Part1 「わざとこころえ」その3
「ゲームのルール説明だ。鉱石を3種類集めるんだ。手段は問わない。この場に先に戻った方の勝利。その判断はアヤちゃんがする。勝った方は、相手の言うことを聞く。――以上だ。ドゥーユーアンダースタン?」
トーシャがにやりと口端を歪めた。ますます腹の無視が暴れ回るのを堪え、大貴は黙って頷いた。
安い挑発だ。気にする必要はない。気にしてはいけない。取り合えってなど――だが。
理性と感情が、分離する。何度かき混ぜても元のように溶け合わない。水と油のように。最初からそうであったように。大貴が気付いていないだけで。
「いくよー? 位置についてっ、よぉおーい――」
視界の端で、絢音が右手を高々と上げた。羽のような質感の赤い髪がふわりと浮かび、首元の鎖がへそのあたりで細かく揺れた。
そして、一拍。
絢音の右腕が下りた瞬間にトーシャは地面を蹴り上げた。その本意気のスタートダッシュに――。
「はっ!?」
――驚愕した。トーシャが。
爆音と砂煙とを背後に撒き散らし、トーシャの遥か先をまっすぐ大貴が突き抜ける。従来のアバターの常識の範囲内なら歴代レコードに迫る加速力でトーシャを置き去りに、大貴は街中を駆けていく。
――おおよそ10秒。
ニルが警告し、大貴は【スレイプニル】の靴――『モードB』を仕舞った。
振り返ってもトーシャは遠い彼方にいた。辛うじてうずくまっているのが見て取れる。
『それで。勝利条件の採掘はどうするんです?』
「……………………あ」
――どうするんだっけ。
本音を悟られる訳にもいかず(既にバレている気がしないでもないが)、とりあえず大貴はどかどかと路上の片隅を叩いて探った。ダンジョン内でなら何度か採掘の経験はあったが、採掘を補助するスキルはひとつも覚えていなかった。
話に聞く限りでは――「ある」場所は、まず音が違うのだそうだ。
これがダンジョン内なら見た目にもわかりやすいのだが、残念ながら瓦礫が散らばった汚い路上では、大貴にはどこもかしこも似たようにしか見えなかった。
黙々と作業する大貴の耳元でニルが小さくため息を付いた。それにもめげずに周囲を叩いて叩いて――ようやく、少しだけくぐもった音を聞き分けた。
「このあたり――」
「おーう、感心だねぇ。頑張ってるかぁ? ドシロート君」
いけすかない声色に、頭で煙が上がった。じろりと目を走らせる。――見えなかったふりをして、また作業に没頭する。
「シカトかよ……まぁいいや、俺の話を黙って聞いとけ。ときどき質問もするから。そのときは答えろ。これはマストだ。でないとさびしーだろうが」
くぐもった音の幅がどんどん広がって行くのを鼓膜が感じていた。確かな前進の感覚を握りしめ、コツコツと小刻みに地面を殴った。
「あいつ、あの彼女。ほっといたら死ぬぞ」
大貴の肩が、びくりと震えた。
――落ち着け、そうじゃない。そう自分に言い聞かせた。慌てるな。ゲームの話だ。現実で眠っているだけの人間が死ぬものか。
「首についてた鎖、あるだろ。有名な奴隷用の拘束具だ。【腐精の鎖】という。家庭用の一作目と三作目で出てきてたな。徐々に鎖が先から腐敗していって、首輪まで達したらデッドエンド。
制限時間はモノによるな。家庭用じゃ3時間でおじゃんだった。イベントでな、【腐り切る前に鎖切れ】……ってつまんねーギャグ聞かせるための鬼畜なミッションだったからプレイヤーには印象が残るんだ」
ゲームの話、仮想の話だ。考えるな。そう唱える。頭の中で渦を巻く思考を切り裂こうと。
考えるな。考えるな。考えるな――。
――考えてしまったら。
「――ッッ!!」
突き上げた左拳にずんと重みが乗じる。【スレイプニル】の【モードC】。レプトアーム・オーバーコート。
大きく長く硬く、大貴の頭程度ならば握りつぶせそうな巨大な拳を、思い切り、地面に叩きつけた。
瓦礫がひび割れ、ひしゃげて、穴を穿たれる。変形するそれは悲鳴のような甲高い音をギリギリと耳元でがなり立てる。
瓦礫が倒れ、辺りに敷かれた砂塵のカーペットがひっくり返った。視界が淡く灰色にべた塗りされる。耳には悲鳴がこびりつく。ガラスに杭を打ちつけて、カーテンのようにブリブリ引きちぎっているような破壊音。
だが。
音では壊せない。大貴の加速した思考が止まらない。
悪いイメージ。恐れの表現。破滅の映像。それが一瞬毎に更新されていく。
水前寺絢音が――。
