Part5 「ラスト・リゾート」その1
「また、テメェの相手かよ……って思ったら――」
【異形】が手の平の底でステージを圧した。ステージが振動し、ステージ周りが陥没する。
大貴は跳躍する。片足から紫電をばらまき、エネルギーの激流に乗って加速する。自分の身長ほども高くなったステージ上に飛び乗った。
「――なかなかどうして。これがな。いいじゃねーか。人間の真似が上手くなったな。人形」
身を屈め、左手を地面地面について加速を殺す。【異形】を前にスピードを殺した。
本来あり得ない動作。圧倒的な戦闘能力を誇る【異形】を前に立ち止まるなど、自殺行為もいいところだ。
だが【異形】は構えていない。
目の前に【異形】を据えた今この時でさえ、あの嵐のような闘志が微塵も伝わってこない。
逆を言えばチャンスなのかもしれない。だが、それでは意味がない。
これは、期待を裏切るゲーム。不可能を可能にする戦い。
ならば、大貴は正面から、難攻不落の上位種モンスターを倒さねばならないのだ。
「前は退屈だった。鬱陶しいだけだった。だが、今はどうだ。感情が乗っている。研ぎ澄まされている。集中している。洗練されている。輝いてすらみえるぞ、おまえ。
あぁ――いい。最初に期待した通りだ。それでこそ、テメェの女に首輪をつけてやった甲斐がある!」
突如、【異形】が膨れ上がった。
闘争心が告げる。生存本能が警笛を鳴らす。フレームが軋む。肌が灼ける。
既に攻撃として形を成しているほどの純然と、そして狂乱した闘志。【異形】の本物だけが放てる闘気の剣戟。
【異形】が組んでいた両腕を、ゆっくりと解いた。大貴に向けて手招きする。
【異形】は言っている。如何なる言葉よりも雄弁に。覇気と体勢が語っている。
とっとと構えろ。楽しもうぜ。死ぬ気でな――!
気を緩めれば途端に体がバラバラになりそうな圧力を放ち、【異形】はそういう肉体言語を話している。
本気なのだ。――大貴は乾いた口の端を釣りあげた。
願ってもない。ならば後は、憂いなく叩き潰すのみだ。
「くっ…………あぁああああああああっ!!」
腹の奥から声を出す。練り上げる。気持ちを束ねる。一振りの刀とする。
左拳を握り、膝に力をいれ、胸に炎をくべ、右のつま先でステージを掻いて。
大貴は突撃した。
真正面から【異形】に突っ込む。深紅のマントがはためいた。
【異形】は笑っている。手招きを握りしめ、拳を眼前に向けて無造作に振りまいた。
空振り。だが拳に晒された空気は破裂し、圧力の弾丸となって大貴に迫る。
大貴はスライディングで回避する。下のクリアランスは剣撃よりも広い。この回避にも無理はない。
【異形】の拳の射程に入る。【異形】が拳を振り上げる。
大貴は立ち上がり――間に合わない。避けられない。
なら。と。
大貴は跳び上がった。
拳を振り切られる前に【異形】の腹部に体当たりを仕掛けた。
【異形】の拳が風を切り、マントを破く。【異形】の体は少し後ろに引き摺られた。
「はっ……いいパワーだ」
「うぁああああああああっ!!」
大貴は左拳を振りかぶった。
【異形】の左拳は腰だめにされている。攻撃は止まれない。互いに。
――衝突。
大貴の左拳が【異形】の腹に深々と突き刺さった。【異形】の拳は大貴のマントを吹き飛ばし、右の脇腹から背中を抉り取る。
痛い。燃える。焼ける。溶ける。
嗚咽を噛み締め、大貴は【異形】から飛びのいた。
【異形】は笑っている。ダメージが見えない。
やはり一撃の交換では割に合わない。真面目にやっては、間違いなくこちらが先にスクラップだ。
避ける。当てる。逃げて近づき、軽やかに重い一撃を見舞わなくてはならない。蝶のように舞い、蜂のように刺す、という奴だ。
――バカバカしい。途端に大貴は吐き捨てた。できるわけがない。やり続けられるはずがない。
人間はそこまで優秀じゃない。それが出来るのは、もっと別の――それこそ化け物と揶揄される領域に生きるものたち。
ど素人の藤林大貴では不可能だ。それが絶対にして唯一解。現実は非情だ。たとえゲームの中であったとしても。
「さぁ――テメェ、この俺を相手に、今度はいったい何が出来る?」
【異形】は両腕を広げた。逃がさないとでも言うように。あるいは正面から打ってこいと誘うように。
強大な敵。貧弱な自分。迫る捕食者。退けない理由。
どれひとつとして変わらない。場所を含め、最初に【異形】と戦った時の再現だ。これは。
――どうだ?
――あれから、俺はなにか変わったのか?
変わる訳もない。あれはせいぜい数時間前の出来事だ。
トーシャが言ったように、ただ足元がハッキリしただけ。自分の弱さがほどほど身に沁みただけだ。
前に進んだわけではない。ゲームだからといって、そううまくはいかない。
自問する。――今、できることは? いったい?
