Part1 「わざとこころえ」その2
作業場の外まで出て行くと。
絢音はいた。待っていた。
しかし変わった様子があった。
髪のツヤ。衣服。そうしたものの変化ではない。
絢音の雰囲気だ。
仕草。細かな挙動がいやに不自然に見える。
絢音が鎖をじゃらりと指でいじる。首から腰の下まで伸びる長い鎖を。
はたして――今まで首にそんなものがリードのように巻きついていただろうか。
装備したのか。なぜ。ありえない。
大貴の知っている水前寺絢音は、そんな悪趣味ではないはずだ。
水前寺絢音は、もっと――。
「ふじば……タイキさん。なおったんだ」
声の調子もおかしい。語尾が小さく震えている。
「おい……」
大貴は手を伸ばす。聞こうと、問いただそうとした。
袖をつまみかけて指先が止まった。
言葉に詰まった。名前を呼ぼうとして、躊躇したのだ。
アヤ。
たったの2文字。発音するだけでよかったのに。
心のどこかが強くそれを引き止めた。喉に餅が詰まったかのように言葉が何も出なくなった。
「それじゃ、わたし、行くから」
突然、絢音はそう言った。
まてよ。一緒にゲームするって言ったじゃないか。俺は一緒にいたいんだ。
そりゃあ、まだまだ弱いけれど、頑張るから。追いつくから。だから置いていかないで。
――そう泣き叫べたらどんなに楽か。
これはゲームだ。より速いタイムを狙い、より高いスコアを目指す。
そのために弱い人間に歩調を合わせるのは効率的ではない。
つまりそういうこと。聞くまでも、問いただすまでもない。当たり前のこと。
「……」
それらを理解し、納得し、沈黙した。
喉の奥から出てくる言葉は、どれもこれも冷め切っていた。たかがゲーム。どうせ足手まとい。邪魔な鉄くず。
違う。俺が言いたい言葉はそんなのじゃない。もっと別な形で、強く感情の乗った言葉。
でも、見つからない。
まごつく唇を置いて、体は衝動に押されて突き動かされた。
なりふり構わず絢音の手首を掴む程度には、迷いなく。
「……ふじ、タイキさん」
こほん、と絢音はわざとらしく咳払いした。
大貴に背を向け、赤い髪に馴染んだ頭の羽をふわりと揺らす。
「……なんか言ってよ。その……わたしが悪いことしてるみたいじゃない。これ」
これ、と言って、絢音は掴まれた手首をちらりと見やる。
返す言葉など、まともに考えられなかった。
「……ごめん」
「あやまるなら、同じ言葉、もうつかわないで。タイキさんのごめんなさいは聞きあきてるの」
「あっ……う?」
――そうなの?
「タイキさんはすぐあやまっちゃうからねー。わたしといっしょだとめんどくさいよ? がんばれる?」
「がんばる」
反射的に大貴は答えた。これだけは明確に肯定しておきたかった。
「そっ。……そうなんだ。ふーん。そーなんだぁ。ふふっ」
ひらり。絢音が目を向けた。
現実の姿の趣をいくらか程度に残した亜人の容姿に、現実そのままの唇をなぞる仕草。思わず大貴は喉を鳴らした。
「そうだね。約束だしね。しょうがないか」
「な、なひか?」
「かまないのーっ。ゲーム、教えてあげるって話だよ。わたしが教えてさしあげましょう」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
ふふん、と絢音は胸を張った。その様を隅で腕を組みながらシシガミが見ている。
訴えている。恫喝していた。非難されている。ぞくぞくと背中に冷気が這いずった。
――とっとと出てけやクソどもが。
特に言葉にしていないが、そう怒鳴られた気がした。
「あ、そうそう。シシガミ三等兵さん。ありがとうございました」
「礼なら既に貰ってる。払いすぎだ」
「なるほど。払いすぎですか」
「そうだ。だからさっさと――」
「じゃあシシガミ三等兵さん。私たちとパーティ組みません?」
「……なんだと?」
この瞬間――大貴が知る限りはじめて、シシガミ三等兵の顔が引きつった。
絢音は表情を崩さない。いつもの態度。いつもの雰囲気。柔らかな笑顔。屈託のない太陽のような感情の光。
「……イベント中だ。さっきも言ったが、今は俺たちの戦争なんだ。かき入れ時なんだよ。一部の勝ち抜けが決まった以上、どこも必死になる。必死に強くなろうとする。だから大枚はたいても道具を良くしようとする連中は少なくない」
「どういう意味かな?」
「ここを離れられないと言っている」
「……離れたくないんですか?」
「そうだ」
「本当?」
「……本当だ」
「そう?」
絢音は引き下がらない。おそらく彼女の勘がピンと来たのだ。
でなければ絢音がここまでしつこく誘わない。あの雨を予見したように、絢音は勘付いたのだ。
シシガミの真意、あるいは振りゆく出来事を。
