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初対面の令嬢が私の破滅を予言する〜ただし的中率はゼロ〜  作者: 九葉(くずは)


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9/11

第9話 書いてあったのに

冬の大式典の夜は、千の蝋燭で昼のように明るかった。


謹慎の身でも、ノルドルムの家の娘として、この夜会に招かれる資格まで失ったわけではない。私は借り物ではない、母の見立てた藍色のドレスに身を包み、ヴァト隊長からもらった手袋を嵌めて、大広間の敷居をまたいだ。背に刺さる視線の意味は、痛いほど分かっている。毒を盛ったという噂の令嬢が、よくも顔を出せたものだ、と。


けれど、私は逃げも隠れもしなかった。今宵ここで、あの娘が動く。そう読んで、私は来たのだ。


人垣の向こうに、春色のドレスがあった。ダニカ様は頬を上気させ、何かを待ちわびるように、きらきらと目を輝かせている。今夜こそ、自分の筋書きがいちばん美しい場面を迎えると、信じきっている顔だった。


広間の隅には、詰めの術士として呼ばれたボーディル先生の姿もあった。目が合うと、先生はわずかに頷く。先生がいてくれる。それだけで、心の据わりがまるで違った。



舞踏が始まってほどなく、それは起きた。


広間の中ほどで、年若い令嬢がひとり、喉を押さえて崩れ落ちた。手にしていた杯が床に転がり、悲鳴が上がる。先ほどまで談笑していた娘が、見る間に顔を青ざめさせ、痙攣しはじめている。


その瞬間、ダニカ様の声が、高らかに広間を貫いた。


「皆さま、ご覧になって! シグリ・ノルドルムが、あの方の杯に毒を盛るのを、わたくしはこの目で見ましたわ。あの女は、ついに本性を現したのよ!」


いっせいに、無数の視線が私へ突き刺さった。毒という言葉と、禁制薬の噂と、謹慎中という私の立場とが、今度こそ最悪の形でひとつに繋がろうとしている。誰かが私の腕を取ろうと近づいてくる。これが、あの娘の描いた断罪の場面なのだ。


けれど、その手が私に届く前に、大きな背中が、私とざわめく人垣のあいだへ割って入った。ヴァト隊長だった。


「お待ちを。ノルドルム様は、たった今、私の目の前で広間に入ったばかりだ。あの令嬢の杯に、近づいてすらいない」


低く、けれど広間の隅まで届く声だった。騎士隊の隊長が、衆目の中で、毒殺を疑われる令嬢の前に立っている。ざわめきが、一瞬だけ怯んだ。



けれど、私の足は、その庇いの背すら追い越していた。疑いがどうであろうと、目の前で人が倒れている。考えるより先に、私は床へ膝をついて、苦しむ令嬢のかたわらにいた。


手袋を外す間も惜しくて、私はその裏地つきの手袋のまま、令嬢の脈をとり、瞼を開いて瞳を検めた。喉の腫れ、痙攣、青ざめた唇。この症状には、覚えがありすぎる。


「これは、海の向こうの黒い実の毒です」


顔を上げ、私ははっきりと告げた。


「私の薬棚に仕込まれていた、あの禁制の毒と、同じものです」


私は床に転がった杯を拾い、残った酒の匂いを嗅いだ。鼻の奥が痺れるはずの、あの青臭さがない。葡萄酒は、澄んだままだった。


「この杯に、毒は入っておりません。この方は、杯の酒で倒れたのではないのです」


どよめきが起きた。当然だ。毒を疑われている張本人が、毒ではないと言ったところで、誰が信じよう。「苦しまぎれの言い逃れだ」と、誰かが吐き捨てる。


そのとき、人垣を分けて、ボーディル先生が進み出た。私の隣に膝をつき、令嬢の容体をひと目検めると、年老いた治癒術士は、広間じゅうに響く確かな声で言った。


「ノルドルム嬢の見立てに、間違いはありません。この娘が口にしたのは、酒ではない。もっと前に、何か別のものを。症状の進み具合が、たった今盛られたものではないと、はっきり示しております」


