第三十五話 幕間:ミーネとご婦人
第三十二話 幕間:ミーネとご婦人
小雨降る中、お使いから帰る途中のミーネが道を急いでいると、すぐ側を馬車が通り過ぎた。馬車の車輪がはねた泥水がミーネのコートにかかる。
「あっ!」
ミーネはあわてて後ずさったが後の祭り。お気に入りの亜麻色のコートは見事に泥水で汚れてしまった。
「大丈夫?」
少し先で停まった馬車からは、30中頃を過ぎたくらいのご婦人が下りてきて、ハンカチでミーネのコートを拭う。
「あなた、ぼーとしてるからよ」
「大丈夫です。気にしないでください」
婦人の言い草にムッとしたミーネは、身を翻して行こうとしたが、腕を掴まれてしまう。
「駄目よ。コートの中まで濡れてるじゃない。送るから来なさい。」
そう言ってコートを脱がされると、無理やり馬車に連れ込まれてしまった。
「びしょびしょじゃないの。女の子は体冷やしたら駄目なのよ」
「あなたの馬車に水掛けられたんです」
「そうだったわね。忘れてたわ」
そう言って婦人はけらけらと笑う。黒髪の婦人は、常に面白いものを探しているかのようなキラキラとした目をしていて、口元には優しい笑みを絶やさない。彼女は御者に何やら指示すると、高そうなショールでミーネの全身を拭った。
馬車はメインストリートに入ると、ショーウィンドウが見事な店の前に停まった。
「行きましょ」
「私もう帰ります」
「水かけたお詫びさせて。このままだと私の気が済まないの」
婦人はミーネの手を強く引くと、高級そうな店の中に引きずって行った。
それから小一時間、ミーネは着せ替え人形と化していた。最初は抵抗したものの、次から次へと店員が持ってくる洋服、靴、アクセサリーの数々に圧倒されて、徐々に抵抗する気力を失う。無表情で試着室に立ちすくみ、言われるがままに服を着替える。そのうちになんでこんな苦行に付き合わされるのか、分からなくなってきた。
(とにかくこのおばさんに満足して貰って逃げ出そう)
ミーネの頭の中にはそれしか浮かばなかった。
ミーネがふと気がくと、名前も知らないご婦人とカフェのテーブルで熱い紅茶を前にしていた。どうやら気を失っていたようだ。
「楽しかったわ。あなたも満足したでしょう」
「…………はぁ」
「なんなの?まだ足りないの?」
婦人は口を尖らせる。ミーネの横の椅子には山のような買い物袋が積み上げられていた。
「いえ、夢のような時間だったので、言葉が見つかりませんでした」
「そうでしょうとも。でも気にしないでね。若い綺麗な娘さんに服を誂えるのは年長者の愉悦よ」
そう言って婦人はにこにこと笑う。
(はて、どこかで聞いたようなセリフ?)
「つかぬことをお聞きしますが、知り合いにメンダスという胡散臭い中年男いませんか?」
「メンダスはお友達よ」
「やはりお知り合いですか」
婦人は更にコロコロと鈴の様に笑う。
「若い娘さんに『胡散臭い』なんて言われたら、この町一番の伊達男も形無しね」
「あれは伊達男なんですか?」
「あら違う?彼と食事を共に出来るなら、ひと財産払いましょうという女性何人か知ってるわよ」
「そんなもんなんですかねぇ?」
ミーネには今一つ腑に落ちないが、まぁ猫と人では恋愛感覚も違うのだろうと納得することにした。
「ところで私達にはもう一人共通の知人がいるのよ」
「?」
ミーネにはこんな有閑マダムと繋がりありそうな人間は思いつかない。
婦人は扇子で口元を覆ってミーネの耳元に囁く。
「ヒントあげる。あなたの思い人はだーれ?」
ミーネは目を見張る。あの馬鹿こんなご婦人にも手を出していたとは、呆れて物が言えない。確かに美人だが、あきらかにセイルの一回り上、下手をしたら二回り上の可能性もある。
「うちの馬鹿…………セイルとお付き合いしてるのですか?」
「セイルが私の愛人だと言いたいの?」
「違うのでしょうか?」
しばらく目を丸くしてミーネを見ていた婦人だったが、すぐにゲラゲラと笑い出してしまった。
「あはははは、本当に楽しい。やっぱり若い子はいいわ。話してるとこちらの気持ちも若くなりそうよ」
「は?」
「違うわよ。あの子、セイルは私の愛人じゃないわ。どんな関係だと思う?」
「…………わかりません」
ミーネは憮然として答える。
「本当に?」
「もう降参です」
「実はね……」
「はい」
「母なの」
婦人は恥ずかしそうに言うと、扇子で顔を覆ってしまった。
「大変申し訳ございません」
ミーネは額をテーブルにこすりつける。そう言えば、ご主人様のご母堂がメンダスの知り合いだと聞いたことある様な無い様な。
「いいのよ、嬉しいわ。私もまだまだいけるって事かしら?」
「はい、お美しゅう御座います」
「おほほほほ。あなた時々お茶しましょうね。とても気分がいいわ」
「おほめ頂き光栄に存じます」
「いきなり堅苦しくなったわね。それから私の名前はマチルダよ。覚えておいてね、ミーネちゃん」
ミーネにふと疑問が浮かぶ。
「私の事ご存じだったのでしょうか?」
(てゆうかわかってて水かけたのかしら?)
