69 ここは私たちのための岩場だもの
ピノは本当に海底の国の姫で、人魚というのは海の王の娘しかいないことがわかった。
珍獣の収集はピノの趣味でもあったが、ほとんどが死骸で、生きているのは俺だけのようだ。
ピノは得意げにコレクションルームを見せてくれたが、ピノの言う珍獣はただの陸上動物であり、俺は海底に沈んだ動物たちの水死体を見せられた。
食事は美味かった。魚や貝、海藻をふつうに食べるらしい。衣服は海藻か貝であり、服を着る必要があるのが人魚たちぐらいだということもあり、縫製技術は存在しないようだった。人魚たちが胸につけている貝殻はどうなっているのかというと、たまに自由行動で動く。また、非常食になる。つまり、生きた貝を乳首に吸い付かせているらしい。
人魚は伝説の存在だと思っていたが、知らない方がよかったという生態も多かった。
人魚は、岩壁やサンゴ礁のような固体の中も自由に泳げるという特殊能力を持っていたが、普段は人前では使用しないようだ。切り札なのだろう。
固体の中もすり抜けて泳げるので、拘束が基本的にできないのかと思ったが、縛る縄をすり抜けることはできないし、体に海産物以外のものが付着していると、その部分だけ潜れずにひっかかってしまうらしい。なかなか不便なのだ。
「タイラントについて教えてくれ」
「知ってどうするの? 私たちを食べる奴のことなんて、考えたくないわ」
色々と案内され、またピノの部屋に戻った。拘束もされなければ、姫の部屋に入るのも咎められなかった。海底の住人は、地上とは感覚が違うのだろう。
「戦うのさ。敵の情報は多いほどいい。勝てそうかどうかもわかるし」
「戦う? なんで? 勝てるはずないじゃない。それより、私たちには3日しかないのよ。後悔しないように、たっぷり遊びましょうよ」
ピノは断言する。勝てるはずがないらしい。タイラントというのは、自然現象のようなものなのだろうか。ピノの言葉も表情も明るかったが、暗い影がないかと言われれば、そうでもない。3日後に食われるということに、気を病んでいないとは思えない。
「わかった。一緒に遊ぶよ。だから、タイラントがどんな奴か、少しだけ教えてくれないか? 他の誰かに聞きに行くわけにはいかないだろ。ピノから離れたら、逃げ出すと思われる」
「……あなたが逃げ出すだなんて、誰も思っていないわよ。だって、私のものなんだから。ねえ……あなたに名前をつけなくっちゃね」
ピノはニコニコと笑うが、俺ははじめから名前をもっているとは考えないのだろうか。
「それなら、俺はカロンだ」
「えっ? もう名前があるの? 誰がつけたの? 私のなのに」
「う、生まれた時に……かな。俺の親がつけたんだと思う……覚えていないが」
覚えているはずがない。俺は、14歳ぐらいのカロン少年の体に入った。その時には、当然名前はついていたのだ。
「……生まれてすぐに名前をつけるなんて……カロンって、王族なの?」
「ち、父親は……たぶん……捨てられたけどな」
俺は、国王が侍女に身篭らせた子供だと、幼馴染のファニーの妹、盗賊のフラウから聞いたことがある。それがどこまでが本当かわからないが、隠すこともない。こんな海底では、全く意味をもたないからだ。
「へぇ……カロンか……カロン……うん、いいや。じゃあ、君の名前は、これからカロンね」
「んっ? どういう意味だ?」
「名前をもっているっていうのは、海底では王族か王族の所有物ってことなの。これから、君はカロン。誰に名前をもらったのか聞かれたら、これからはピノ様ですって答えてね」
ピノは、俺に名前をつけたかったのだ。俺に新しい名前をつけようとして、結局同じ名前をつけた、ということだろう。海底には海底の作法があるのだと、俺は納得した。
「じゃあ、何をして遊ぶ?」
「海底の遊びは、俺は知らない」
「うん。じゃあ、隠れんぼをしましょう。私が隠れるわ」
ピノは俺の言葉を聞かず、たまたま俺も知っている遊びを提案した。だが、その遊びはまずい。
「壁の中に隠れられると、見つけようがないぞ」