失望する。喪失する。零れていく。消失する。
そうして、恐怖する。憎悪する。
なにを? ――現実を。目の前の全てを。世界を。自分自身を。
そうした一切を胸に抱いて、消えていく。失っていく。死んでいく。
――水前寺絢音が。
あってはならない未来だ。大貴は、水前寺絢音にそんな感情を抱いて欲しくはない。
誰かを嫌悪すること。何かを憎悪すること。憤り、妬み、呪い、そして終わるような姿を。その片鱗すら見たくない。
そうなってしまうことが――何より怖い。
それが、この場であっても、だ。
おそらく、それを口にしたら、トーシャは嘲笑する。
「何言ってんだおまえ」「ゲームだぞ?」「ちょっと頭おかしいんじゃないのか」
――そうだ。自分でもそう思う。
こんなのおかしい。現実じゃない。何故こんなに必死になる? さっきから、理性はそう投げかけている。
感情は聞かない。
砂埃が口の中に僅かに入っている。歯の間にがりがりとした砂利の感触がある。拳の先の硬い間隔。耳障りな音。なまじリアルなこの環境が、感情を強く後押ししている。
もう、止まれない。
――ゲームだから。
左拳をゆっくり開き、大貴は独白する。
――本気になっちゃいけないなんて、誰も言ってない。
水前寺絢音が危険。それだけで十分すぎるほどなのに。
なぜ、まだ自分は迷っていたのだろう。必死になって、こんなところにまで来ておいて――。
「……なんだぁ?」
訝しくトーシャが眉を吊り上げた。その手でじゃらじゃらと弄んでいるのは、薄く金属光沢を持った鉱石のかけら。ふたつ。
大貴は立ち上がる。破損し修復してもらってから初めて呼び出した【スレイプニル】の【モードC】は、左腕同様、紫色のラインが加わっていた。
大きなシルエットは変わらない。肘から伸びた砲身は大貴の背中では隠し切れないほどの長さを誇り、パンチには石畳を穿つだけの力がある。
「なぁ、勝ったらなんでも言うこと聞くんだよな?」
「ああ」
「なら、もう決めたよ。あんたになにをさせるか」
「ほほう」
大貴はその大きな左手を開く。
握りしめていたのは、石畳の下に埋まっていたもの。
その鉱石を――トーシャに投げ渡した。
トーシャにそれが届くより先に、大貴は地面を蹴り飛ばす。走るのに邪魔な左腕の【スレイプニル】を光の粒子に変えた。
入れ替わりに両足に光の粒子を固め、脚の【スレイプニル】を光の中からひっこ抜いた。
膝までを守るそれは、二股に分かれたつま先の間、あるいは踵から、圧縮した熱流を噴き出し加速を実現する武装だ。
荒れ果てた地面が鋼鉄の脚力と噴流の流体エネルギーにひっぺがされ、礫が雨のように背後に飛び跳ねた。
やはりそれにも介さず、大貴は空手の左を緩く広げ。
鉱石を受け取ったトーシャの顔面に爪を立てた。
じんと指先に不快感が滲む。マイルドになった突き指の痛みだ。骨格を沿う乾いた感覚。
一瞬遅れて、大貴は自分の爪先が鉱石で阻まれたことを理解した。
(見切られた――!?)
『アテンション』
ニルの警告に背筋が震えた。額のゴーグルが眼前を覆うようにスライドする。
データ照会。公開データ判断。ターゲットプレイヤー。トーシャ、レベル28。
グランゲイターよりレベルは低い。勝てない差ではないはず。その判断をニルは強く否定した。
『ターゲットはプレイヤーキャラクターです。プレイ時間に応じた年輪があります。先のモンスターよりレベルこそ低いですが、安く攻撃はあてられないでしょう』
――だからといって!
大貴は奥歯を噛み締め、身を翻した。
腰を起点とした体の回転。左足が踵から熱量をぶちまけ、瓦礫や砂塵をはるか後方に吹き飛ばす。
左足は砲弾となった。空気の壁を押しつぶし突き抜ける一閃。
驚異的速度のその蹴りは――虚空を切った。
左足の【スレイプニル】は上体を後ろに反らせたトーシャの目の前を駆け抜けた。巻き上がった風が耳障りな音を轟かせ、噴射熱は空気を焼き視界を捻じ曲げた。
トーシャの顔が歪んだ。この瞬間、トーシャの眼から距離感が死ぬ。
空振りした左足が地面をキャッチする。だが【スレイプニル】の推力はいまだ体を回転させている。トルクは生きている。それに乗って、両腕もまた風を巻く。
一回転分の加速を背に、右肘がトーシャを狙った。トーシャの距離感は死んでいる。見切れるはずがない――。
「にぃぃぃ!」
肘がトーシャを捉える。寸前、トーシャが背後に跳び退いた。大貴の肘は鋭く空を切る――。
(逃がすかぁぁあッ!)