自答する。――この状況を理解すること。そしてその上で、信じること。
それだけしかない。それをただ、貫き通す。それしか。
――だいじょうぶ。大貴は左の拳を固めた。
……だいじょうぶ。目一杯のエネルギーを注ぎ込む。
だいじょうぶ――そうだと信じ、貫き、この手で掴む。求めるものを。探し続けたものを。
咆哮し、拳を繰り出す。
重く【異形】の腹を捉えた。拳の衝撃が【異形】の内臓を揺さぶった感覚が骨身を駆け巡った。【異形】が背後に引き摺られる。
だがフレームが軋む。大貴の左腕に亀裂が入った。痛む。感覚が断裂していく。
「……そんなもんかよ」
【異形】は平然としている。あえて大貴の拳を受けたのだ。
腹に刺さった大貴の左の手首を取る。
【異形】は右腕を振り上げた。
「がっかりだ――」
瞬間。
【異形】が拳を振り下ろした刹那。
『了解。起動します』
大貴の脳裏に聞き慣れたシステム音声が反響した。左腕のテクスチャがぐにゃりと歪む。
内側から噴き上がるように、殻を脱ぎ去るように、太く長く、生まれ変わって――新たな【左腕】を一瞬で創り上げた。
トライ・トランス・トリガー。大貴の――アバター:マナン属の唯一の武装。三段変形を基本とした攻撃デバイスだ。
しかし未だこの武装――【左腕】は、質量を伴わない。サーフェスであってソリッドではない。ただのハリボテ。厚みのない三角面の連なりに過ぎない。
これが実を持つには、あとコンマ数秒、時間が足りていない。演出的な理由か、あるいは処理速度の問題だ。
実体を持った虚像は、刻々と【左腕】として相応の重力に引かれていく――。
その1秒にも満たない時間の中で、大貴は【左腕】を破棄した。質量こそないが、色を持ち実体を持っていた虚像は瞬く間もなく消えていく。
そして【異形】の指から大貴の手首が逃げおおせた。
「――――ッッッ!?」
――だかしかし。
未だ【異形】の拳は迫っている。
大貴をそのままアルミ缶のようにぺしゃんこに出来る膂力を秘めたそれは、考えるまでもなく必殺。
――逃げきれない。今度こそ。
大貴は歯をくいしばる。その行動に意味はない。四肢は堅牢になりはしない。身体になにも影響しない。
ただ覚悟する。この瞬間から逃げ出さない覚悟をする。
――逃げるな。逃げ出さない覚悟が、心の奥底から大貴自身を強くする。
このステージから降りるな。進む道を見ろ。信じてみせろ。たとえ今は嘘だとしても、必ずこの先で、だいじょうぶなのだと笑ってみせる――。
感情の高ぶり。覚悟の輝き。意志力に応じ、エネルギーがオーバーフロウする。堰を切ったようにエネルギーが枯渇寸前まで吐き出された。
感情が身体中を駆け巡るエネルギーの奔流を束ねる。結い合わせる。ただ一点まで引き絞り――。
大貴の左腕が、赤々と発光した。
「くぅっ…………ぉあぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
エネルギーが爆発する。大貴の咆哮を引き連れ。
【異形】の拳。眼前まで迫る。
見極めろ。撃つべき場所を。
そして――拳の衝突。
圧力がステージを剥ぎ取り、土嚢は舞い散り、骨子は乱れる。
その場に残っているのは【異形】ただ一人。
――大貴は、場外に倒れていた。
粉々の塵に埋れ、後には土煙が舞っている。
だが、確かにそこには大貴がいた。【異形】の拳をかいくぐって。
【異形】はゆっくりと拳をステージに穿ったクレーターから引き抜いた。視線を飛ばす。大貴に向けて。
悠然と、そして超然とした【異形】。そこには怒りはなかった。憤りもなく、嫌悪感もない。
ただ、澄んでいたのだ。
いびつな生命体でありながら、一個の芸術として、生命として、比類なき力強さを備えている。背景すら霞んで見えるその存在感の濃さ。粗悪なコラージュ画像のような不自然さを感じさせた。
【異形】の体躯は大気を吸い、星々の光を一身に浴び、万象を砕く拳を結ぶ。
自然と同化するのではなく、取り込むような立ち振る舞い。
純然。なにと混じり合うこともなく、錬磨の末ということもなく、当たり前の前進を続け、到達した姿。
それは、即ち自然体。ひたすら絶対的な【破壊】の概念を形にしたような相手だが、彼は間違いなく正常に成長したことによってここまで来たのだ。
度々、大貴は彼の異常なまでの戦意を【狂気】と形容していた。
それは誤りだった。彼は【異形】な生命体ではあるが、一切狂ってなどいない。
なおもそうだと断ずるならば、もはやそれは彼の責ではない。濁りを跳ね除け、ここまで純粋に成熟した彼を見る評価するモノの問題だ。そのモノが、純なものを見る目を失っているにすぎない。
海の青さを、大木の荘厳さを、星の輝きを、生命の営みを、そう思うのと同じように。
藤林大貴は、この男を心から美しいと感じた。
この純然さは、かつて大貴が思い描いた生命のあり方だ。社会に組み込まれながら自己を失わない自律性。強い存在感。確固たる意思。あらゆる障害を排除しうる力。
――これは藤林大貴が憧れた人間の姿。
強固で、純粋で、自律している。絶対の存在感。強さの象徴。
であれば、結果は明白だ。疑いようはない。
勝てるはずがない。今の藤林大貴などが。




