Part5 「ラスト・リゾート」その2
「――おい」
瞬間、大貴の足元が破裂した。砂が噴き上がり、煙が視界を塗りつぶす。
「んなにメンチ切るんじゃあねーよ。テメェの目なんぞじゃ、俺は殺せねーぞ?」
【異形】は言っている。己を探る大貴を制した。無駄なことはするなと。
最強の存在は言っている。雑念を払えと。
純化せよ。俺だけを見ろ。敵の破壊を目的としないプロセスを強制終了し、あらゆるメモリをかき集めろ。
処理能力の全てを偏向しろ。全力でも尚足りん。あらゆる全てを燃やし尽くせ。180%の全開を、余す事なき殺戮のために費やせ。
異形の超越者は――藤林大貴がかつて思い描き憧れた姿は、そう言っていた。
このひとつの言動に、それだけの意味を込めたのだ。
「……そう、だ」
さもなくば。もっともそうしたとしても。そんな邪推めいた思考は打ち消した。
知っている。そんなことは。
結局、全ての足掻きが水泡に帰したとしても。いつか力つきて暗い水の底に沈んでいくとしても。
この一瞬の足掻きを止めれば、その『いつか』は今になる。
勝ってみせる。大貴は決める。定める。断じる。
たおしてみせる。たとえあらゆるものが無理だと言おうとも。
そして、「だいじょうぶだ」と見せつけてやるのだ。
「なぁ――あんた、なんて名前なんだ?」
「あぁん?」
【異形】は怪訝な顔を見せる。緊張の水位が一瞬下がった。
「いいだろ? おしえてくれよ」
「今からぶちのめす相手に? ふざけろ」
気だるく拳をだらんと垂らし、【異形】は暗く挑発的に笑った。
一見構えを解いたようにも見えるその体勢は、その実、ハンドスピードは極めて速い。
「テメーは面白いが、俺のステージの顔じゃあない。無駄口しか叩けないほど手がないって言うなら――」
「そこからまた投げて、今度は俺を撃ち抜くのか?」
大貴は砂の奥を蹴り、砂の海から脱出した。残ったステージに飛び乗り、【異形】を見る。
【異形】は訝しんでいる。表情が固まっている。手は出ない。
奇妙に感じているのだろう。藤林大貴が戦意も強く見せずにこのステージへ上がったことに。
「なら、あんたの土俵で戦うよ。だから、あんたも俺に応えてもらう」
ステージ上で、大貴は低く構えた。左拳を握りしめ、中腰に据えて、【異形】を目で捉えた。
中段からの拳。あるいは【砲】。あるいは体当たり。
その体勢から大貴が仕掛けられるのは、わずかその程度のことだ。
この幾度かの接触で、【異形】もそれを知っているのだろう。訝しみの理由はそれだ。底が知れた行動。バレバレの動作。手札がオープンでは駆け引きもろくに成立しない。なのにこうして挑発を繰り返す。
ただ仕留めてくれと言わんばかりの調子だ。【異形】の恐ろしさなど身にしみているはず。それなのに。
なぜ、【異形】を前にこうまで無謀な態度を取れる?
