライ・ゾンの血を飲まされたことにより、強化されたと思われる魔法を放つ。
人間であれば、一撃で一軍を行動不能にさせるほどの巨大な火が、タイラントを包む。
「ターーーーイラーーーーーントーーーーー」
巨大なウミウシの全体が火に包まれた。苦しんでいるのか、祭壇に体をぶつけるように倒れる。俺は下敷きにならないように慌てて移動し、さらに魔法を放つ。
「ザン」
黒い体に、ざっくりと傷が口を開けた。青い体液が流れ出す。
タイラントの血は青いらしい。
「ボヤ」
さらに追い討ちをかけながら、俺は走った。タイラントの体に迫る。
鉄の剣を突き刺すと、軽々と柄までがめり込んだ。
「ビリ」
ヤモリドラゴンを狩った、究極の技だ。ビリもやはり強化されているらしく、ウミウシの体がびくんと跳ねた。
床に落ち、動かなくなる。
勝ったのだろうか。巨大な体は確かに驚嘆だが、この程度なのだろうか。
俺は不思議に思った。俺が予想外に強くなっているのか、あるいは、タイラントの巨体を恐れて誰も戦おうとしなかっただけで、そもそもあまり強くないのかもしれない。
考えてみれば、これほどの巨体で人間サイズの肉を食べたところで、大した栄養になるとも思えない。自力で餌をとるのも難しかったから、食事をねだった結果、生贄を差し出されることになったのかもしれない。
真相はわからないが、とにかく俺はタイラントを倒し、ピノを救った。
巨大な肉の塊の隣で、へたり込む。
「……終わった? えっ? カ、カロン……勝ったの?」
祭壇の脇から、ピノの頭がひょっこりと出ていた。
「ああ……どうやら……」
「ああっ! なんてことをしてくれたんだい! せっかくこのサイズまで育てたんだよ! 殺すことないじゃないか!」
海の中から祭壇の広間に入ってきた、イソギンチャクの下半身をしていると思われる女が、倒れたタイラントを見て嘆いた。
「……誰だ?」
「あっ、おばさまよ。海の魔法使いなの。おばさま、お久しぶり!」
知り合いを見つけるや、ピノは嬉しそうに泳いでいった。俺にはとめることはできない。ピノは、祭壇の岩場の、岩の中を泳いでいったのだ。




