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ダンジョン最底辺の芋虫に転生した俺は、寄生能力で美少女を支配する  作者: 葉月


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第43話 信じられる者

 書斎の重厚な机の上。広げられた報告書の束が、部屋の隅に灯されたランプに照らされている。


 イントレチャート子爵は、苦渋を噛み締めるようにその紙面をめくっていた。


 ヴェルテ商会による組織的な薬物密輸。井戸への毒物混入。さらには奴隷を用いた非人道的な運搬経路――。


 文字を追うごとに、胃の奥に鉛を流し込まれたような重苦しさが広がる。

 己の治世下で、これほどまでの毒が街を蝕んでいた。しかも、その矛先が自分自身に向けられた「警告」であったとするならば、事態は一商会の暴走では済まされない。


【首謀者アブダブル=ヴェルテ、死亡。口封じの可能性極めて高し】


 憲兵からの非公式な一筆が、ボッテガヴェネタの脳裏に消えない火種を残していた。

 誰が、何の目的で。


「……」


 心当たりがないわけではない。だが、証拠なき疑念は、統治者にとって最も危険な毒薬だ。


 コン、コン。


 静かなノックの音が、思考の迷宮を遮った。


「旦那様、主賓の方々を含め、客人たちは既に揃っております」


 執事長の落ち着いた声に、ボッテガヴェネタは深く息を吐き出した。


「……ああ、すぐに向かう」


 報告書を引き出しの奥へと仕舞い込み、彼はゆっくりと立ち上がった。


 今夜の晩餐会。

 本来の目的は、姪のグレイシアを死の淵から救い、貧困街を壊血病の恐怖から解放した【奇跡の薬師】――クロエ・パディントンに謝意を伝えることだった。


 だが昨夜、予定になかった「人物」が彼の元を訪れた。


 ボッテガは机の脇に置かれた小さな護符を手に取った。



 ◆



 昨夜の静寂の中での邂逅を、ボッテガは鮮明に記憶していた。


 執務の灯火を消そうとした矢先、使用人が狼狽した様子で駆け込んできたのだ。


「アルテミス教会の神官が、刻限を過ぎてなお面会を強行したいと申しております」


 本来なら門前払いにする無礼な要求だが、ボッテガヴェネタの経験則が、教会の人間が夜を徹して走る時は「火急の事態」であることを告げていた。

 ボッテガヴェネタは面会を許可した。


「……通して構わん」


 やがて現れたのは、夜風に白いローブをなびかせた小柄な少女だった。

 幼さの残る顔立ちに似合わぬ、射貫くような金色の双眸。その瞳の奥に宿る「重圧」を前に、ボッテガは椅子から身を乗り出した。


「夜分に無礼を承知で参じました。アルテミス教会の神官、リリアと申します」


 迷いのない、凛とした声だった。


「……こんな刻限に、何用かな、神官殿」

「どうか、これをお持ちください」


 差し出されたのは、緻密な聖刻文字が刻まれた護符だった。


「護符だと?  これを届けるために、わざわざ来たというのか」

「はい、領主様。その護符は【防壁】です。きっと領主様をお守りいたします。ですから、どうか肌身離さず身につけていただきたいのです」


 ボッテガヴェネタは護符を受け取り、眉を寄せた。


「理由を聞かせてもらえるか。納得のいく説明がなければ、さすがにこれをずっと身につけるというのは……」


 リリアは一瞬だけ視線を落とし、覚悟を決めたように顔を上げた。


「……このオールセルテスの喉元に、得体の知れない『モノ』が潜んでいます」

「得体の知れない、モノ……?」

「先日、ダンジョンを攻略したエルメス=バーキン嬢。そしてヴェルテ商会の件で功績を挙げたハミルトン=カーキフィールド氏。――お二人の内側に、人ならざる『黒い魔力』を視ました」

