第25話 あの時、聞けたなら
明け方、ぼんやりと礼拝堂の中が明るくなっていく。
舟をこいでいたレミは布がこすれる音にハッと目を覚ました。慌ててディランを見やる。薄っすらと目を開けたディランが天井を見上げていた。
「ディラン、気が付いた?」
レミが彼の顔を覗き込む。金色の瞳が彼女を映した。まだ意識がぼんやりしているのか、目に力がない。
「レミ……? ケガは?」
かすれた声でディランが尋ねる。レミは開きかけた口を閉じ、唇を噛んだ。ゆっくりと息を吸い、口を開く。
「あたしは大丈夫。人のことより、自分のこと心配しなよ」
「そっか……」
ディランは安心したように笑う。レミは「あたしが言ったこと聞いてた?」と顔をしかめた。
自分のことより、他人のこと。
アルヴェントが言うには昔からの性分のようだ。レミは覗き込んでいた態勢を胡坐に戻してトンと腰を下ろす。
「まだ寝てていいよ。日が昇るには早い時間だし」
ディランは窓の外に目を向けた。暗かった空に明るさが差し込んできている。ぼんやりと明るい礼拝堂で光る何かがあった。ディランはそちらに目を向ける。
レミの頬から雫が伝っていた。それを見たディランは目を見開く。
「……どうしたんだ?」
「何が?」
レミは涙のことに気付いていないようだ。
ディランは、ぐっと上体を起こす。その拍子に額にあった氷嚢が転げ落ちた。
レミは慌てて、まだ寝ているよう彼の身体を支える。
動いたことで、涙が揺れた。そこでようやく、レミは自分が涙を流していることに気付いたようだ。
ピタリと動きが止まり、ゆっくりと頬に手を伸ばす。
「あれ? どうしたんだろ?」
レミはサングラスの下から指を入れ、左右の目を拭う。雫は止まらない。指先が濡れていく。
ディランはポンと彼女の頭に手を乗せた。
「すまない。心配かけた」
頭から伝わる熱を感じながら、レミは小さく頷いた。
胸の中で何かがグルグル回っている。明るい色ではない。暗い色の何か。
言葉にはしてはいけない。
レミはたまらず立ち上がった。
「ごめん、ちょっと外出てくる」
ディランの言葉を待たず、レミは礼拝堂を飛び出して行った。
「あーあ、女の子泣かせちゃった」
アルヴェントが毛布から顔だけ出してディランを見ていた。責めるような視線に、ディランは気まずそうに口元をゆがめる。彼女を追うだけの力が、まだないことが悔やまれた。
ディランは仕方なく、氷嚢を額に乗せて横になった。
レミは村のはずれの木の下にしゃがんでいた。溢れる涙が止まらない。
――すまない。心配かけた。
聞きたかった言葉のはずなのに、聞きたいと思ったのは彼からではなかった。
もし、三年前にその言葉が聞けたなら、どんなに良かったか。生暖かい感触が、冷たくなった手が、レミの両手に蘇る。その手を涙が濡らした。
(ディランとユリアスさんを勝手に重ねて。なんて酷い奴なんだ、あたしは)
胸の中でグルグル回るものが、どんどん黒くなっていく。
ディランが回復したことは嬉しい。嬉しいはずなのに、別の感情が湧き上がってくる。
それを押し殺すことが、彼の前ではどうしてもできなかった。
――どうして、ユリアスさんじゃなかったんだろう。
そう考えてしまう自分が、ひどく醜いものに思えた。
左手でブレスレットが揺れた。レミは胸元でギュッとそれを握りしめる。
(ユリアスさんは、もういない。いるのは、ディラン)
レミは自分に言い聞かせた。頭を冷やそうと、木の根元に座り込む。
頭では解っている。ただ、胸の中で回るものが、なかなか消えてくれない。
(引きずっても仕方ないのに。バカだな……)
レミは、くしゃりと前髪を握りしめた。止まりかけていた涙が、また溢れてくる。
山際から太陽が顔を出した。温かな光が村に降り注ぐ。木の陰に座っているレミには、その温かさは届かない。
彼女に気付いた村の男性が近づいた。
「おい、どうしたんだ? 大丈夫か?」
心配そうに年配の男性が声をかけた。レミは急いで立ち上がる。その拍子に涙が頬を伝った。サングラスを額に上げて、袖で拭う。
「大丈夫ですよ」
レミは男性に笑顔を向けた。その時、サングラスはまだ額の上だった。彼女の瞳の色を見た男性の顔が驚愕に彩られる。
「お、お前……『魔力なし』か!?」
レミの顔がサッと青ざめる。しまった、と思っても、もう遅い。もう見られてしまった。
逃げるように走り去る男性を、レミはただ見送ることしかできなかった
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