思い切って、歯を食いしばって、大貴は曲げていた肘をぐっと伸ばした。
身体に残る推力に逆らう。腰。背中。膝。足首――体のあらゆる関節と骨が悲鳴を上げた。
肝心の右腕も骨が軋み、拳がほどける。弱々しく指先は空気を掻いて。
――トーシャの頭蓋を掴み取った。
「このっ……!」
トーシャの顔がまた歪んだ。先のものとは毛色が違う。
不快感でなく悪寒。暴力の接近でなく接触を理解する反応。
あるいはそれへの畏怖――危機感に。
「ぅああああああああああああああああああああッ!!」
握り固めた左拳が、大気に紫色を滲ませ――トーシャの顔面を。
ふわりと柔らかな一瞬の感覚に遅れ、硬い骨格を捉えた手応えが骨身に滲む。
人を殴る感覚――。
過去、何度か味わった記憶のある感覚――。
奥歯を噛み締め、一気に振り抜く。
トーシャが飛んだ。
放物線を描いたそれは、体を緩やかにきりもみ回転させ、煉瓦で組み上げられた壁に頭を打ち付ける。
血こそ噴き出さず、そのまま壁で跳ねてうつ伏せに落下した。
大貴の足元で【スレイプニル】が光に砕けた。その間、目にかかったゴーグルが伝える。ターゲット、意識正常、体力残存。
派手に殴り飛ばせはしたが、見た目ほどの大ダメージを加えられていないのだ。
そもそもゲームオーバーに追い込む気はなかった。攻撃に怯んで手に持った素材さえ離してくれさえすれば、それで大貴は勝利できる。
しかしやはりそれでも、あれだけ派手に吹き飛びぶつかっても体力ゲージが三割削れないというのは、ちょっと、さすがに。
『出力は制御していましたので』とはニルの弁。『そう何度もオーバーフロウさせては安定器として面目がありません』
ニルの言葉に特別返答も返さず(どうせよくわからない話である)、大貴はじっとトーシャを見つめる。
注目するのは手元だ。鉱石を握る左手。決して離されない鉱石。勝利条件。
ほどなくトーシャが起き上がった。ゴロゴロと鉱石をみっつ、器用に指先であやしている。
「で? 今のうちに聞いてやんよ。俺をどうすんだ?」
「……鎖の外し方を教えろ。あいつの」
「『あいつ』……『あいつ』だぁ? モノ扱いか? まぁ、お下品」
「別にそんなっ……!」
「ハッ、単純――ァアッ!?」
叫び、トーシャが地面を蹴り飛ばした。殆ど同時に大貴もスタートを切る。
目指すはゴール、絢音。
それまでに、トーシャから勝利条件を――鉱石を奪い取るッ!
