71 エルフは夢見がちだからね
魔女グリフィルというのが、ピノのいう『おばさま』の名前だった。
タイラントを飼い慣らし、半年に一度生贄を求めたのは、グリフィルだったのだ。
「なぁんだ。じゃあ……食べられても平気だったの?」
「当たり前だよ。このあたしが、可愛い姪っ子を傷つけたりするはずがないじゃないか」
魔女グリフィルに抱きついたピノを抱え、イソギンチャクの下半身がゆっくりと旋回する。
「可愛い姪っ子、を生贄にしたのは、そのおばさんじゃないか」
俺が言うと、グリフィルにぎろりと睨まれた。
「ああ、そうさ。ピノの親父……あの石頭は昔からそうさ。融通が利かなくて、どんなにあたしが一族のことを考えて魔法を使おうとしても、決して許さない。あたしをおばさんって呼ぶのは、一度だけにしな。ピノに免じて許してやるけど、次はこうはいかないよ」
「でも、生贄を求めたのは事実だろう。今までの生贄はどうしている? 今回は、ピノだった。放っておいたら、食われていた。俺がタイラントを殺したんだ。そうしなくても、ピノが助かっていたという証拠があるのか?」
「……そんなものないさ。あたしが生贄を求めたのは、魔術の研究に使うモルモットが必要だったのさ。いままでの生贄は、当然魔法の実験に使用した。こうしなければ一族は滅びるんだ。黙っているわけにはいかないじゃないか。ピノだって、そう思うだろ?」
「……二年前に、私の従者のザリが生贄になったの。会いたいわ」
「ああ……もちろんさ。魔術の実験だっていっても、命に関わるようなことをするはずがないだろう。それに、タイラントに食われても、消化するには時間がかかる。あたしのところまでもって帰らせて、生きたまま吐き出させるのが、いつものやり方だよ。もともと、タイラントもあたしが作ったし、食べたものをすぐに殺さないよう、体の中に空洞があるのさ」
俺は、グリフィルと名乗る半イソギンチャクの魔女を睨んでいた。
言うことが信用できない。タイラントのような巨大な魔物を生み出し、半年に一度生贄を求めるという。
どんな研究をしているのかわからないが、タイラントが殺されるまで姿を見せなかった。生贄がピノであることは、すぐにわかったはずだ。俺が邪魔をしなければ、ピノもタイラントに食べさせていたのは間違いない。問題は、持ち帰った後だ。
「タイラントは死んだし、生贄を求めていたのは、魔女グリフィルだとわかったのだから、もう生贄は必要ないでしょうね」
「そうはいかない。実験は続けなければ行けないし、タイラントが死んだことにはならないんだよ。なにしろ、タイラントがどこの何者なのか、この宮殿の魚たちは誰も知らないんだからね。このでかぶつの死体を片付けて、新しく怪物を作ればいいのさ。問題は、この死体をどうやって片付けるかだね」
「ピノ、この人、信用できるのか?」
俺が尋ねると、人魚の姫はくすくすと笑った。
「私のおばさんよ。信用できないはずがないじゃない」
俺は、ピノのことを頭が悪いとは思っていない。だが、少しばかり思考経路が理解できない時がある。
「……わかった、ピノを信じる。グリフィル、あなたに協力するよ。ピノは生贄だし、俺も死刑宣告を受けた。タイラントを倒したからといって、罪に問われないということはない。タイラントの死体を片付けて、俺とピノがあんたのところに行けば、今まで通り、タイラントに食われたのだということになる。俺とピノも、あなたの話が本当かどうか確認できる」
「やれやれ、疑り深いんだね。あたしの言葉が真実だとして、その後、どうするんだい?」
「ピノを預かってもらい、俺は地上に帰る方法を探す。海の王は、俺を地上に返す気はないようだ。俺は、ホライ・ゾンに操られている。俺を逃すとは思えない」
「へぇ……ホライ・ゾン……7魔将にねぇ……いいよ。わかった。なら、一緒に来るがいい。タイラントの死体を片付けるって、まずはどうする気だい?」
