騙される方の気持ち
監禁十二日目。
「和宏。起きろ。薬の時間だ」
明人は和宏の身体を起こし、抗生物質を飲ませた。
続けて水を与える。
止血して包帯を巻いた左手を確認し、新しい包帯へ交換した。
和宏は長期間の監禁と、指を切られたショックでかなり衰弱していた。
ここへ連れてきた頃と比べ、頬はだいぶ痩せこけている。
――そろそろ限界か。
明人はそう思った。
だが、ここで死なれては困る。
和宏には、まだやってもらうことがあった。
「頼む……」
和宏が掠れた声を出した。
「食事を……させてくれ」
「うーん」
明人は和宏の身体を眺めた。
「一日一食じゃ、やっぱりきついか」
栄養不足とストレスが原因なのは明らかだった。
明人は少し考えたあと、笑顔を浮かべる。
「そうだ。ゲームをしよう」
「ゲーム……?」
「ああ。君が勝ったら、解放してやる」
和宏が勢いよく顔を上げた。
「本当なのか?」
「どうだ。やってみる?」
和宏の声に、わずかに力が戻る。
明人は嬉しそうに笑った。
「簡単だよ」
少し間を置く。
「夏未を、もう一度浮気に誘えばいい」
「浮気に誘う……?」
「そう。また会いたくなったとか、適当に言ってさ」
和宏は明人を見つめた。
「夏未に来るって言わせればいいんだな?」
「ああ。そうだ」
明人は笑顔で頷いた。
「まあ、君たちの不倫は終わったんだろ?」
「……」
「それなら、断られると思うけどね」
和宏は何も答えなかった。
成功すれば、ここから出られる。
考えることなど何もなかった。
それに、この状況では明人の言葉を信じるしかない。
「どうする?」
明人が尋ねる。
「ラストチャンスかもしれないぞ」
「分かった」
和宏はすぐに答えた。
「やる。やらせてくれ」
「よし」
明人は満足そうに頷いた。
「まさに、命懸けだな」
運命の日が近づいていた。
◇
ニ日後
監禁十四日目。
「和宏。お待たせ」
和宏が虚ろな目を開いた。
「ああ……今、何時だ?」
「もうすぐ一時だ」
「電話は?」
「もちろん、今日もしてもらう」
前二日は、近況を話すだけで終わらせ、夏未の警戒心を解いていた。
明人はスマートフォンを取り出した。
「一日目と二日目は、うまくいった」
和宏の表情が僅かに強張る。
「今日で三回目だ。練習どおり、夏未を駅へ呼び出せ」
和宏は黙って頷いた。
午後一時十分。
明人はスピーカーへ切り替え、通話ボタンを押した。
数回の呼び出し音のあと、夏未が出る。
「……もしもし。夏未?」
『うん』
夏未の声だった。
『さっきまで明人がいたの。危なかった』
小さく笑う声が聞こえた。
明人の表情は変わらない。
和宏へ目で合図を送る。
「夏未に……また会いたくなった」
『でも、大丈夫なの?』
夏未の声が少し低くなる。
『また会ったりしたら、危ないんじゃない?』
明人が、もう一度合図を出す。
和宏の顔が強張った。
「いや。仕事だと言えば、絶対にばれないから」
『でも……』
――頼む。
――ここから出られるかどうかが、かかっているんだ。
和宏は必死に声を絞り出した。
「お願いだ。あと一回だけ、会ってほしい」
『うーん……』
短い沈黙。
『そこまで言うなら』
和宏の顔が僅かに明るくなった。
「じゃあ、明日の午後二時。駅前で待ち合わせよう」
『うん。分かった』
「そ、それじゃあ」
明人は小さく息を吐き、終了ボタンへ指を伸ばした。
『カズさん、待って』
その指が止まる。
『愛してる……』
次の瞬間。
明人はポケットからハサミを抜き、和宏の顔すれすれへ突き立てた。
鈍い音が地下室に響く。
和宏は身体を硬直させ、声を失った。
明人は怒りに満ちた目でスマートフォンを睨みながら、通話を切った。
短い沈黙。
「残念だったな、和宏」
ゆっくりとハサミを引き抜く。
「ゲームは、君の負けだ」
「え……?」
「夏未が君の誘いを断ったら、解放してあげようと思ったのに」
和宏の顔から血の気が引いた。
「どういうことだ!」
必死に身体を揺らす。
「最初から騙す気だったのか!」
「ああ、そうだよ」
明人は呆れたように笑った。
「恨むんなら夏未を恨むんだな」
少し考え、首を傾げる。
「いや。うちの嫁の貞操観念の問題かも」
「そんな……」
和宏は呆然と明人を見た。
「うぐあああああっ!」
和宏は椅子ごと暴れ始めた。
鎖と南京錠が激しくぶつかり、地下室に金属音が響く。
明人はその姿を、真顔で見つめていた。
「少しは分かった?」
和宏の動きが止まる。
「騙される方の気持ちが」
やがて和宏は力尽き、深く項垂れた。
明人はその姿を横目に、地下室の階段を上っていった。




