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電脳コンプレックス  作者: みそおでん
第三章 「きみをしること」
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Part1 ゲームの裏側 その3

「これから、いかがなさいますか?」


 ドアを閉め、田中が運転席に着いた。バックミラーの角度を調節し、後部座席の巧に視線を送る。


「街を走る車両全てから発信されている電波をチェックします。友人に協力をお願いするつもりです」


「先ほどの仮説の実証ですか?」


「そうです」


「……巧様は、相手を納得させる自信がないと」


 それなのに、人に協力を仰ぐような選択をして上手くいくのか――?


 田中が疑問視しているのはそこだった。


 もっともな質問だ。現に、未だ確たるものはなにもない。ただの仮説の上積み。妄想だ。


 ――だが。


「……アテ、どうにかギリギリつけられたみたいです」


「アテ、ですか」


「先ほど杉村さんは『お客の情報は渡せない』と言いました。『そんな改造を頼んだ車はなかった』と否定することもできたのに、しなかった。

 現実に、杉村さんのところに『電気自動車の処理能力や機能を増設する改造』の依頼があったんだと俺は思います。そして、それを杉村さんも疑問に思っていた」


「それが今回の実行犯だと?」


「それはわかりません。ただ俺が自力で迫るのなら、もうこれしかない――」


 ならば、なりふり構うつもりはありません。


 買収・脅迫、できる全てを使って協力を取り付けます。


 ――そう言おうとして、巧は唇を噛み締めた。皮が切れ、血が細く内側から湧き出てくる。


 そんなことを言って、田中が大人しく運転を続けてくれるだろうか?


 彼は巧の友人でも部下でもない。『父親の雇った従業員』に過ぎない。信頼関係は互いの間に成立しているが、それがふたりの前提条件だ。


 巧の思いより父親からの依頼が優先される。その父親は、我が子を犯罪者にする人を雇うだろうか?


 このまま、家まで黙って送り届けられるだろう。それで終わりだ。――なにもできずに。


 それだけは許容できない。


 このまま、動かない大貴と絢音のいる家でじっとしているなどと。


 ――10人以上を巡って、ようやく見つけた『マシな犯行手段』なのだ。これに縋らずして、どうする。


「ですが、犯人を確保して、そこからどうします?」


「確保する必要はありません。車を探し出して発信電波を止めるだけでも価値はあります。それに、実行犯の車と常に通信しているマザーがいるはずです。そのアドレスを調べ上げて居場所を突き止められるかもしれない。

 ……とにかく、発信されたプログラムに修正を加えるでもなんでもしてログアウト権だけでも奪い返せられればいい。その他のことは警察に任せます」


「……かしこまりました」


 もうそろそろ、2日が経ってしまう。


 これ以上、ゲームを続け、飲まず食わず、脳も休まない状態が続けば――。


 ふたりとも死んでしまう。











「……事情は把握した。お前の見立てもよくわかった。なるほど、さしものおまえも俺に泣きつくというわけだ」


 海岸線に沿った形に位置する公園で、巧は携帯電話を耳元にあてていた。


 既に田中には帰ってもらっている。巧を車から降ろしたのち、待たずに本来の仕事を――巧のわがままではなく父から頼まれた本来の業務を――こなすよう指示したのだ。


 いろいろと防犯体制が整っている水前寺の家だが、リビングで寝たきりの妹や友人をいつまでもそのまんまというのがあまりにも気が引けたのだ。それに。


 この男に頼るということを、できれば誰にも知られたくなかった。


 理由は単純にして曖昧だ。『きな臭い』『胡散臭い』『気に食わない』。


 直感的に、本能的に、根源的に、水前寺巧はこの男を頼りにできない。


 しかし、スキルは認めている。知識の深さもだ。技術者という一側面においてのみ、巧はこの男を信頼していると言っていい。


「おまえ、『情報通』なんだろ? なら、なにか知っているだろう?」


「そりゃあ、なぁ。最近のネットの普及をみろよ。テレビやラジオのニュースを垂れ流しにしたところで、リアルタイムでワールドワイドに情報をゲットできるエクセレントなツールだぞ?」


 腿の横で、巧の指先が荒く振動する。ズボンにシワがよる。唇を噛み締める。沈黙。


 やがて、耳元のスピーカーからため息が漏れ出した。のろのろと軽い声が続いて出てくる。


「わーってる。わかっておりますよ、ぼっちゃま。データサイエンス。情報分析でもしてほしいのか?」


「そうだよ」


  袋ナットのような建物を横目に過ぎ去り、巧は公園を隔てる銀の柵に手をかけた。


 柵は横から見るとギリシャ文字のγのような形を取っている。巧の胸より高い位置まで伸びており、見る人によっては手摺りのような印象を覚えるかもしれない。


「時間がない。さっさと新しい手がかりが欲しい」


「――時間がない?」


「クラッキングを止めるんだ。今すぐにでも。

 最初期からログインしている『サイバー・ブルース』ユーザーはいい加減に限界だ。ゲーム内ではいくら体力に満ち溢れてようが、脳みそフル活用を断食状態で不眠不休で何日も続けては体の方がもたない」


「そうだな、困ったもんだ。身体的には」


 含みを持たせた言い方で男は答えた。巧は空手を握った。爪が手のひらに食い込んで、隙間から空気が逃げていく。


「……って、ああ。なるほど。つーことや、だ。巧。おまえ、犯人じゃあないんだな」


「……なんだと?」


「おまえじゃまだあんな高度な真似できなかったとしても、だ。パドロンになっている可能性は否定できないだろ?」


「心外だな。そもそも家の金は両親が稼いだものだ。俺のじゃない。

 仮にこんなことをしようとしたとしても、家の力は絶対に使わない」


「ダウトだ」


「……なんだと?」


「おまえはそんなロマンチストじみたことを言わない。根っこはもっと冷めた男だよ。もっと冷静に物事を観察して、行動に表す。そうできない理由があるとしたら――」


 それは、ただの感傷だよ。


 男はそう断じた。巧の胸の内を見透かしたように。


 巧は苦く奥歯を噛み締めた。眉間にしわがよる。携帯電話が小さく軋む。


「いざとなってしまえば、親の力なんて、使うことに躊躇いはないだろ?

