第29話 北の湖畔
北にある魔粒子が収束する地にも湖があった。ルーナがいた湖と同じく、澄んだ水が揺れている。
そのほとりで、今日は一泊することにした。日が落ち、焚火の明かりでそこだけがぼんやりと明るい。
レミは湖と岸の境にしゃがみ込み、パシャッと水を叩いた。水面が小さく波打つ。
「どうしたんだ?」
彼女の背後から声がかかった。ディランが不思議そうに見ている。レミは首だけを動かして振り返った。
「いや、ここに魔粒子が流れ込んでいるのかなって思って、触ってみただけ」
「何かわかったか?」
ディランが訊くと、レミは首を横に振って顔を湖に向けた。暗い湖は静かで、穏やかだった。ディランはレミの隣に腰を下ろした。それからぎこちなく口を開く。
「あのさ。この前の村で、俺、何か気に障ることしてしまっただろうか?」
ディランの問いに、レミは首を傾げる。彼に何かされた覚えは何もない。
「その……泣いていたようだったから」
ディランは言い淀みながら続けた。女性を泣かせてしまったという後ろめたさが滲み出ている。
レミはひと息ついて答えた。
「ディランのせいじゃないよ。あたしの、気持ちの問題だから」
「それは、解決できたのか?」
レミはその問いに即答できなかった。右手が銀のブレスレットに伸びる。レミは目を閉じて、もう一度、自分に言い聞かせたことを繰り返す。
(ユリアスさんは、もういない。いるのは、ディラン)
今度はストンと心の中に言葉が落ちた気がした。レミはゆっくりと目を開く。
黙っているレミに、ディランは言葉を重ねた。
「すまない、言いにくいこと聞いて」
「大丈夫。もう、落ち着いてる。ディランはお人好しだね」
レミは軽く笑った。そのお人好しは、嫌いじゃない。それから大きく息をついた。
「それよりも、明日のこと考えなきゃ。人間界では忌避されているけど、精霊界で『魔力なし』はどう扱われているんだろ?」
レミの心に引っかかっていたこと。それは『魔力なし』の自分が精霊界に行っても大丈夫だろうかということだった。
ディランは答えが見つからず、口を閉ざす。
『魔力なし』は不吉の象徴。
彼はそう教えられてきた。精霊界でも同じような扱いだったら、精霊たちからレミを守れるだろうか。
「たとえ、黒の子と罵られても、レミはレミだ。何を言われたって、ここに生きているんだから」
ディランは小さく笑って、ポンポンとその頭を撫でた。
レミは黙って撫でられた。ディランの手は温かい。この手は嫌いではなかった。
「そろそろ休もう。ルーナのおかげで魔物は寄ってこないらしいから、ゆっくり休める」
ディランは立ち上がってズボンに着いた汚れを払った。レミも腰を上げて、足の裏を伸ばす。
焚火の横ではクリスが身体を温めていた。寒いのか頻繁に手をこすり合わせている。アルヴェントも焚火に背中を向けて小刻みに動いていた。
日が落ちて、一気に気温が下がった。湖畔を駆け抜ける風も冷たい。
「二人とも、何でそんなに平気なの?」
寒そうな素振りを見せないレミとディランを恨めしそうにクリスが見やる。彼らとしては、寒いことには寒いが、騒ぐほどではない。
「くっついて寝る?」
「そうする」
レミが首を傾げると、クリスは即答した。それを聞いていたアルヴェントがちらりとディランを見る。目線で何かを訴えかける。
「俺はくっつかないからな」
アルヴェントの無言の訴えを、ディランは退けた。アルヴェントは小さく「ケチ」と文句を垂れる。
「魔法使うからいいよ」
と、アルヴェントが拗ねた。魔法があるならそれを先に使ってくれ、とディランは思ったが、口には出さない。
レミとクリスは荷台で同じ毛布にくるまり、アルヴェントは魔法を使って暖を取った。
翌日、ルーナが作ってくれた精霊界への出入り口の前に立った一同は期待と不安が入り乱れていた。
レミはクリスとディランの手をぎゅっと握り、アルヴェントはワクワクが身体から溢れている。
精霊界への出入り口は光の渦だった。吸い込まれそうな白がぽっかりと口を開けている。
《黒の子よ、対を、ソールを頼んだ》
ルーナの声は切実だった。対の不在は世界の均衡を乱す。しかし、ルーナ自身が出来ることはほとんどなかった。
レミはルーナを振り返り、頷く。ルーナの目が細められた。
「せーの」
皆で声をかけ合い、光の渦へ踏み入る。眩い光に一瞬、視界が奪われる。
戻って来た視界に飛び込んだのは、森だった。しかし、木の葉は茶色に枯れ、草花は力なくしおれている。空には曇天とは違う灰色が覆っていた。
「ここが、精霊界?」
アルヴェントがつぶやいた。
「ほら、大丈夫だっ――」
クリスはそう言ってレミを振り向いた。
レミの姿はない。
代わりにクリスの手を握っていたのはシャルティスだった。ディランの手を握っているのはクロウスだ。
全員がギョッとする。
シャルティスとクロウスはレミを探すようにキョロキョロと辺りを見回す。やはり、レミの姿はどこにもない。
クロウスは、もにっもにっとディランの足にすがる。シャルティスも泣き出しそうな顔でクリスに抱きついた。
「もしかして……」
クリスの顔が青くなる。ディランも同様だ。
「起きちゃったね、"エラー"のほうが」
アルヴェントが引きつった顔でつぶやいた。
お読みいただきありがとうございます。
恐れていたエラーが起きてしまいました。