「……なんの真似だ」
「とうとうあんたから質問か?」
「潰すぞ」
「その通り。潰し合いだ」
「……なに?」
「真正面から殴って潰す――原点回帰だ。シンプルでいいじゃないか」
「……血迷ったか?」
「まともであんたが勝たせてくれないからな」
大貴は右肩を落とし、つま先で地面をこする。拳を固める。左胸が燃える。熱が噴き荒れる。目を見開いて、呼吸を細める。
――どうだ。
大貴を無視しても乗っかっても、どうせお前の勝ちは揺るがない。
相手の方から口の中に突っ込んでくると言っているのだ。ぱくりと呑み込んだ方が簡単だ。大貴を倒すなど造作もない。
――だからこそ、大貴の選択が気に食わないはずだ。
簡単すぎる。片手を捻って終わりなのだ。まったく張り合いがない。味気がない。ここまで何度も手間を取らせておいて、そんなあっさりとした結末を認められるわけがない。
そしてなにより、大貴がそうした捨て鉢な選択肢を選ぶことも気に入らないはずだ。この何度かの言動で、この【異形】の人となりがある程度わかってきた。
たとえばの話――。
万に一つ、このまま粘り強く紙一重の攻防を続けていれば、あるいは一矢報いることはできるかもしれない。
その一矢は本当に奇跡に奇跡が重なって通常の2乗以上のダメージを叩き出し、【異形】を打ち倒す可能性も、ゼロにはならない。
諦めない限り、可能性はゼロにはならない。それが10をマイナス何乗した程度の確率なのかは知ったことではない。
だが、粘り続ければわからない。相手が辟易としてきた時、疲れた時、気持ちが砕けそうになった時ほどチャンスなのだ。自分が折れかかっている。それは即ち近しい境遇に身を置く相手も苦しいということだ。
全ては、諦めない限り。
――それを本能的に知り、大貴の泥にまみれた戦い方を知る【異形】だからこそ、眉をひそめた。
「どうした? まさか、ステージから降りる気か?」
構わず大貴はそう言った。姿勢は崩さず、嘲笑混じりに。
露骨すぎる挑発だった。安っぽすぎる。普段なら歯牙にも掛けないだろう。
鼻で笑い、歩くついでに小石をドリブルして遊ぶような手軽さで大貴を蹴散らし去っていってしまう。そうしかねない。やりすぎだ。
大貴は猛省した。どうせやられるならと捨て身で挑んだが、やはり慣れないことを練習もなしに上手くできる訳もない。
【異形】は押し黙っていた。言葉を捨て、呼吸を切り、さながら無機物のように感情の波さえ凍りつかせた。
凪いだ雰囲気の中、【異形】は静かに拳を固めた。
乗ってきた――!
ただそれだけの動作が、大貴の心を激しく掻き乱した。決心か揺らぐ。硬く結んでいたはずの拳がほどけそうになる。足場がぐらりと崩れていく錯覚が頭をがんがんと叩き続ける。
【異形】の放つ、最大級のプレッシャー。差し向けるだけで相手の心臓を抉り出すような眼光。いままで刹那的にしか貫かれていなかったものが、目の前で鎮座している――。
「いいねぇ。小賢しい駆け引きもいらねーってのは。オラ、これで最後だろうよ。覚悟はいいか……?」
「もちろん」
「くっ、クククッ……――――いくぞ、鉄屑ッッ!!!」
「あああああああああああああ!!」
大貴と【異形】が、同時に踏み切った。一瞬で相対距離が死滅する。
拳が走る。速度は、ほぼ同じ。
大貴の左肘の先――砲身から、エネルギーは間欠泉のように噴き出した。拳が、体が、最大速度の一歩先まで加速する。
踏み込み。大貴が速い。
――だが、【異形】は、より強い。重い。硬い。
足場が震える。崩れていく。
瞬間、何かが飛び出した。視界を遮る。人影。
ユイだった。
「――!!」
なぜここに。そんな大貴の疑問を【異形】の咆哮が掻き消した。
【異形】の眼光は赤々と怒りに燃えている。なぜだと。こんな物がお前の奥の手か?――馬鹿にしるんじゃーねぇ、鉄屑ッ!!
【異形】の五指が頭蓋を鷲掴みする。ユイを盾にして【異形】の半身が隠れた。
大貴は止まらない。拳が走る。崩落するステージ。大貴は姿勢を崩した。大貴の拳が空を掻く。ユイの鼻先をかすめた。
【異形】から熱が吹き出した。怒気。殺意。憎悪。あらゆる不快感が物質となって空を貫き、大貴を破壊する。
砲口が天を仰ぐ。大貴は崩れる舞台を見る。拳が解ける。空を掻く。
【異形】の殺意が剣となって全身を串刺しにする。
大貴の意識は、断ち切れた。
【異形】が拳を突き上げる。兜の一本角を引き抜き、一振りの大剣が顕現した。物理法則を完全に無視した物体の変形。
――この世界はそういう場所だ。たとえ常識的でなくとも、体の一部であった筈のものは神通無比の武具に変わる。
なぜ? そんなことが起こるのはどうして?
それは使い手がそうあるべきと望んだためだ。機能を成し遂げるだけの自由度と最低限のアルゴリズムがあれば、後は持つものの意識が反映される。
――それならば。
その条件ならば。
俺達は、勝つ。