「知ってたわよ、息子のお相手だもの。でも、今日会ったのは偶然よ。知ってて水かけたんじゃなくてよ」
「はい、もちろんでございますとも」
マチルダは扇子で口を隠すと囁いた。
「で、どうなの?あなたたちどこまで行ってるの?」
「な、なにがでございましょう?」
ミーネの顔が朱に染まり、声が上ずる。マチルダは扇子の上からじーとミーネを見つめる。
ミーネはドギマギしながらマチルダの凝視に耐えた。
「あらら、つまらない子たちね。本当に何もないのね」
「やましいことは何も御座いません」
「やましいことじゃないんだけどね。でもキスくらいはしてるんでしょ?」
「えーと、おでこに一度頂きました」
「おでこだけ?それ以上は?」
「ないです」
ミーネは半年以上一つ屋根の下に暮らして、逆に何もない自分が虚しくなってきた。よく考えてみたら酷い話だ。
「なんにもないです」
「そうなのね。なんかごめんなさいね」
「いえ、自分が不甲斐ないです」
ミーネは椅子の上で小さくなる。
「あの子が悪いのよ。今までもそうなの。女の子に粉かけるだけかけといて、相手がその気になったら放り出すのよ。まじで女の敵よね。」
ミーネはうんうんと黙って頷く。
「こんなプラチナブロンドのお人形さんみたいな可愛らしい子。ほっとくなんて信じられないわ。」
涙ぐむミーネを前にして、マチルダは紅茶を一口含んだ。
「メンダスから、時々あの子の様子聞いてたんだけど、あなた本当に頑張っていると思うわ。今までの女の子はみんな呆れて逃げてったのよ。あなたに感謝したいとずっと思ってたの」
メンダス許すまじ。他人のプライバシー情報何だと思っているのか。ミーネの心の中の人物台帳で、メンダスのポイントが大きく引き下げられる。ミーネは次先生に会ったら髪が抜ける魔法を習おうと心のメモに記す。
禿が地面に頭を擦り付けて、ミーネの足元にうずくまる様を見ないと気が収まらない。
「あの、お母様はセイルさんとはこんな話されないんですか?」
マチルダの顔がパッと輝く。
「くふふふ、『お母様』いいわー。欲しいものあったら何でも言ってね」
「すいません。セイルさんのお母様と言う意味で」
ミーネの顔が赤くなる。
「あの子あまり私に近づかないのよね、昔からだけど。こんなお母さん嫌いなのかしらね?」
「いえ、マチルダさんは綺麗で楽しいし、とても素敵な方だと思います」
「あの子父親いないのよ。庶子なの。出来るだけ苦労はかけないようにしてきたつもりだけど、たぶん私の見えないところで、嫌なこともあったでしょうね」
マチルダの述懐にミーネは言葉を失う。
「でもね、あの子の店のアクセサリーは私の店から下ろしてるの。まぁ宝石のランクで言えばクズ石なんだけどね。うちの店通さないと手に入らないように、がちがちにルート固めてるから、月に一度は会ってお話してるのよ。だからあまり深刻な顔しないで、ミーネちゃん」
「はは」
「あの子小癪にも別の仕入れルート探してるみたいだけど、無理無理。他の国まで含めて供給元押さえてるのよ。無駄な足掻きやめなさいって伝えといて」
マチルダは楽しそうにケラケラと笑った。
その姿にミーネは唖然としてしまう。
(息子の商売の首根っこをがっちり抑えるお母様。やり手過ぎて怖いです)
「あの子、気難しくて扱いにくいけどよろしくね」
「お任せください」
「それと赤ちゃんできたらすぐ言うのよ。あいつが何と言おうとちゃんとさせるから」
「!!」
マチルダは口元を覆うとミーネに顔を近づけて耳元に囁く。
「あの子があんまりぐずぐずしてるなら、いっそのこと襲っちゃいなさいな。既成事実作っとけば、後は意外となんとかなるものよ」
その瞬間ミーネの頭が沸騰する。その後何か法に触れかねないアドバイスのようなものを聞かされた気もするが、ミーネの記憶には何も残っていなかった。
次にミーネが正気に戻るとセイルの店の前に一人で立っていた。足元には山のような買い物袋が積み上げられている。いつの間にやら雨は上がり、雲の隙間から日が差していた。
怖いもの知らずで先生以外には不敗を誇るミーネだったが、したたかな年上の女性にはまったく歯が立たないんだと、気づかされた一日でした。




