目に見えないもの
啓助が運転する車は国道を皇踏山へ向かって走っている。
ステーションワゴンは後続車を一台挟んで、紐でも付いているかのようにピッタリと追ってきている。
内海湾沿いを走る道は何度走っていても気持ちが良い。
そこは天然の入り江になっていることもあって水面は滑らかで、夏の日差しを受容している。
昼食を摂ったことも輪を掛けたのか三人の女性は気持ちよく昼寝をしていた。
啓助にとって、おしゃべりが飛び交う空間も異様だったが、静まり返った車内も同じように異様であった。
昼食の時に舞は香と美樹の二人に皇踏山の洞窟について説明をしていた。
眼鏡の話通りなら何もない洞窟。
ただ、50年ほど前までは、大岩のお地蔵さんと同じものがそこにお祀りされていた。
大岩と富丘八幡神社、伊喜末八幡神社を結んだ線上に洞窟がある事から、何かしら結界との繋がりがあるかもしれない。
一応、確認のために調査しに行くと話をしていた。
長い峠の道を越えると見慣れてきた瀬田町を駆け抜ける。
啓助は潮風公園に寄り道をして、一人車の外に出た。
天に向けて煙を吐く。
ステーションワゴンは駐車場には入って来ていない。
煙草を吸いたかったのもあるが、あわよくばここでボディーガードのご尊顔を拝んでやろうと考えていた。
敵もさるものとういうことか、まあ、敵ではないのだが。
煙草を吸い溜めして、女性達を起こさないようにゆっくりと車を走らせる。
瀬田町を抜ける峠の四差路でステーションワゴンは尾行を再開した。
富丘八幡神社の峠を越えて、すぐの交差点を右折し県道に入る頃、女性達は一人づつ目を覚ました。
香が目を擦りながら、ボーっとした目で窓の外を眺めて、隣の美樹の肩を揺する。
「あっ」
声と共に飛び起きた美樹の声で、舞も目覚めたようだ。
県道を左折すると家並みの合間から青々とした巨大なシンパクの姿が見えてきた。
皇踏山の上には厚い雲が圧し掛かってきている。
駐車場に車を止めて境内へ入ると、寺務所から法衣を着た住職と思しき若い男性が出て来た。
こちらに気が付くと、少し日に焼けた健康的な顔に笑みを浮かべて声を掛けてきた。
「よくお参り下さいました」
品のあるバリトンボイス。
それぞれが挨拶すると住職は声を潜めて全員を見渡しながら話し始めた。
「初めまして、宝樹院の住職を務めております越知龍順と申します。西龍寺さんからお話は伺っています。皇踏山にあったお地蔵様は本堂の方でお祀りしていますので、是非お会いになって下さい」
「それと洞窟ですが、境内の裏からそこへ向かう道があります。登山口の看板が出ていますから分かると思います。洞窟は道から逸れて少し入った所にあるのですが、近くに三本杉と言って幹が途中から三本に分かれている杉の木がありますので、それが目印になります」
「ありがとうございます」
啓助が皆を代表する形でお礼を言う。
龍応の手配り、気配りか、心の中で頭を下げた。
「本当はご一緒したいのですが、予定が入っておりまして残念です。何かありましたら妻が寺務所におりますので声をかけて下さい」
龍順は丁寧に一礼すると境内を後にした。
啓助達は本堂に向けて歩き出す。
「ご住職ええ声してたな、歌手の人みたいやった、しかもイケメンやったし」
「あれ? 美樹ちゃん、もしかして?」
「ちゃうちゃう」
「美樹、耳が赤くなってる」
「もう、香りまでなんやねん」
美樹は頬を膨らませて拗ねているようだ。
「だって、ビックリしたん若い住職さんてあまりイメージなかったから」
「確かに。勝手なイメージやけどそれはあるかも」
香の言葉に啓助は祖母や両親の時の葬儀の折、年配の住職だった事を思い浮かべた。
「でも、ご住職の読経聞いてみたいな、声ってすごい大切なんだって思ったんだよね。西龍寺のご住職の読経を聞いた時、心が震えたんだ。宝樹院のご住職の読経も素敵なんだろうなって」
「うん、私もそれ思ったん、お経や祝詞って、何か気持ちいんよね」
「あ、それ分かる、うちも神舞の時、初めて祝詞? 聞いたんやけど、凄く耳に馴染んだん」
「あら? 二人とも、歴史に興味を持ってきた?」
「香さん、美樹さん、どっかの誰かさんみたいに歴史が彼氏になってしまうよ」
「もう、お兄ちゃん怒るよ」