「しまうさ」
俺は、アイテムボックスにタイラントの死体を入れた。一瞬で収納される。アイテムボックスの仕様を考えれば当然の結果だが、グリフィルが目を丸くした。
「あんた、魔法使いか?」
「それは、あなただろう」
「ああ……そうだった。驚いたね。あんなものを、一瞬で消しやがった。いいだろう。あたしの城に迎えよう。でも……見た所あんた、陸上の生物……しかも、人間だろう。海の中で生きられるのかい?」
「おばさまのお城、空気がある場所はありませんでしたっけ?」
「もちろんあるさ。イモリの黒焼きは、水浸しでは美味くない。城の中の問題じゃないんだよ。問題は、城までどうやって行くかってことさ」
「カロンなら大丈夫よ。ねぇ?」
ピノは楽しそうに、岩の中を泳ぎながら言った。脅威であるはすのタイラントを倒し、懐かしのおばさんに遭遇し、すっかりご機嫌だ。俺のことを高く評価している。だが、俺はいままでピノの前で長く息を止めていたのは……救出された時だけだ。ピノの言葉にはなんら信憑性はない。
「どれぐらいかかるんです?」
「人間が泳ぐには、かなりかかるよ。人魚の泳ぎで、ざっと五分かね」
俺は、ピノの本気の泳ぎというのは見たことがない。ただ流しているだけでも、並みの魚ぐらいの速度は出ているはずだ。マグロは時速200キロだという。そこまでは早くないだろう。また、先ほどのグリフィルが言ったように、タイラントの腹の中で、生きたまま生贄を運んでいたとしたら、それほど時間をかけて移動しているはずがない。
俺は、大丈夫だと判断した。
「それぐらいなら、我慢できる。ピノが、俺を連れて行ってくれるならな」
「任せて」
いつものように貝殻の胸当てだけの姿になり、目のやり場に困る半裸の人魚が、笑顔で自分の胸を叩いた。
俺は死なずにグリフィルの城にたどり着いたが、意識を保ったままというわけにはいかなかった。
海の王の宮殿の範囲から出た、つまり海水の中にピノに連れ出された途端、内臓を圧迫する強力な水圧に潰されそうになり、ずっとスキル、ガマンを使用し、最後はどうなったのかわからない。気絶してしまったからだ。
気がついたのは、唇に触れる柔らかい感触によってだった。
目を開けると、心配そうに覗き込んでいたピノの綺麗な顔が目に入る。
「……ありがとう、ピノ」
ピノに助けられたのは2度目だ。俺が礼を言っても、ピノは周囲を警戒するように視線を飛ばし、返事をしなかった。
気が済んだのか、再びピノが俺を覗く。その顔が、さらに近づいてきた。
俺の唇が濡れ、口の中に、柔らかい物質が入ってきた。ピノの舌だ。
しばらく、それは俺の口の中で暴れた後、ゆっくりと出ていった。
さらにピノは何も言わず、俺の胸に顔を押し付け、俺の体に抱きつきながら、全身の力を抜いた。
あまりにも無防備だが、現在でも下半身は魚である。
「カロン……死んだかと思った」
「ごめん。もう少し、頑張れると思ったんだが」
「カロンは、頑張ったよ。私が……忘れていたの。海に出たのは久しぶりだから、道に迷って、ようやくたどり着けたのが嬉しくて、おばさまのお城の中を泳いで……気がつくと、カロンが息をしていなかったの……」
改めて言われると、俺はかなり死にかけだったようだ。ピノがもう少ししっかりしていれば、気絶しなくても済んだのかもしれない。だが、言うまい。俺を助けてくれたのは間違いないし、ピノの性格を承知していながら、命を預けたのだから。
「ピノのせいじゃないよ。俺が、もう少し強ければ……」
「カロンは強いよ。タイラントも、倒したし……」
「あれは、巨大なだけであまり強くなかった。海の王は戦わずに避けていたからわからなかったか……あるいは、海の魔女と約束ができていたのかもしれない。それはないか。ピノを生贄にするはずがないものな」
「……わからないよ。お父様……私のことはあまり好きじゃないの。出来が悪いから……」
