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隣国の王子が「真の聖女」を求めて来ましたが、結界の強度が強すぎるようです

 元婚約者・ジュリアスが鉱山送りになってから一ヶ月。

 私の生活は、穏やかという言葉を通り越して「神域」に達しようとしていた。


「リディア様、おはようございます。本日の外気は微粒子が標準値より多かったため、屋敷の周囲一キロメートルの空気をすべて真空浄化し、私の魔道具で生成したものに差し替えておきました。存分に深呼吸なさってください」

「……おはようございます、カイル様。空気を入れ替えるために、わざわざ魔法陣をフル稼働させたのですか?」

「当然です。リディア様の肺に、下界の汚れた塵を一つでも入れるわけにはいきません」


 銀髪を完璧に整えたカイル様が、私の寝室の扉(もちろん、ミスリル製の防核仕様に改築済みだ)の前で跪いている。

 彼は私の手を取ると、今日も今日とて指先の一つ一つに、祈るような、あるいは所有を誇示するような熱い口づけを落とした。


 アシュバートン公爵家を追放された私は、今やカイル様の領地にある「浮遊宮」に住んでいる。

 ……そう、彼はついに、私を地上から物理的に切り離したのだ。

 雲の上に浮かぶこの屋敷には、カイル様が許可した者以外、鳥一羽すら近づくことができない。


「カイル様、今日は隣国の第三王子様が、外交の儀でこちらにいらっしゃる予定ではなかったかしら?」

「ああ、あの野心だけが肥大化した無能な金髪男のことですね。ご安心ください、彼は今、地上の門前で『物理的な絶望』を味わっているところです」


 カイル様が指を弾くと、魔法の鏡に景色が浮かび上がった。

 そこには、豪華な装飾を施した馬車と共に、呆然と立ち尽くす美形の青年――隣国の第三王子、レイナルドが映し出されていた。


 地上の正門前。レイナルド王子は、自分の目の前にそびえ立つ「何か」を見上げて絶句していた。


「……おい、これは何の冗談だ? 私はリディア・フォン・アシュバートン嬢に、我が国の国政を立て直す『真の聖女』として迎えに来たのだぞ。なぜ、門の代わりに『厚さ十メートルの鋼鉄の壁』が立ちはだかっているのだ!?」


 レイナルドは焦っていた。

 ジュリアスという愚か者がリディアを捨てたおかげで、この国の財政と内政が崩壊しかけているという噂は、隣国にも届いている。リディアこそが実質的に国を回していた「頭脳」であることを見抜いていた彼は、彼女を甘い言葉で誘い出し、自分の妃に据えようと企んでいたのだ。


「開けろ! 私は隣国の王子だぞ! 友好条約を盾にしてもいいのか!」


 レイナルドが連れてきた魔導師たちが、一斉に壁に向かって破壊魔法を放つ。

 だが。


 ――カン!!


 凄まじい金属音と共に、放たれた魔法はすべて「物理的に」跳ね返され、レイナルド王子の馬車の車輪を粉砕した。


「な、なんだと……!? 魔法反射リフレクトではない、ただの物理的な強度が、魔法の概念を凌駕しているというのか!?」


 そこへ、空からカイル様の冷ややかな声が、共鳴器によって降り注ぐ。


『――不愉快ですね。リディア様は今、最高級の桃を召し上がっている最中です。貴方のような、下心の透けて見える男の相手をする時間は一秒もありません』


「カ、カイル・ヴァン・ブライトか! リディア嬢を出せ! 彼女は君のような暴力的な騎士に閉じ込められるような器ではない! 彼女の知性は、我が国でこそ輝くのだ!」


 レイナルドが叫ぶ。彼はジュリアスよりは多少、知能があった。だからこそ、リディアを「能力」で評価している自分なら、彼女を説得できると信じていたのだ。


 しかし、その言葉がカイル様の逆鱗に触れた。


『……閉じ込める? 聞き捨てなりませんね。私はリディア様の自由を尊重しています。ただ、彼女に近づくすべての害悪を、物理的に根絶やしにしているだけだ』


 次の瞬間、レイナルド王子の周囲の地面が、猛烈な勢いで「隆起」し始めた。

 カイル様が上空から放った魔法が、地殻そのものを物理的に押し潰し、反動で周囲を跳ね上げたのだ。


「うわああああっ!? 地面が……地面が牙を剥いてくる!?」


「レイナルド様! お逃げください! この領域が、あの騎士によって書き換えられています!」


 魔導師たちが叫ぶ中、レイナルド王子は無様に地面を転がった。かつてのジュリアスと同じように。

 カイル様は容赦しない。


『リディア様を「利用価値のある道具」として見ているその眼球……。本来ならくり抜くところですが、リディア様の目が汚れるといけません。……物理的に、視界から消えなさい』


 カイル様が宮殿のバルコニーから、一振りの剣を抜かずに突き出した。

 魔法が衝撃波となって地上を直撃する。


 ドン!!


 爆音と共に、レイナルド王子一行は、彼らが乗ってきた豪華な馬車が破片と共に周囲に「吹き飛ばされた」。

 二度と馬車に乗るのが怖くなるレベルの恐怖を刻み込んで。


「……カイル様。今、物凄い音が聞こえたのですが」


 私は、カイル様が銀のフォークで差し出してきた桃を口にしながら、遠くを見つめた。


「ああ、あれは地震です。リディア様の幸せを祈って、ゴミが去っていっただけですよ」

「ゴミにしては、ずいぶん……まあ、静かになったのなら、いいですわね」

「リディア様は、あんなものに興味を持つ必要はありません。……それよりも、見てください。今日のティーセットは、リディア様の瞳を傷つけないよう、光の反射率を計算して磨き上げた特注品です」


 カイル様は私の足元に跪き、ドレスの裾にそっと顔を寄せた。

 その姿は、狂気的なまでの忠誠心と独占欲に満ちている。


 かつて私を裏切り捨てた者たちは、今や地を這い、飛ばされ、惨めな結末を迎えている。

 一方で私は、この物理的に最強すぎる騎士様に、文字通り「浮世」から引き上げられ、至れり尽くせりの保護を受けている。


「カイル様……。私、たまには地上に降りて、街の市場でお買い物でもしたいのですけれど」

「名案です! では、今すぐ市場の全店舗を買い上げ、この浮遊宮の庭に物理的に移転させましょう。リディア様が歩く必要がないよう、店舗ごと動く歩道で移動できるように改修します」

「……そういう意味ではありませんわ」


 どうやら私の自由が「物理的に最強な形」で実現される日は、まだまだ先のようだった。

 けれどカイル様の腕の中にいる限り、この世界で私を傷つけられるものは存在しないのだと、私は確信していた。

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