「ところで……大丈夫なのか?」
ひくひくとこめかみを痙攣させて苛立ちを表現しているシシガミと絢音の間に、大貴が割って入った。背中に絢音を隠し、ひとまず直に殴らせないよう位置を取る。
「俺はさっき、すぐ近くでモンスターに襲われた。建物を体当たりで崩せるくらいのかなりでっかいやつだ。こんな家の中に篭っていたら危険じゃないか?」
「レベルは?」
「確か……30は越えてた」
「なら問題ない」
「どうして?」
「巣や群れ、隊から離れた『はぐれモンスター』は、いわゆる『落ち武者』だ。傷ついて興奮しているが、疲弊しているから基本戦いたがらない。すべて『逃げる』ために行動する」
――つまり。
勝ち目のない戦いはしない。格上とは戦わない。
逃げるために走り、逃げるために暴れ回る。
「俺のレベルは41。まぁ……意図的に近づきたくない数字だ。もっとも、来たら骨の筋まで丹精込めて素材にしてやるさ」
「ははぁ……」
純粋にレベルの値に驚けばいいのか。はたまたモンスターの習性に感心すればいいのか。リアクションに困る大貴だった。
シシガミは大貴たちが未だ室内にとどまっていることに関しては無視することに決めたようだった。手のひらを広げ、腕輪の装飾を青々と輝かせ、光の渦からデータウンドウ上のアイテムボックスから素材を取り出した。そのひとつひとつを棚に揃えていく。
ここまでのシシガミの態度を見ていて、とてもじゃないが大貴には、彼を引っ張っていけるとは思えなかった。
だが絢音は依然諦めた素振りすら見せていない。
「……いいの?」
「なにがだ」
「気になるんでしょ、タイキさんのこと」
ぼはっ、とシシガミは吹き出した。手のひらから金属片がぼとりと落とした。床がへこみ、金属の塊がごろごろと転がる。
――つまり。
回りはじめた思考を無理やり錆びつかせ、大貴は頭をぶんぶんと振った。振り切るほどに。色んなものを。
「おいクズなに考えてる。違う。違うぞ。違うんだからなッ!?」
急に変わったキャラクターで片手を振って、シシガミはどかどかと大貴に歩み寄って手首を取った。
体躯に似合わない力強さと熱っぽさが金属骨格にじんわりと滲んだ。シシガミの手のひらの熱量は大貴の思考を加速させる。
(まずい)
理屈を超越し、大貴の直感がぐるぐる回る思考を押しつぶした。
反射的に手を振りほどこうと、腕を乱暴に動かして――。
投げられた。
シシガミが身を翻したと知覚した次の瞬間には、体の半分が重力の支配から引っこ抜かれていた。
さながら磁力が渦を成したような吸い込み。大貴の両足は床を離れて天井を踏み、バックパックは石造りの壁に叩きつけられ、視界のノイズがぶわりと津波のように襲いかかった。
「……認めてやる。貴様は全身武具のようにいじれるアバターだ。武具を修復し改造し付け与えることが専門の鍛冶屋にはとって、魅力的に決まってるだろ」
よろよろと起き上がる大貴に、シシガミはぶっきらぼうにそう言った。
「だが俺とてここを退く訳にはいかん。ギルド協定でな。イベント中では一定範囲の量と質の供給が求められるんだ。ウチは他が外に出払ってる。俺が質のいいものを作る以外に選択肢はない」
「そう……ざんねん。タイキさんをなおせるヒト、欲しかったんだけどな」
残念そうに肩を落とす絢音をよそに、大貴は頭に音符を浮かべた。耳元でニルに『緩んでます。口元』と警告され、慌てて直す。
「人材くらいなら紹介してやる。一応信用における腕のある奴だ」
「みんな出払ってるんじゃ――」
「弟子だ。独立してフリーをやってる」
「タレントかよ……」
呆れた調子で呟いた大貴を黙殺し、シシガミは指を伸ばした。
指先は光り、虚空にいびつな四角を書き出した。いびつな四角は一瞬後には正しい矩形に矯正され白く塗り潰された。
かこん――竹が石を叩いたような乾いた音を響かせて、矩形はプレートの形を取り、シシガミの手元に収まった。
名刺程度の大きさのそれを絢音に差し出す。
「行ってそうな場所は教えてやる。ま、断りはせんよ。ただ……」
言いかけて、シシガミが押し黙った。
見るからに、今までの彼の態度らしくない様子だ。
大貴と絢音は顔を見合わせ、首を傾げ――。
――納得したのはおよそ15分後である。
彼は戦場にいた。激戦区ではない。かつて激戦区であったところだ。
大貴がマナンになった頃は灯台周辺がそれだったのだが、今では煤けた建物が点在する程度だ。
灯台入口付近は特に破壊が激しく、街中であるにも関わらず視界は平原のように開けていた。灯台にある【灯】が敵の目的だったのだ。当然と言える。
逆に、なぜ『今いないのか』が解せないことではあるのだが――。