「!」


 部屋の空気が一変した。ボッテガの鋭い眼光が、リリアの金色の瞳と衝突する。


「……それは確かなのか」

「わたくしは、女神アルテミス様より【神眼】を授かっております。彼らの首筋には、通常の視覚では捉えられない黒い紋様が浮かび、魔力は魔物のように淀んでいます」

「しかし、その二人はこの街を救った英雄ではないか」

「はい」


 リリアが曇りなき眼でボッテガヴェネタを見つめる。


「だからこそ、申し上げております。問題を起こしていないから安全だとは限りません。英雄という立場を使って、領主様に近づこうとしているとしたら……」


 ボッテガヴェネタは沈黙した。


 ヴェルテ商会の首謀者の不審な死。そして、あまりに鮮やかすぎる「解決」。

 それらがパズルのように、リリアの言葉と噛み合っていく。


 何より、聖女候補の神官が、わざわざ夜中に訪ねてきた。それだけで、この話の重さは違う。


「この護符には、どのような効果があるのだ」

「黒い魔力を拒絶します。万が一、黒い魔力を持つ者が接触しようとした場合、聖なる光をもって遠ざけます」

「……黒い魔力、か」

「詳しくは申し上げられませんが、人の体に取り憑く類の魔物、あるいは魔族がいた場合、その防壁になります」


 ボッテガヴェネタは護符を見つめた。


 妄言と切り捨てるには、少女の瞳はあまりに澄み渡り、状況は不穏すぎた。


「……まだ、半信半疑ではあるが、忠告は受け取ろう。ありがとう、リリア殿」

「どうかお気をつけて」


 深々と頭を下げ、夜の帳へと消えていった白い背中。


 彼女が去った後の静まり返った応接室で、ボッテガヴェネタは護符を強く握りしめた。



 ◆



 思考の迷宮から帰還し、ボッテガヴェネタは神聖な冷気を帯びた護符を首にかけた。


 少女の言葉を妄信しているわけではない。だが、否定しきれない不気味な一致が、彼の背中を押していた。


 大広間へ向かいながら、彼は今夜の夜会について考えていた。


 エルメス=バーキン、ハミルトン=カーキフィールド。


 この街の英雄となった二人を、自分の目で確かめる。それが今夜の、もう一つの目的だ。


 街を救った二人の「光」の中に、本当に「闇」が混じっているのか。この街の領主として、この目で確かめなければならない。


 大広間の扉が開くと、華やかな行進曲と招待客の熱気がボッテガヴェネタを包み込んだ。

 彼は慣れ親しんだ社交の微笑みを湛えながら、獲物を探す猛禽のように会場を俯瞰した。


 まず目に付いたのは、姪のグレイシアに捕まり、困惑気味に相槌を打つ薬師クロエ=パディントン。ユエ族特有の顔立ちには、確かに人を安らげさせる「善」の気配がある。


 次にハミルトン=カーキフィールド。商人仲間の中心で、快活に笑い声を上げる若き才気。その立ち居振る舞いに一点の曇りもない。


 そして、エルメス=バーキン。紅蓮の冒険者たちに囲まれ、凛とした佇まいで立つ金髪の伯爵令嬢。

 噂では、かなりのじゃじゃ馬という話だ。


 ボッテガヴェネタは三人を確認した後、招待客たちへの挨拶を始めた。


 それから最も「格」の高いエルメスの元へと歩を進めた。


 距離を詰めるにつれ、彼はエルメスの表情に奇妙な違和感を覚えた。完璧な微笑みの裏側で、どこかひどく落ち込んでいるように見える。目の奥に、暗いものがある。



「エルメス=バーキン嬢。この度のダンジョン踏破、心より感謝申し上げる。貴女の勇気こそが、この街の希望だ」


 慇懃な言葉と共に、ボッテガヴェネタは自然な動作で右手を差し出した。


「……光栄に存じますわ、子爵閣下」


 エルメスは優雅に膝を折った。だが、差し出された手を取ろうとはしなかった。


「……握手は、お好みではないかな?」

「あいにく……指を怪我しておりまして、どうかお許しを」


 言葉とは裏腹に、彼女の視線がボッテガヴェネタの胸元にある護符を、射抜くように一瞬だけ捉えた。


 隣にいた大男ガストンが、慌ててフォローに回る。


「ぼ、ボッテガ閣下!  エルメス嬢はと、と、とんでもなくシャイなんです!  悪気はないんです、はい!」

「……いや、怪我をしているのなら仕方がない」


 ボッテガヴェネタは微笑んで頷きながら、胸元の護符を思い出した。


 黒い魔力を拒絶する護符。


 もしかして、この護符があるから、握手を避けているのではないか。

 先程エルメスの視線が、ほんの一瞬だけ自分の胸元に向いたのを、ボッテガヴェネタは見逃さなかった。


 続いて向かったハミルトンの元でも、同じ劇が繰り返された。

 街を救った功績を称え、感謝の証として手を差し出す。だが、ハミルトンは爽やかな笑みを崩さぬまま、その手を背後に引いた。


「申し訳ありません、閣下。あいにく、先の戦いで手を痛めておりまして」

「……そうか」


 二人とも、拒んだ。

 ボッテガヴェネタが差し出した「好意」を、まるで猛毒でも避けるかのように。

 リリアの言葉が、氷のような質感を持ってボッテガヴェネタの脳裏に蘇る。


 ――『黒い魔力を拒絶します。万が一、黒い魔力を持つ者が接触しようとした場合、聖なる光をもって遠ざけます』


 ボッテガヴェネタは何も言わず、ただ静かに次の人物――最も会いたかったクロエの待つテーブルへと視線を向けた。


「クロエ殿。グレイシアを救っていただいた件、改めて礼を申し上げたい。貴女がいなければ、あの子は今も病床で苦しんでいたはずだ」

「滅相もございませんです。私はただ、薬師としての務めを果たしたまでです」


 クロエが少し頬を染め、俯き加減に答える。その慎ましやかな態度は、先ほどのエルメスやハミルトンのような「強者の威圧感」とは無縁のものだった。


「それより――」


 ボッテガヴェネタが、感謝の(しるし)として、温かな眼差しと共に右手を差し出した。

 エルメスとハミルトンに拒絶され、強張っていた彼の指先が、ようやく「救い手」に触れようとした、その瞬間だった。


 ――ガシャァァァンッ!!