笑い声を引き連れて本堂に入り、お参りをした。
ご本尊は地蔵菩薩で中央に大きな銅像が鎮座している。
初めて来たときには気が付かなったが、石像は左側の端に祀られていて、大岩や岬にある物よりは二回り位大きく見える。
何かの鮮やかな布が宛がわれていて、パッと見たら見落としてしまうなとも思った。
お参りを済ませて住職の案内通り進むと、境内の裏手から皇踏山へと続く山道があった。
「じゃあ、もうひと頑張り行くよ」
「おう」
舞の掛け声に、香と美樹は元気な声を揃えて片手を挙げていた。
山道は傾斜は緩く少しづつ山肌に沿って上っていく。
何回か蛇行を繰り返して標高を上げていった。
木々の合間からは土庄の町並みが見える。
「あれかな?」
舞が立ち止まり声を上げた。
折り返す道の脇の斜面に三本杉はあった。
それの右側を山肌に沿って辛うじて道の様相を呈している細い筋が伸びている。
それを5分程だろうか、歩いた先の木々に覆われた所に洞窟は口を開けていた。
「少し休もう」
啓助は洞窟の入り口近くにLEDライトを床に置いた。
「暑い……」
「うん、でも着いた」
香と美樹は地べたに座ってミネラルウォーターを飲んでいる。
舞はライトを片手に洞窟の奥を見に行った。
眼鏡の話だと10メートル程で突き当りのはずだ。
木々の合間に見える町並みも小さくなっていて、その向こうに海も見えるている。
啓助がペットボトルを飲み干したころ舞が戻って来て、美樹の隣に座ってペットボトルに口を付けた。
「どうだった?」
啓助の問いに、舞は一点を見つめ飲み物を飲んでいる。
「舞さん?」
香の声に、ハッとした顔をした舞は、すぐに微笑みを浮かべていた。
「信じられないんだけど……階段があるの」
「うそ? だって行き止まりのはずじゃ」
啓助はさすがに声が大きくなった。
「ほんとにあるんだ……目に見えていることが全てじゃないんだね……」
「そうしたら、ここも結界の一つ?」
「うん、大いに可能性はあると思う。ただ、神宝は揃っているはずだから、何があるのかは行ってみないと分からない」
「ここまで来たんやから、行くんやろ?」
「もちろん、みんな準備はいい?」
「うん」
「ええよ」
「もちのろん」
「へ?」
美樹が呆れた顔でこっちを見上げている。
三人の女性は黙って立ち上がると舞を先頭に洞窟の奥へと歩いて行く。
啓助が後に続くと香と美樹はクスクスと肩を揺らせて笑っていた。
洞窟の奥の壁には長方形にキッチリくりぬかれた空間があり、舞は臆せずに、そこから続く石段をゆっくり降りて行った。
やはり中は、ひんやりとしていて涼しいものの、縄文洞窟のような空気の違和感や体の変調はなかった。
数十段の石段を下ると地面は平坦になり舞はライトを四方に当てている。
「ここで行き止まりみたいね」
空間が僅かに光った様な気がした。
その言葉を聞いて啓助は床にLEDライトを置くと空間を見渡した。
天井は3メートル位。
広さは8畳程度の広さで四方を石で囲まれた部屋であった。
「何もないなぁ…」
美樹が言う通りで何もないが、やはり部屋を囲う石には紋様が施されていた。
組み込まれている石の一つ一つの模様はいくつもの曲線が刻まれていて、よく見るとその線は中央の壁に向かって台風の目のように収束しているようにも見える。
「でも、何か関係があるはずなんだけど」
舞は折の中の動物のように壁を触りながら部屋の中を歩いていて、何か気が付いたのか奥の壁の線が集まる中心辺りを見つめていた。
「この模様に何か意味があるんかな?」
香は美樹と手を繋いで片手で壁を触っていた。
部屋の中央辺りがぼんやりと光ると、見たことのない文字が宙に浮かび上がった。
「みんな見て!」
啓助は叫んでいた。
しばらくするとその文字が消え、平仮名が映し出された。
「汝ら神宝を手にしもの……証を見せるがよい」
美樹が読み上げると、舞はリュックの中から棒と鏡を取り出し、啓助に棒を手渡した。
香を見ると服の中の勾玉のペンダントを取り出して掌に載せている。
「ここでは光らんのやな」
そう美樹に話しかけていた。
啓助が二本の棒を両手で持って、舞が鏡を二枚持っている。
部屋が一瞬、フラッシュのような光に包まれると、また文字が浮かび上がる。
