Part6 「ひとりぼっちxひとりぼっちxひとりぼっち」その5
ジンが踏み込み、また槍を払う。泥が割れ、一欠片の陸が開いた。その陸に踏み込み、更に一振り。海を割るモーセのように、しかし遅く、だが確実に、ジンは深く黒い泥の中に足を踏み入れていく。
目指しているのだ。遥か彼方の泥の中央。――発信源を。
岸からトーシャはジンを観察する。投擲した槍に内在させた「発信機」は依然機能しているようだ。黒い泥に呑まれても、機能は失われていないのだ。
――そうであるならば。
トーシャはひとつの仮説を立てる。この泥はあらゆるものを呑み込む。それは消化ではなく、吸収ともいえない。
同化、というべきだろうか。データを配列の要素にひとつずつ格納していくように。内部の情報を一切壊さず、視覚的に認識できるテクスチャの殻を消す黒い泥なのだ。
どんどん肥大化していく理由もわかる。格納されている情報が増えていく。アドレスは等速度で順を追って食いつぶされていっている。メモリが消費されていく。それまで彩りとしていたテクスチャは失われる。
グラフィックに穴が開く。その不都合と矛盾を雑なサーフェスが泥となって塗りつぶす。ジンが歩いているのは同化がまだされていない地層があったというだけの話。奥に進むたび、泥に晒された時間が長いほど、グラフィックの穴に近づいていく。
――ああ。そうだろう。アレは、あの泥を垂れ流している中心は、それを嫌がっている。
だからこそ、いよいよああいう形で吐き出したのだ。背後の黒い軍団。彼らはこの黒い泥に、あるいはもっと違ったきっかけでで意識を奪われたプレイヤーたちなのではないか。
あれは単純な配列要素の情報呼び出しだ。ツギハギのグラフィックを黒で誤魔化し「なにか」に思考を集めさせて意識を低次元化して処理容量を削っている。人間性の削れたプレイヤーだ。
――恐ろしい話だ。手駒にするために脳味噌を削り取った、ということでもある。
なるほど。ジンが言う「長引けば死ぬ」もいよいよ実像を結んでくる。
明らかな意識操作。頭を抉られた状態での運用。そんなモノに、もし人間が浸かり切って仕舞えば、順応してしまったとしたのなら――。
人間性の死。すなわち人としての死。
肉体的に生命維持が可能であったとしても、それはそれまでの「自分」ではない。
経験。理性。夢。感情。あらゆる個性が破壊された、滅却された、不可逆に変容した――「なにか」になる。
それはおそらく、この泥が成しているところの同化によって付随する、画一的な代物だ。つまり自分という個人はあの黒い泥に付き従う人形の一体になる。
糸の見えないマリオネット。――それは、さながら機械のような。
「……けっ」
あえて、トーシャは雑に笑い飛ばした。
背筋の悪寒が根を深く張り巡らせている。抜こうにも抜けない。この恐怖は覆せない。トーシャが人である以上。得体の知れないものに従属しなければならない。
理解できないロジックに基づいて、あるいは倫理観さえ無視した言動を取らざるを得ないようになってしまうかも――なんて、健全な若人が受け入れるには複雑怪奇に歪みすぎている。
束縛に断固反対する、というわけではない。それが安心をもたらすことをトーシャは知っている。だからこそ、かつては傘下に入ることも考えたのだ。
それが未知のもの、得体の知れないものであることに耐えられない。
より突き詰めて言うと。
『赤の他人と六畳一間の自分の「脳内」でルームシェアとかマジないわ』――といった感じである。
泥が波打っている。ジンの権能――というより単純な戦闘能力に――存在を世界から引き剥がされている。
禿げた土地を踏み、ジンが踏み込む。白銀の閃きが暗雲を切り捨て、大地にしがみつく黒を払っていく。
黒い泥の中央部にまで切り込むまであと一太刀。そこまで切り進んで、あるいは引きつけられて、黒い泥はようやっとリアクションを示した。
あのボスを中心にして広がったせいか、その部分だけ不自然に高く泥が積み上げられていた。それが、幾重も大きな泡を膨らませては破裂させている。沸騰した水面のような光景だ。泡が下から際限なく湧き上がっては割れていく。
ジンが一瞬、動きを止めた。黒い泥はジンが切り開いた路を埋めようとはしていないらしく、スプーンで抉られたゼリーのようにぷるぷると震えながらも固形としての輪郭を崩さないでいる。
「……っ」
生じた躊躇いを次の一瞬で投げ捨て、ジンは槍を振り上げた。白刃が風を裂く。一呼吸。吐き出す内に、槍先は7つの刺突を繰り出した。泡が、周囲の泥とともに姿を掻き消す。
――と。
ジンの視線が疾走した。振り抜いた槍を素早く引き寄せる。柄端で背後のなにかを打ち抜いた。
それもまた、黒かった。
黒い泥から吐き出てきたもの。黒いのも不思議ではない。
ただ、その姿は非常に特徴的だったのだ。従来のモンスターともプレイヤーキャラクターのものとも異なる。
おそらく、ジンにもトーシャにも、見覚えはただの一度きりだ。
生物的でない、直線的なラインが目立つ。関節部からは細く煙を吐き出し、左胸には質感が他とは異なる大きな結晶が埋め込まれている――この姿は。
タイキのそれと酷似していた。




