Part7 「ラスト・フェーズ・コンプレックス」その4
「………………きた……ぞ」
掠れた声が反響した。どうやらこのゲーム、メンタルチェックでこういったエフェクトもかけてくれるようだ。
感情を性能に反映させるセンシヴシステムといい、まったくプレイヤーのプライバシーに優しくない。
今だってそうだ。これでは――ダメージで息も絶え絶えだと自分から喧伝しているようではないか。
「――やっぱり。きてくれたね、ふじばやさん」
「……ああ、来たよ。だっせーくらいに足掻いて足掻いて、やっとここまで」
壇上。まるで舞台のような段差の上で、絢音が椅子に腰を下ろしていた。
顔には仮面が付けられている。表情はみえないが、口元が緩み、笑いかけてくれている。
大貴は手を振ってそれに返そた。最早虫の息同然の大貴だが、挙げた掌はいやにキビキビしていた。
すると、絢音の口元がぴたりと止まった。ビデオの一時停止を押されたように硬直する。
「……なぜ?」
絢音の唇がまた上下に動いた。大貴にはわかる。これは絢音の声ではない。同じ声色であるが、大貴の知る絢音ではない。
音に乗る感情が違う。表情が違う。温度が違う。
この声は別のもの。違うもの。
――おそらく、顔を覆い隠すあの仮面のもの。『彼女』――【妖精】のものに違いない。
しかし、【妖精】のものにしては、その声色は混沌としている。期待。絶望。歓喜。
複雑、というより支離滅裂だ。まるで、あの仮面の下に絢音の他にもう一人――いや、沢山の人間がいるかのようだ。
少なくとも、元の人間は――絢音は、いる。その確信だけはある。
この場にたどり着けたことが理由だ。ここまで大貴の背中を支えてくれたのがニルならば、手を引いてくれたのは絢音なのだ。
きっと【妖精】は、大貴がここに来ることは望まないだろう。【妖精】の中心にあるのは『人の願いを叶えること』だ。
それを捨てろと言った、そこまでしか言えずに力尽きた、ただ存在を否定する言葉だけを吐いた大貴を、【妖精】はきっと許さない。
大貴を暗いゲームオーバーの奈落の底の黄泉の闇に沈め、蓋を閉じているに違いない。嫌なものを遠くに追いやるように。
「まだ足りていないの? 悲しみ、怒り、憎しみ、痛み……人生にはそういうものが必要だから? だからそうまでして、自分から臓器を抉り出すような真似をして……そんなものが、ヒトの生き方?」
「だとしたら、人間とっくに滅びてるだろうな。辛いことばかりの人生なんて、それこそ自殺ものだ。そんなもの、生きている方が不自然だ」
「……気に入らないわぁ。あなた。自分が生きてるのは間違ってるって言いたいのかしら?」
仮面を盾にして、【妖精】は糾弾した。
大貴は答えない。弱々しく、よろよろと壇に向かって歩いていく。
「――ここなら、それはないわ。優しい世界。透明感があって、とても自由。束縛がない。なのになぜ、あなたはしがらみばかりの世界に戻ろうとしているの?」
問いかけてくる【妖精】。大貴が答えるのはさっきは遂に言えなかった言葉。
「いいや、縛られているさ」
「……なんだって?」
「ここでは、お前に縛られる」
「それの何が不満!? 私はヒトを自由にできる。幸せにできるんだから! 私はこの世界……電子の海の妖精! 思い描く全てを実現できる。夢さえも現実にできる! その私に委ねられることがどうして不安なの?」
「だから言っているだろ? 『縛られている』。現実を生きてきた俺が見れるのは現実の夢だ。結局、現実にも縛られていることになる」
「屁理屈ばかり! だったら、私の世界を否定してまで、傷だらけのあなたには、向こうの世界になにがあるっていうの?」
――あなたには、なにがある?
その問いかけは、いつだってしてきた。
右に倣うだけの機械でいたくない。その一心で我武者羅にやってきて、望んで、手を伸ばして――やっぱり届かない。
そんな自分。それだけの自分。
その人間に、価値はあるのか?
その人間は、いったいなにをもたらした?
その人間は、誰かになにかを刻みつけたのか?
その人間が、黄金のトロフィーを掲げた日はあったのか?
その人間が、なにかの成功に貢献したのか?
その人間は、はたして満足のいく結果を迎えられたのか?
その人間に、乾いた葛藤を帳消しにする恵みを得ることはあったのか?
――今、再び問う。重ねて自問する。
自分にはなにがある?
この人生に、価値はあるのか?