ピノは、自分が出来が悪いと感じていたのか。俺には意外だった。確かに、俺はピノの頭の中を幾度となく哀れんだが、本人は全く気づいていないものだと思っていた。
俺は、俺に寄り添うピノの体に腕を回した。腕に力を込め、しっかりと抱いた。
「カロンは私のもの……だけど……カロンは、私のこと、好き?」
「もちろん」
嘘ではない。嫌いになる理由はない。
「嬉しい」
ピノはあらためて俺の体に抱きつき、俺とピノは、しばらくそうしていた。地上で知り合った何人かの顔が脳裏をかすめたが、この時はピノのことしか考えることができなかった。
俺の体が動くのを拒否していた。
長い時間海水にさらされ、空気を奪われ、死にかけたのだ。HPは不思議に減っていなかったので、頑張れば動けるのだろうとは思うが、力が入らない。
ピノの、細い割によく鍛えられた体の感触を堪能する。体が鍛えられているのは、水中での移動では常に全身運動をしているからだと思われる。
どのくらいそうしていたかわからない。ピノは眠ってしまい、俺は何が起きてもはぐれないように、ピノの体をしっかりと腕に抱いた。
俺の視界に映るのは、陰気な暗い天井だった。石畳のような綺麗なものではなく、コウモリが巣食う汚れた天井のようだった。これは、暗いためにはっきりとは見えない俺の感想であり、実際には違うだろう。コウモリは海底に住んでいないし、俺がいる場所は空気に満たされているとはいえ、壁も天井も塩で洗われているはずだ。
光源もどこかにあるはずだ。太陽の光は、とっくに届かないほどの海の底なのだから。
そろそろ、起き上がれるだろうか。
俺がそう思い出した時、頭上で岩が崩れた。何者かが来たが、地面を引きずるような足音に聞き覚えがあり、俺はただ首だけを動かした。
「魔女グリフィルか。遅かったな」
「ピノは寝ているんだね。ちょうどいい。もし、生きてあたしの城にたどり着けたら、あんたと二人で話しがしたいと思っていたところだ。正直言って、途中でくたばると思っていたんだけどね。だけど、あんたは生きたままあたしの城にたどりついた。ピノが引っ張ってきたんだろうけど、関係ない。地上の生き物が、一度も足を踏み入れられなかった場所なんだ。あんたは力を示した。力と……運をね。あんたは、どうやら本物らしいね」
「……『本物』? 何がだ?」
ピノは寝覚めない。グリフィルが本物の魔女であれば、眠っている者を眠ったままにしておくことは容易いだろう。ピノは、俺が起きてほしいと思ったところで起きられないのだ。俺は、ピノを抱え直して体を起こした。
魔女グリフィルに向き直る。
魔女の背後に、庭園と城がある。庭園には、地上の植物が花を咲かせていた。それがグリフィルの力であれば、間違いなくグリフィルは魔女なのだろう。
「伝説の……勇者……なんだろ?」
「魔将ホライ・ゾンの単なる下僕だ」
「今は、そうなんだろうね。だけど、元は勇者だ。魔王を倒す使命を帯びている」
「以前にも……俺のことを勇者だと言った男がいた。その男は、俺には失望して去った。俺は……勇者じゃないそうだ」
「その男は、何者だい?」
「エルフのロマリーニ」
ロマリーニは、俺が衛兵を倒したことに嫌気がさし、王都に戻った。現在の俺を見れば、その判断が正しかったと喜ぶだろう。俺は、大量殺人者だ。
「エルフは夢見がちだからね。あたしなら、真実を見抜ける。魔王に蹂躙されるだけの森の番人と、海で着実に力を蓄えているあたし、あんたは、どっちを信じる?」
魔女グリフィルは、どこで手に入れたかわからいが、厚い化粧をほどこした顔を俺に近づけた。
見た目にも年増だが、顔立ちは整っていて、化粧の仕方によっては現在でも美人で通るだろうと思わせた。
俺は、少しだけ考えて答えた。
「俺が信じるのは、ピノだけだ」
魔女グリフィルは、腹を抱えて笑い出した。