私は、令嬢の指先にかすかに残った、甘い匂いに気づいていた。焼き菓子だ。倒れる少し前、この方は誰かに勧められて、菓子を口にしていた。毒は、その中にあったのだ。じわじわと効くこの毒が、今ごろになって、ようやく牙を剥いた。


言いながらも、私の手は止まらない。薬箱を寄越してもらい、解毒の薬を令嬢の舌の下へ送り込む。間に合うはずだ。この毒の回り方なら、まだ。


その隙に、ヴァト隊長が一歩進み出て、懐から一枚の書付を取り出した。


「この毒を商う店は、王都にただ一軒。初めは口を濁していたが、騎士団の名で帳簿を検めさせると、店主は観念した。海の向こうの黒い実は、つい先月、グレンスタッド伯爵家の使いの娘が、買い求めていったそうだ」


広間が、しんと静まり返った。無数の視線が、今度は私からゆっくりと逸れて、春色のドレスへと集まっていく。グレンスタッド。ダニカ様の、家の名だった。


「ち、違うわ。わたくしは、ただ……そんな、死ぬはずじゃない。あの子は、目を覚ますだけのはずで……」


そこまで言って、ダニカ様は自分の口を押さえた。けれど、もう遅い。私には分かってしまった。この人は、これを「無害な見せ場」だと思っていたのだ。気を失うだけの、筋書きの一場面だと。本物の毒が、本当に人を殺しかけるのだということを、まるで分かっていなかった。



「だって……だって、そう書いてあったのに……!」


ダニカ様は、その場にくずおれた。誰も、彼女を支えなかった。


「ここは、そういう世界のはずだったのよ。わたくしが主役で、あの人の隣に立って、あなたは断罪されて消えるはずで……どうして、どうして誰も、筋書きの通りに動いてくれないの……!」


泣きじゃくるその姿に、私はボーディル先生の言葉を思い出していた。筋書きを手放せない娘。それしか、自分を確かめる術がない娘。目の前にいるのは、企みに失敗した悪人ではなかった。信じていた世界に裏切られて、たったひとりで立ち尽くす、迷子の子どものようだった。


取り押さえられ、引き立てられていくダニカ様を、広間の誰もが、もう先ほどとは違う目で見ていた。憐れみと、薄気味悪さと。そして、私に向けられていた疑いは、潮が引くように消えていた。



やがて令嬢の息が整い、薄く目を開けるのを見届けて、私はようやく、こわばった肩から力を抜いた。間に合った。今度こそ、ちゃんと。


喧騒が少しずつ遠のいた頃、ヴァト隊長が、そっとそばへ来た。


「無事で、よかった」


助けられてばかりだ。私が礼を言いかけると、彼は珍しく、私の言葉を遮った。


「……前から、言いたかったことがある」


四角い顔が、蝋燭の灯りの下でも分かるほど赤い。彼はいつものように手の甲を握り込み、それから、意を決したように口を開いた。


「治療院に、何度も通っただろう。膿んでもいない擦り傷で。肩も、どこも痛めていないのに。……あれは、診てほしかったわけじゃない」


息が、止まりかけた。膿んでもいない傷で、何度も訪ねてきた、あの不器用な来訪の意味が、今になって、ひとつに繋がっていく。


「ただ、あなたに会いたかった。それだけだ」


私は、何か言わなければと思った。けれど、胸の奥がいっぱいになって、言葉が出てこない。きっと、人を救ったあとの昂りが──と、いつものように思おうとして、今度ばかりは、それが言い訳にならないことに、私は薄々気づいていた。


何か答えようと唇を開いたそのとき、令嬢を運ぶ人々の慌ただしい足音が割り込んで、私の言葉は、行き場をなくしてしまった。


ダニカ様の泣き声は、もう遠くなっていた。当たらない予言を、最後まで信じ抜いた娘の声が。


千の蝋燭は、何事もなかったように、まだ昼のように広間を照らしている。けれど、何もかもが、もう昨日とは違っていた。私の濡れ衣も。あの娘の運命も。そして、手袋に包まれた私の手が、まだ覚えている、あの人の言葉も。

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