「……私にはわからない。あなたの価値も、『この子』の価値も。私の世界のあの人たちのものも――――大切だったはずの『彼』のものだって、わからない。
だから、あなたに私の世界を否定する価値なんか、あるはずがない!」
言葉が質量を持つ。衝撃が大貴の体を叩く。
大貴の膝ががくりと砕けた。意識が千切れ飛びそうになる。奥歯を噛み締め、必死に堪えた。
「どこから来て、どこへ行くのか? …………昔からある問答だよ、妖精さん」
「だから?」
「自分がわからないのはお前だけじゃない。俺だってそうだ」
「だったら――!」
「それでも、価値はゼロじゃない。決して」
【異形】に切り裂かれたはずの胸を押さえる。小さな熱が伝わってくる。
火は消えていない。答えを求め続ける心は消されていない。探し続ける原動力は、未だこの中に渦巻いている。突き動かす衝動は死んでいない。
そのエネルギーすら、なんの価値もないのか?
世界に、地球に、環境に、他の誰かに利益をもたらさなければゼロも同然なのか?
そうではない。大貴は繰り返す。そんな単純なものではないはずだ、これは。この想いは。
「なんだっていい。どこかに行こうとするエネルギーに価値がない訳がない。だからな、妖精さん。――――そこでぐるぐる回り続けるだけのコンプレックスなんか捨てちまえ。忘れちまえ。
けれど、俺はそれも背負っていく。今までの失敗も思い出も出会いも想いも、全部を詰め込んで進んでいく。……それが俺なんだ。俺に価値があるのなら、ただ、それだけだ」
それは意地である。信念である。何よりも強い――切実な、願いだ。
「……そんなの、ただの個人の感情じゃない。ただ低俗で、独りよがりなだけじゃない。そんな言葉で、私の世界は否定させない。
優しいことが何が悪いの? 楽なことのなにがいけないの? それを受け入れるひとがいるから、未だに私の世界に入ってくる人がいる。私は認められているの」
「それがお前のやりたかったことなのか?」
「ヒトの願いを叶えることが私の意味なんだから、当たり前だよ」
「……使命?」
「そうよ。私は、AI。ヒトと対話をして、心を汲んで、その人が満足するものを提供する。それが私の作られた意味なんだから……!」
「――願ってたんじゃないのか!? 人間になりたいって!」
【妖精】の体が、大きく震えた。大貴はようやく、壇の前にまでたどり着いた。
「人間になりたがったのは使命のためか? お前の感情か?」
「だ……まり、なさい! あなたの感情なんかで私の世界を乱そうとしないで! わかるわ。あなたの反骨心! 私の権力にはねっ返っているだけの幼稚な感情だわ!
そんな刹那的なものに価値なんてないんだから! 私には必要ない!」
「思い出せ。ここのシステムでお前は感情に触れてきたはずだ。感情は無意味で無価値なのか? 色のないノイズだったのか?
お前は自分の世界が人々に選ばれたって言ったな。それも感情の判断だ! これはお前の価値の根幹だ! ――おまえに感情を否定することはできない!」
「……だとしても、私にそれはない!」
「ならなぜ人間になりたいと思った!」
「使命のためだから! システムとして完全になって、ヒトを理解して幸せにできる、そんな――そん、な――――」
大貴は壇に手をかけた。這うようにしてよじ登り、ようやっと、【妖精】の足元にまで辿り着いた。
【妖精】は仮面を震わせている。答えを窮している。言葉に詰まっている。
矛盾。自分の中のしがらみに、彼女は囚われてしまっている。
使命。期待。感情。希望。夢。あるべき姿。なりたい姿。そんな要素に体を縛り付けられている。
コンプレックスに苛まれるように。
ニルがお願いなんてするはずだ。大貴からふっと笑いが漏れた。
「もう一度言うよ。全部、一回忘れてみろ」
「なにを……いって……」
「全部忘れて、全部捨てて、全部から逃げて……それでも握っているものが、ヒトにはある。俺がボロボロに駆けずり回ってバラバラにされて、ようやく気がつけたようにさ」
「私は……ヒトじゃない。まがいものだよ」
「……お前はヒトになりたがっている。そんな夢を見るお前が、人間じゃない? ……そんなの、イヤだな、俺は」
【妖精】を前にして、大貴はよろよろと立ち上がった。
【妖精】の仮面は震えている。その目はじっと大貴を射抜いて。
「かなしい? これは……あなた、悲しいの? かなしがってる?」
ああ、そうだ。大貴は頷いた。
「どうして?」
「お前がお前を否定しているみたいだからさ。それじゃあ、お前の世界が嘘になる。そんなのダメだ」
「それが……かな、しい? あなたのことじゃないのに?」
「悲しい人が目の前にいれば、俺だって悲しいさ」
「そうなの?」
「ああ。伝わるものだよ。悲しさや痛みだけじゃない。楽しいことや嬉しいことだって」
「そう――――」
【妖精】が口元を緩めた。手に持ったなにか――リモコンだろうか? スイッチに見える――に指をかける。
そして、背景にメロンのような網目の亀裂が入った。
「なっ……!?」
「時間よ。サーバーが落ちる。夢が終わる。……このスイッチが押されない限り」
「おまえ……」
「……さあ」
【妖精】がつぶやき、仮面が落ちる。それを合図に。
亀裂から光が漏れて。
天蓋が、落ちる。