 ――この『いざ』ってのがくせ者なんだよな、これが。

 おまえは要領がいい。それに勤勉だ。だいたいのことは卒なくこなせる。スペシャルなスラッガーじゃあないが、ま、アベレージヒッターって感じか。

 そして、『打てない球』が来た時、おまえは勤勉さや積み重ねをそこまで重視しない。他の事情――そう、たとえば時間制限なんかだ――が差し迫ったなら、実現可能なカードを躊躇わず切る」


「……言ってくれる。俺がいま、どんなに――……ッ!」


 舌を噛み切る勢いで言葉を差し止めた。


 『適切ではない』『適当ではない』『仮にも教えを請う者に』――。


 巧の中の氷の刃物が、その続きを切り捨てた。


「……おまえの怖いところはそこなんだよな。実際、作れるんじゃないのか? この状況」


「馬鹿なことを言っている暇があるなら、いいからさっさと要件に答えろ」


「分析して、なんだ? 犯人像でも追えって?」


「そうだ。――俺にはできなくても、おまえにはできる。こんなことを終わらせられるだけのものを持っているはずだ。……そうでないとは、言わせない」


「こんなこと、ねぇ……でも、おまえ――」


 意地悪く、いやらしく、男は巧みに囁きかける。「こんなことを『終わらせたがる』人間、いやしない」と。


 「『これから一生不安なく生きれるチケット』が目の前にあって、それをむざむざ自分から捨てられる人間なんて」――と。


「……それとこれとは話が違う。俺は彼らを死なせない義務がある」


 そう言おうとして、巧は唇を噛んだ。じわり。淡く、血が滲む。


 この言葉は卑怯だ。


 正論のひとつだが、それは本来、感情を排除して振るわれなければならない。


 この言葉は正しい。正しさ故に、潔癖で、非情だ。


 このメッキはすぐに剥がれる。藤林大貴の、水前寺絢音の感情の「わがまま」の――権利の前には、フレキシブルでないのだから。


 彼らの選択をねじ曲げることはできる。正しさの旗を振りかざし、有無を言わせなければいいだけの話だ。耳を削ぎ、ただ実行するだけのマシーンになればいい。


 だが――それになんの意味がある。


 友人と家族の命を助ける。とても正しい行為だ。倫理的、常識的に一縷の隙もない。しかし、そこに彼らの意思は、希望は、感情は、やはり一縷も絡まない。


 あるいは、最悪、ふたりの心を巧は踏みにじることになる。正しさが故に。


「それなら、別にいいんじゃねぇの、放っておいたって。世の中に逃げ道を用意してくれるっていうんだ」


「……馬鹿を言うなと、何度も言っているだろう」


 あえて、巧は一切合切を吐き捨てた。電話の向こうを糾弾する。その先にちらつく友人と妹の幻影ごと。


「それなら、今この状況が答えだ」


「ほう?」


「おまえはなぜその『チケット』を受け取らない。勘当されて破産して、逃げ回る資金繰りに必死な生活がそんなに楽しいのか?」


「こりゃ手厳しい」


「何度でも言ってやる。答えは、俺とおまえが会話できるこの状況だ。この『チケット』にはギブアンドテイクのつり合いが取れていない。赤字続きの企画が継続される訳もない。これは近いうちに破綻する」


「そうかな。単純に、誰も彼も、そして俺も、様子を見ているだけなんじゃないのか? みておけよ。隣近所がチケットを取り出したら一緒にいくはずだよ。ご近所付き合いも大変だ。

 だからな、巧。やめとけ。おまえがやろうとしているのは――ただのご近所迷惑だ」


「馬鹿な」


「馬鹿かどうかは時間が勝手に答えを出してくれるんだ。待てばいい」


「そんな時間はない……!」


 頑なに、この男を否定する。語調は熱でいびつに歪んだ。


「視野が狭いんだよ、相変わらず。ご近所付き合いも結構だが、そんな暗黙の了解を一方的に押し付けられるのは許容できない。

 その『えせユートピア』もそうだ。そんな隠れ家だか逃げ場所だかに、自分の意思とは関係なく『迷い込んだ』人間を、俺は少なくとも2人知っている。俺の範囲だけでも、だ。


 誰の断りもなく、当事者すべてに選択権を与えない。全体の為にそこに含まれる個を潰すやり方だ。個人の思想で全を破壊する俺が迷惑だと言うなら、今回の犯人も十分に迷惑で、卑怯で、汚い」


 幾許かの沈黙が流れた。


 電話の向こうで男がせせら笑っている姿を幻視する。


 道理だ。相手が外道だとして、こちらまで外道に堕ちれば元の木阿弥。


 相手を弾劾し断罪するのなら、此方は潔白である必要がある。それが理想だ。


 ――それで、それだけで全てを滞りなく成し遂げられるなら、なんの苦労もない。


 幻はかき消えた。現実が耳に音を届ける。さざなみ。風音。香りをのせる。疑心の海から、浮かび上がれた。

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