第十話 教会の修道女(3)
第十話 教会の修道女(3)
ファンファから預けられた大切な酵母を持って教会の門をくぐると、酒場で修道女の後ろに隠れていた少年がいた。
「あなたは…………ジョアンね」
「ミーネだっけ。セイルに用だね」
「そうよ。彼はどこかしら」
「彼はシスターの尻を追っかけ回してるよ。付いてきて」
ミーネは辛辣な少年の言葉に思わず笑ってしまう。ジョアンの案内で中庭を通って教会の裏手に回ると、レンガ造りの倉庫があった。そこではこの地方名産のチェリーが籠一杯に山積みにされ、子供たちが服を赤く染めて、楽しそうに働いている。たらいのチェリーを潰す子供、火にかけた大きな鍋をかき混ぜる子供。その中にセイルとメンダス、シスターもいた。
「間に合って良かったよ、お嬢さん。そろそろ酵母無しで進めようかと思っていたんだ」
メンダスのシャツも赤く汚れている。
「どうぞ」
ミーネはファンファから受け取ったガラスの瓶を差し出した。
「まずは湯を沸かして欲しい。別の瓶にこの酵母を株分けする」
「わかりました。ジョアン手伝って」
修道女はジョアンを連れて倉庫の奥に入っていった。
「ファンファだったね。君の友達に礼を言って欲しい。本当に助かったよ。ここまで来たら失敗したくない」
「ありがとう、ミーネ。本当に助かるよ」
セイルも嬉しそうだ。ミーネは事の経緯は置いといて、セイルの喜びを感じて胸の奥が暖かくなるのを感じた。
「ファンファは店で休んでいます。うまくいけばいいですね」
「設備が良く保管されていたので、メンダスは自信あるそうだ。彼の資本も入れて、小さな組合を立ち上げている。うまくいけば子供たちの生活費どころか、そこそこの利益がでるそうだよ」
「有難うございます。皆さんには本当に感謝しています」
修道女が戻ってくると、ミーネの手を取った。
「これもシスターの信仰の賜物ですよ」
セイルが気に入った女性にだけ向ける特別の笑顔で修道女を見つめる。
「セイルさん…………」
修道女は頬を赤らめた。
修道女の後ろでは先ほどのジョアンがしかめっ面で舌を出していた。ミーネも良い雰囲気の二人に見えないように、手で口元を隠して舌を出す。そしてさっきまでの温かい気持を返して欲しいと思った。
二か月後、セイルとミーネは教会を訪れた。聖堂では最前列の長椅子にメンダスが長い脚を組んで腰かけている。
「神頼みかい?」
「私が神に祈る柄だと思うのかな?」
メンダスの口は皮肉に歪み、正面の十字架を見上げる。
「それに彼がワインの味を気にするとは思えないな」
「ワインが売れれば子供たちが助かる。少しくらい神様のご加護を期待してもいいんじゃないか?」
「あれは善も悪も人の生き死にも気にしないよ。君もいい大人なんだから、神の加護なんて考えは捨てるんだな」
ミーネは前世と今生の境で出会った、白づくめの青年を思い出す。思えばあれが神だったのだろうか。美しい青い目は物憂げで、ミーネの心をかき乱す。
その時ジョアンが聖堂に顔を出した。
「シスター、倉庫で待ってるよ」
「すぐ行く」
大きな樽の前では修道女が祈りを捧げている。
「さて、御開帳といこうか」
メンダスが樽の栓から5脚のワイングラスに、薄い褐色の液体を注ぎ分ける。ミーネがグラスを持ち上げると、液体の中に僅かな気泡が漂い、酒精の香りが辺り一面に広がっていく。少しだけ口に含むと芳醇なチェリーの香りが口の中に広がった。
「悪くない。チェリーワインとしては若いが、十分売り物になる」
「フルーティだね。飲みやすいよ」
「おいしいです。皆さんのお陰です」
修道女は涙ぐんでいる。
「いくらで売れるの?」
「今年は私が一樽金貨10枚で引き取る約束だ。教会も原料費抜きでこの金額なら、諸々の経費抜いても十分利益は残るだろう」
「どこに売るの?」
「安売りはしないよ。貴族や金持ちにいくらかばらまいて、反応をみてから大通りのレストランに卸すつもりだ」
「やり手ね」
「瓶詰め工場も既に手配してるからね。ラベル貼って化粧箱に包めば高級ワインの出来上がりさ。それに熟成したら味もあがる。シスターには末永くこの事業を続けて貰いたいね」
「わかりました」
「今年はさらに二樽は出来るだろう。うまくいけば来年は倍の値段で買い取るよ」
「お願いします」
修道女は熱い目でメンダスを見つめている。
ミーネはセイルの袖をひいて倉庫の隅に連れて行った。
「シスターをメンダスさんに盗られちゃいますよ」
「いいさ」
「いいんですか?」
「子供たちが助かるなら問題ないよ。それより魔女様へのお返しを忘れないようにしないとね」
「先生、ご主人様連れて来いとうるさいんですが」
「…………」
セイルが黙り込む。
「まぁ、そのうちにね。君も良くやってくれたね。ファンファだっけ?君の友達にもお礼言っといてくれよ。僕はちょっと用事を思い出したので先に帰るよ」
そう言ってセイルは歩み去っていった。
「セイルあきらめたのかな?」
ジョアンが首を傾げている。
「どうかしらね?」
そう言いながらもミーネに答えはわかっていた。少しずつ人の心の動きが見えるようになってきたような気がする。それは良いことなのか、悪いことなのか?
ミーネがグラスの中を覗き見ると、大きな目が不思議そうにミーネを見返していた。