それはそうとして、人が消え行ったそこで、彼は瓦礫を漁っていた。
大きな手で瓦礫を削り飛ばし細いしっぽをせわしなく振って、その下を覗き込む。跳ね回るかと思えば蹲り、頭にヒマワリを咲かせ、時折暗雲を呼んでいる。
頭には巧の【マスター】のような大きな耳もなく、絢音のように羽もない。ただしっぽが生えただけのヒトのようだった。【キキ族】と呼ばれる――まぁ、サルみたいな種族である。
否。大貴は頭を振った。断じて否。着目すべき点は、そんな容姿の問題ではない。問題から思わず目をそむけてしまっていた。
問題は。そう。問題は――言葉を選ばず表現するなら――とにかく変な感じの行動をしているヤツが、そこにいるということである。
「すみませーん。【ゴミ収集車】さんですか?」
「ちゃうわぃボケぇ!!」
突如手元の瓦礫を投げつけてきた。大貴が動くより早く、絢音は腰の銃で瓦礫を撃ちつらぬいた。
ぽかんとする大貴をよそに、絢音は平然と話を続ける。
「トーシャさん、ですよね。シシガミ三等兵さんの弟子の」
「んん? ああ、大将? 確かにそうだ。イエスだぜ。んな時代もあったよ」
トーシャも特に動じない。ゲーム的にはあまり難しくない技能なのだろうか。
「わたしたち、鍛冶屋さんのメンバーが欲しいんです。彼、ちょっとワケありで」
「鍛冶屋ぁ? 俺をそんなダッセー名前で呼ぶなや。別ので呼べよ。ほら、知ってんだろ?」
「? 【ゴミ収集車】ですか?」
「ちゃうわぃボケぇ!!」
今度は激しく地団駄を踏み、やがて俯いた顔をぬっとあげた。
微笑を浮かべたクールな表情――だったが、見苦しいアクションのあとでは台無しだった。
「俺を呼びたきゃ【錬金術師】とでも呼んでもらおうか」
「そんなジョブありませんよ?」
「ちゃうちゃう。んなシステムの話じゃねーの。俺の生き様よ。俺という存在が、即ちアルケミィなわけよ。つまりアルケミズム! 道端のクズから価値を見出す俺のフロンティア・スピリットが唯一無二なアルケミィなわけ。システムが定義した俗なジョブじゃ推し量れねーのさ」
「ほぁ。すごいね」
「いかにも。すごいのだよ。崇めろ」
ぱちぱちと拍手すり絢音の歓声を一身に浴びて、トーシャはうんうんと何度か首を上下に振った。口元が綻び、頭の上ではヒマワリが咲いている。
それをよそに――大貴はひどく置いてけぼりな気分になった。
きっと絢音は、おそらく無自覚であろうが、巧のよくわからない長話をこうやってやり込めているのだろう。生活の一片を垣間見た気がした。
「あんた、よく聞いたらなかなかいい声してるな」
「そ、そう?」
「おう。……ものは相談なんだが、一回『トーシャさんだいすき』……いや『タカマサくんあいしてる』と」
「おい」
寂しく押し黙っていた大貴が、ようやく前に出た。絢音を背に隠し、トーシャのへらへらした顔面をぎらりと睨む。
出たものの――大貴はなにも言わなかった。言えなかった。
考えがごちゃごちゃと散らかっていた。上手く言葉に表せない。感情だけが腹を突き動かす。
「あーん? なんだよ、テメーのためたろワケアリ君。オトナシクしとけや。つか、なんだお前。サイボーグみてーな身なりしやがって」
「……」
ばきばきと指を鳴らすトーシャを、大貴は黙って睨み付けた。
放っておけば何時間でもそうしかねないお互いを見兼ね、絢音は肩に手を置いた。
「タイキさん、ムキになってる?」
「別に……」
言葉とは裏腹に視線を外した横っ面をにわかに膨れさせてむくれているあたり、まるで隠せていない大貴だった。もっとも、まったく自覚はないのだが。
「はっ、だいたいわかった。しょうがねーなぁ、女々しくて」
ふむふむとトーシャは頭を上下に振った。
ばんと両手を勢いよく重ねたのち、まっすぐ大貴の喉に指を伸ばした。
「ゲームだ、それで白黒つけてやる。俺に勝ったらお前の望み通りにしてやるよ? お前の要求は?」
「金輪際、こいつに変なことを吹き込むな……!」
「ほほう? 変なこと? わっかんねーなぁ。どういうこと? 誰に? 誰が?」
「お前が! こいつに! その、す、あ……あっ、あい――」
お、と肩口から絢音が顔を覗かせた。大貴の目の前ではトーシャがにやにやとこちらを見つめている。
――大貴は確信した。
間違いない。おそらくこの世界、このゲームの真理なのだ。
鍛冶屋にいい奴はいない。
「――そ、その都度言っていく!」
「ヘタレめ。じゃあ俺も、その都度好きなことを言っていくから何でも言うこと聞いてもらうぜ?」
「わかった」
背後で不景気な風が鼻に付いた。どうやら、絢音がため息をついたらしい。
その意味を確認する勇気は、大貴になかった。




