【第12話】消せない記録
「分からないけど……」
エレナは、祈るように両手を自らの胸に当てる。
「“何か大事なものが無くなった気がする”。胸の奥が、ちりちりとして……とても悲しいの。理由は分からないのに」
レイは膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。
(……やっぱりそうか)
絶望の淵で、一筋の光が見えた気がした。
あの「削除者」の力は強大だ。ルクスの物理的な肉体も、世界が保持していた公式のログも、そして仲間たちの明確な記憶さえも、跡形もなく消し去ってみせた。
だが、完全には消しきれていない。“感覚”ではない、“感情”の領域に、消し残しがある。
(記録も、存在も消されたはずなのに――“感覚だけが残っている”。だったら……)
一つの仮説が、前世の編集者としての勘と共に浮かび上がる。
「ARIA」
レイは脳内で鋭く呼びかけた。
『はい、直人様』
「……“削除されたもの”ってのは、この世界において完全に無になるのか?」
『定義によります。現在の状況をスキャンした結果、以下の通りと推測されます』
■物理存在:削除済み
■ログ記録:削除済み
■他者認識(ユーザー認識):削除済み
■感情残滓:一部残存
「……感情残滓だと?」
『はい。強度の高い感情に紐づく記憶の残りカスです。システム上の正式な記録からは抹消されましたが、魂という非定型な領域に焼き付いた『衝撃』までは、あのアセット削除では消しきれなかったようです』
エレナの言葉が蘇る。――“何か大事なものが無くなった気がする”。
それは、システムが無理やりデータを引き抜いた後に生じた、データの「穴」に対する違和感だ。
(つまり――完全には消せていない。上書き保存したはずのデータの裏側に、まだ磁気情報が残っているようなもんだ)
「じゃあ逆に聞く。この世界に、“消せないもの”ってのは存在するのか?」
『存在します。“未記録ではないが、再現不能な強度を持つ記録”。……直人様の分かりやすい言葉に換言するならば――』
『――**“核となる記憶”**です』
ドクン、と心臓が脈打つ。
『それは通常ログとは異なり、存在の根幹に癒着しているため、削除耐性を持つ可能性があります。OSそのものを破壊しない限り消せない、システム保護ファイルのようなものです。ただし――現時点で、直人様の保有データ内に該当する『核』は存在しません』
「……なら、今から作ればいいんだな」
『……理論上は可能です。感情の強度を最大化し、複数の媒体に刻み込むことで、単なるログを『核』へと昇華させる。ただし、直人様の精神負荷は測定不能。自己崩壊の危険度は極めて高いと推測されます』
「上等だ。指をくわえてルクスが消えた世界を眺めてるよりはマシだ」
あいつは“削除”する。存在を無に帰そうとする。なら、俺のやるべきことは決まっている。
「“消せない記録を作る”。ただ記録するだけじゃダメだ。あいつのデリート命令を弾き返すくらい、“世界に焼き付けるレベル”の強度じゃないと意味がないんだ」
(そうだ……“複数に分散(冗長化)”すればいいんだ)
一つのデータセンターが壊れても、他のサーバーに破片があれば復元できる。
一つのログは消せる。あいつがターゲットを指定して消去するなら、そのターゲットを無限に増やしてやればいい。
「ARIA、記録の“分割保存”は可能か?」
『……通常機能には存在しません。ですが、直人様の【世界編集】の権限を『保存』ではなく『埋め込み(インベッド)』に転用すれば、応用により可能です』
◇
レイは、自分を心配そうに見つめるエレナの肩を掴んだ。
「エレナ、ちょっと頼みがある。……覚えておいてほしいんだ。俺が今から言うことを、頭じゃなくて、その『違和感』に叩き込んでくれ」
「ルクスっていう名前だ」
エレナは、慣れない響きに小首をかしげる。
「ルクス……? ごめんなさい、やっぱり思い出せないわ」
「犬だ。白くて、鼻の頭がちょっと黒くて、ちょっとバカで、よく尻尾を振る。ライオネルの剣を噛んで怒られて、お前の祈りの邪魔をしないように足元で丸まってた、俺たちの家族だ」
一文字ずつ、丁寧に。色、形、音、匂い。
レイの中にある「ルクス」という素材を、言葉というエンコードを経てエレナの心へ流し込んでいく。
エレナの瞳が、わずかに揺れた。
「……なんか……懐かしい……。暖かい毛並みの感触が、指先に残っている気がする……。そうだわ、私、その子を知っている気がする……!」
その瞬間――視界に青い火花が散った。
【 新規ログ生成:断片 】
「……成功だ!」
『成功です、直人様。感情共有による記録の再構築を確認。削除されたデータが、他者の意識という別サーバーから逆コンパイルされました』
(これなら……いける!)
レイは地面に膝をつき、王都の土に深く手を当てた。
「ここにも、残す。ルクスが駆け回ったこの場所、あいつが掘り返したこの土に」
【 記録対象:地形 】
【 感情ログ:強制埋め込み 】
世界編集の力が、レイの指先から地面へと流れる。
(場所にも、風にも、光にも刻んでやる。世界そのものをルクスのバックアップ装置に変えてやるんだ)
「……レイ」
エレナの頬を、一筋の涙が伝い落ちる。「なんか……分かんないけど……。すごく大事なものを……今、思い出した気がする。優しいあの子の名前を……」
【 再構築率:12% 】
「……まだ足りないか」
レイは唇を噛む。12%。まだルクスを「物理存在」として呼び戻すには遠い数値だ。だが、絶望はない。
レイは空を仰いだ。
どこかで、この様子を冷笑しながら見ているであろう、あの黒いコートの男に向けて。
「見てんだろ……あいつ」
静かに呟く。その声には、冷徹なまでの怒りが宿っていた。
「消せるなら消してみろよ。お前が消す端から、俺がこの世界のすべてにコピー(複製)をばら撒いてやる」
「こっちはもう、守るだけじゃない。“消せない形”に、この世界を編集してやる」
その瞬間――レイの視界の端で、あの不気味なログが激しく反応した。
■ ???(黒い記録)
【 干渉反応:増大 】
【 警告:外部観測者による解析の試行を確認 】
あいつが、戸惑っている。あるいは――“興味を持った”のか。
「まだ、ここにいる。お前が何万回削除しようが、俺が何億回でも書き込んでやるよ」
物語はここで。
「失わないための編集」から、「失われても再生する記録」へと進化を遂げる。
レイ・クロノスの、世界そのものを書き換える「反撃」が、今始まった。