トーシャの足はそう早くない。
だが【スレイプニル】を使わない大貴よりいくらか早い。
『ユニット・ウエイトの差です。金属フレームの本機に対し、ターゲットは皮装備が基本ですので――』
だまってろ。ニルを意識の外に追いやる。
――集中。
情報の波間を束ね、ひとつのウェーブに組み上げる。
乗りこなせるかどうかはまた別の技量。運。経験則。大貴には絶望的に足りていない力。
だがチャンスはある。可能性はある。いくら低くても存在する。今は、それさえわかればいい。
右手に力を込める。
光り、【スレイプニル】の右の小手を、【モードA】を引き抜く。
これはワイヤーに繋がれた矢を撃ち出す一門を備えている。射速や角度は右手の指で操作できる。
小指の操作でロックは外れ――。
「やあああああっ!」
右腕を払い、鏃を打ち出す。
ぎゅん――と矢先がワイヤーの尾を伸ばして滑空する。
弧を描く鏃はトーシャを追い抜き――。
「はぁぁぁん!?」
トーシャが語尾を甲高く引き上げた。
【スレイプニル】のワイヤーの前に急ブレーキを踏み、足元からなにかを拾った。
鏃が廃墟の壁に突き刺さる。
大貴がトーシャに追いつき手首を返し、鏃を引き抜く。腕を払い、ワイヤーを引き寄せた。
有機的な動きで鏃は走る。ワイヤーはトーシャを中心にトグロを巻いた。包囲網でフィットワークを潰す。
鏃はトーシャににじり、寄り――触れ。
ゴッ、と硬い固形物に触れた音を立て。
「ばぁんっ」
――爆発した。
【スレイプニル】のワイヤーが吹き飛ばされ、大貴にびりびりと衝撃が走る。痛みはない。ダメージも。
だが――瞬間的に、大貴の集中力は大きく削られた。
「――ッ!?」
渦巻く黒煙が引き得ぬ内に、大貴の下腹部を衝撃が貫いた。
胃から腸までつららを押し込められたような感覚が体を襲い、真後ろに大きく吹き飛ばされた。
(ねらわれたっ……)
奥歯を噛む。
これは『しかえし』だ。先の大貴の不意打ちへの報復。
だから衝撃だけ。吹き飛ばされるだけ。
体力は綺麗に七割残り、五体に深刻なダメージはない。
二度三度瓦礫に頭からぶつかった。何度かゴーグルの液晶にノイズが走り、ほどなく真っ黒に落ち着いた。
唇と頬が触れたじゃりじゃりとした感覚を頼りに、どうやらうつ伏せになっていることを理解した。
両腕に力を込め、両膝に喝をくれ、両目を強く見開いた。
トーシャは未だ、そこにいた。
一度目の爆発から動いていないのは【スレイプニル】が壁につけた傷からすぐに理解できた。ゴーグルが表示する位置情報もそれを支持している。
振り切ることも、とどめを刺すこともせず、トーシャは大貴を見下ろしていた。
「なぁ、俺が勝ったら『アヤちゃんに』どうするか――教えてやろうか?」
トーシャの口端が、にたりと吊り上った。
――瞬間、思考が途切れた。
激情に任せて地面を殴りつける。大貴の体が跳ねる。つま先に地面を捉え、一気に疾走。
大貴の腕に呼応して、地面に落ちていた鏃に活力が戻る。
トーシャが手のひらを広げた。腕輪が青く光り、手のひらに拳大の結晶がせり立った。発掘した鉱石とは似ても似つかぬ淡い黄色を帯びた半透明の水晶だ。
大貴が空手で手首を振った。それに倣って鏃は走り、ワイヤーが伸びる。
鋭利な矢先は放物線を描いてトーシャに迫る。
トーシャが足元の礫を蹴り上げた。それを水晶で軽く小突き――。
「はっはぁ!」
礫に水晶の黄色が移った。礫は鏃の軌跡上に入り込み。
先端が、礫に触れ。
「――ッ!?」
どんっ、とまた衝撃が走った。
先ほどの体を突き抜ける外圧とは違う。体が破裂し骨が弾け五臓六腑が爆散するような、内圧。
鏃が礫から外れ、体が意図せず片膝を付いた。
返ってきた意識がのろのろと状況を分析し、後を引く痺れとゴーグルのインフォメーションが『電撃攻撃』であったと告げた。
――ただの、石が帯電? なぜ電気を?
混乱する大貴の前にトーシャが立った。にたにた。
手のひらが結ばれ、水晶が消える。にたにた。
『エスティメーション。ターゲットの能力は【鍛治スキル】です』
「……か、じ……?」
「言ったろ? んな名前で呼ぶな。俺は、『錬金術師』だ」
トーシャが言い放ち、手のひらからまたなにかが隆起する。
今度は水晶ではない。岩石だ。どす黒く、ひび割れた一部がざくろのように真っ赤。
また足元の瓦礫のかけらを拾い上げた。一瞬、瓦礫が青く光った。
直感する。これは先ほど見た光だ。左腕を直してもらった際に見た光。鍛治の光。
――鍛治とは、大貴の体を直すもの。モノを修復するもの。改良するもの。付け与えるもの。
トーシャは、一瞬でなんでもないアイテムに効果を付与しているのだ。
煙幕。爆発。帯電。そういった『爆弾』を、その場で。
素材はどうとして、起爆物はその場にあるもの。この半壊した街そのものが、トーシャにとっての武器庫となるのか。
にたり。トーシャが笑う。無言で笑う。
それは『その先』を見据えて、その実行の意味を込めた勝利宣言に見えて――。
「……ッッ!!」
大貴が歯を食いしばった。目の前にぱっと光が広がる。
――白の世界。
その中で大貴は一点を注視した。貫くべき一点。守るべき一点。
そこに、手を伸ばす――。