「……あっ、そうね」
ピノは、壁の中に隠れるつもりだったようだ。
「じゃあ、カロンが隠れて」
「うまく隠れられたら、タイラントのことを教えてくれ」
「うん。いいわよ」
今度はあっさりと了解した。
俺は、このゲームにとって極めて不利なことを、まだ理解していなかった。
結局、俺はどこにいてもすぐに見つかった。壁の中を泳げるピノから隠れることなど、そもそもできないのだ。
しかも、俺はこの海底では唯一の人間で、よそ者だ。ピノはお姫様であり、誰もが俺を見れば覚えているし、ピノが俺を探していれば教えてしまう。
「さあ、次は私が隠れましょうか?」
「……わかった。そこまで言うなら、替わろう。その代わり、見つけられなくても怒るなよ」
「もちろん。カロンこそ、私を見つけられなくても泣かないでね」
俺は目をつぶり、ピノは隠れた。
一定数を数えて目を開けると、当然ピノの姿はなかった。
俺は、全くの勝算がないわけではなかった。補助魔法、トウカがある。
ほとんど使ったことはなかった。例えば壁をトウカすれば、壁の内側が見られる。壁の向こうでなく、内側なのだ。人間の服をトウカすれば、生地の内側という、とても微妙なものが見える。壁の中には埋められた死体を見つけるとか、抜き忘れた裁縫針を探すのには便利だし、エンジニアなどには垂涎の魔法かもしれないが、女性の裸を見られるかといえば、服の生地の内側とか、皮膚の内側とか、実に微妙なものが見られるだけで、全くのお得感がない。
しかし、壁の中に隠れられる人魚を探すには、絶好の魔法だ。
俺は早速トウカを使用し、部屋の中を見回した。
いた。
天井の岩の中を泳いでいる。泳いでいるのだ。じっとしていない。
ピノからも俺が見えているようだ。俺がピノの動きを目で追っているのを見て、驚いた顔をした。
天井から壁に移動する。
かくれんぼのルールとして、体に触れて『見つけた』と宣言しなくてはいけないと、始まる前に取り決めをしてあった。俺は散々宣言されたので、一度くらいはやり返したかった。
だが、壁の中に隠れられるだけでもずるいのに、動き回っていては触れられない。そもそも、壁の中にいるピノに触れるには、壁を破壊しなくてはならないではないか。
俺は勝負の不利を理解しながらも、ピノを追った。トウカを使用しても、部屋を移動されてはどこの壁にいるのかわからない。
急いで廊下に出た。
幸いにも、廊下の壁にいた。俺と目があった。
ピノは逃げ出した。
俺は通路を追いかける。
見逃さないように必死だった。
水中を泳ぐのと、全く同じように岩の中を泳いでいく。
どう追ったのか、すぐにわからなくなった。
ピノは、上階へと向かった。
上がどうなっているのかわからない。ひょっとして、海水の中に飛び出してしまうかもしれないと思ったが、ピノが一緒だ。大丈夫なのだろうと俺は追った。
いつの間にか、足元が石畳から岩場になり、平らでもなく、ごつごつとした岩場になっていた。
目の前に、水の壁ができている。
なんらかの力が、水の侵入を防いでいる。
ピノは岩の中を泳いだ。
俺は追いかけたが、海水の壁の前で足を止めた。ピノは止まらず、岩の中から海水に飛び出した。
驚いたように、ターンして戻って来た。
海水の壁は、人魚が出入りしても変化せず、ピノは壁から飛び出して、俺に飛びついて来た。
全身が水に濡れ、冷たかった。
「ピノ、見つけた」
「わっ。本当だ。見つかっちゃった」
「かくれんぼだろう? これじゃ、鬼ごっこだ」
「なにそれ? 楽しそう」
ピノは『鬼ごっこ』を知らないようだ。そのうちに教えよう。3日以内に教えないと、お互いに生きていないかもしれないというのが問題だ。
「ここ、どこなんだ? こんなとこにきて、いいのか?」
俺は岩場を見回した。
「もちろん。だって、ここは私たちのための岩場だもの」
「……俺たちのため?」
「うん。3日後、私とカロンがタイラントに食べられる場所」
ピノは、やや哀しそうな顔で、大きく笑った。