「神宝を集めし汝らよ、天への扉を開くとき来たり、兼ねてより示した言葉を紡ぎ道を求めよ」
香がそれをゆっくりと読み上げた。
「どういうことやろか? 兼ねてよりという事は、さっきの洞窟の変な模様とか出て来た文字の事やろか?」
「うん、美樹ちゃんの言う通りだね、それが解ければ……天への扉が開く」
その時、啓助と舞が手にしていた神宝が光り出すとフワッと光ると跡形もなく消えた。
「なんで?」
啓助が声を上げた瞬間。
光に包まれた棒と鏡の二つの神宝は一つの物体となって宙に浮いていた。
鏡が棒の柄の根元に刀の鍔のように付いていて、それは巫女が持つ神楽鈴のようにも見える。
傍にいた香と美樹が手を伸ばし柄を掴むと光は消えた。
「もう、凄すぎて何が何だか」
独り興奮する啓助をよそに三人の女性達は冷静に話し始めた。
「舞さんこれ……」
香が舞に生まれ変わった神宝を手渡していた。
それは柄の白い逆三角形の形状をした方だった。
「自由の女神みたいやん」
美樹は腰に手を当てて神宝を掲げている。
「ほんとだ」
笑い声が空間に反響している。
「でも、あながち間違いじゃないかも……今、美樹ちゃんのポーズを見て思ったんだけど、この神宝、神楽鈴のように見えるし、もしかしたら神舞と関係があるのかも……」
「神舞と?」
香が聞き返す。
「巫女さんて一説には舞を踊ることによって変性意識状態になって、えーと、つまりトランス状態、ゾーンとも言うみたいだけど、その状態の時に神様からの神託を受けていたともいわれていて、何処かで舞を踊るんじゃないのかって思ったんだ」
「その場所への道を探して、そこで神舞を舞うの?」
「うーん……神舞だと思うんだけど……そうすると和楽器の奏者がいるじゃない? ここまで秘密にって、あの子達……ううん神様が言う訳だから、そこが引っかかるのよね」
「スマホで音楽流したらええんやない?」
「なるほど、天才」
啓助は指を鳴らして感心した。
「ああ、それやん」
香も頷いている。
「そうだね、それも一つの手段かもね……」
舞は腕を組んで考え込んでいる。
空間に電子音が響く。
「あ、うちやごめん」
どうやらスマホのアラームだったようである。
「あかん、うちバイト行かな」
美樹はスマホを仕舞いながら残念そうに話した。
「そしたら、送って行くよ」
「ありがとう、でも、まだ調べることあるんちゃうの? タイムリミット明日までやし、バスでも行けるから平気」
舞は思考に集中して会話が耳に入っていないようだ。
「とりあえず送るよ、舞行くよ」
「ん? あ、ごめん」
洞窟を出ると、まだ15時だというのに薄暗くなっていて、洞窟の中程ではないが、涼しい風が目の前の木々を揺らしている。
「一雨来るかも、気持ち急いで歩こう」
啓助を先頭に早足で山道を下る。
強く吹く風が、ザーっ、ザーっと音を立て、山が吠えているようだった。
「わっ」
啓助が落ち葉に足を取られ転ぶと、
「あっ」
声と共に最後尾の美樹も同じように尻餅を付いていた。
啓助は立ち上がり手に着いた土を払いのける。
「ね、気を付けて、慎重に早足で行こう、美樹ちゃん大丈夫?」
「えへへ、ありがとうさん、大丈夫」
美樹は苦笑いをしながら、香に手を引っ張られて立ち上がった。
車に乗り込む頃には、空は一面どんよりとした雲に塗りつぶされ、遠くに雷光が弾けているのが見えた。
シンパクの枝葉も風に身を委ね大きく揺れている。
話し合った結果、今日の調査はここまでとして、何か気づいたことがあれば互いに連絡を取るという事にした。
美樹をバイト先のフェリーターミナルに送り届け、香の家に着く頃には、雷鳴と共に空から大粒の雨が降り出し、山々は霧に隠れて雲に圧迫された町には街灯が点り始めていた。
舞はというと帰りの道中、挨拶で言葉を発した以外、終始無言で思考の中にいるようで、それはホテルの部屋に戻っても続いている。
神宝は集まった。
後はそれをどこでどのように使うのか。
そしてもう一人の巫女。
稲光と共に轟音が響き部屋の窓ガラスがブルブルと小刻みに震えている。
遥か彼方の西の空には夕焼け空が見えていた。
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