 鼓膜を突き刺すような、陶器と銀食器が砕け散る狂った音が広間に轟いた。


「ひっ……!?」

「な、何事だ!」


 静かな旋律を奏でていた楽隊の手が止まり、招待客たちの短い悲鳴が連鎖する。

 振り返れば、中央の円卓の傍らで、一人の男性客が椅子ごとひっくり返っていた。

 男の顔は瞬く間に土気色へ変わり、喉を掻きむしりながら白目を剥いている。全身を襲う小刻みな震えが、石畳に無機質な音を立てていた。


「道を空けろ!  下がるんだ!」


 ギルドマスターのガジルが、風を切るような速さで倒れた男のもとへ駆けつけた。鋭い手つきで頸動脈を確認し、唇の色を凝視する。


「落ち着いてください、皆さん!  命に別状はない……これは【マヤ毒】だ。致死性はないが、神経を一時的に麻痺させる。全員、そのテーブルの飲み物から離れろ!」


 会場がパニックに陥る寸前、ボッテガヴェネタは氷のように冷徹な声を響かせた。


「セバス、速やかに客人を医務室へ。楽隊、演奏を再開してくれ。これはただの不慮の事故だ」


 統治者としての威厳で場を鎮めながらも、ボッテガヴェネタの奥歯は音を立てていた。


「閣下、少々よろしいですか」


 ガジルが静かに歩み寄り、低い声で耳打ちする。


「……何かね」

「マヤ毒は、……古くから貴族が『脅迫』や『警告』に用いる手法です」


 ボッテガヴェネタは何も答えなかった。ただ、唇を真一文字に結び、静かに頷くだけだ。


「もし何か困りごとがあれば、いつでも冒険者ギルドが力になります。公的な憲兵が動けない場所でも、我々なら動きやすい。……ご検討を」

「……気遣い痛み入る、ガジル殿」


 ガジルが去った後、ボッテガは独り、シャンデリアの光が届かない影の中で深く息を吐いた。


 ヴェルテ商会の暴走。そして、今夜のこの見せしめのような毒。


 間違いない……。すべては、自分を……イントレチャートの家名を追い詰め、屈服させようとする「何者か」の旋律。


 四面楚歌。信じられる者は、この広い会場のどこにもいないように思えた。

 握手を拒んだあの【英雄】たちは、本当に味方なのか?  それとも、自分を監視するために送り込まれた死神か?


 視線の先には、先ほどと変わらず、不安そうに自分を見つめる若い薬師の姿があった。

 汚れを知らぬ瞳。姪を救った、その献身。

 ボッテガヴェネタは決意した。


 正体不明の【英雄】ではなく、目の前の「救い手」にすべてを賭けることを。


「……クロエ殿。少し、場所を変えてもよろしいかな。貴女に相談したいことがあるのだ」



 ◆



 案内されたのは、華やかな喧騒から最も遠い、静謐な寝室だった。


 重厚な扉の向こう、寝台に横たわる女性の姿に、クロエは足を止めた。かつての美貌を削ぎ落とされたような青白い顔、細りきった手足。だが、その胸元は微かに、しかし確かに上下している。


「私の妻だ。昏睡に陥ってから、もう一年になる……」


 ボッテガヴェネタの掠れた声に、クロエは無言で歩み寄った。手首を取り、脈を測る。瞼を押し上げ、瞳孔の反応を確かめる。その所作はあまりに手慣れており、ボッテガヴェネタは固唾を呑んでその背中を見つめていた。


「……これは、病ではないです」


 診断は短く、冷徹だった。


「……病ではない? では、何だというのだ!」

「恐らく、【呪い】です。それも、並の術者では解くことすら叶わない、極めて高位な呪いです」


 ボッテガヴェネタが息を呑む音が部屋に響く。


「呪い……だと?  誰が、妻にそのような真似を!」

「それは私にも分かりかねますです。ですが」


 クロエが、事も無げに言葉を継いだ。


「呪いの解呪に関しては、私よりもエルメスさんの方が適任です。彼女は王立魔法学校を首席で卒業した才女。魔法の構造を解き明かす知識においては、この街で彼女の右に出る者はいないはずです」

「――ならんッ!」


 ボッテガの表情が、目に見えて強張った。

 エルメス=バーキン。

 昨夜、リリアが【黒い魔力を宿す異形】として名指しした、その張本人。


「……何か、問題でもございますです?」


 クロエの濁りのない瞳が、ボッテガヴェネタを射抜く。その幼さゆえの純粋さが、今は逆に恐ろしいほど鋭い刃となって彼の喉元を突いていた。


「……君になら、話しても構わないだろう。実は、昨夜――」


 ボッテガヴェネタは堰を切ったように話し始めた。リリアの警告、神眼が見た黒い紋様、そして護符のこと。誰にも言えなかった【英雄への不信感】を、彼はこの小さな薬師に全て曝け出した。


 だが、クロエの反応は意外なものだった。


「……それだけ、ですか?」

「……何?」

「エルメスさんやハミルトンさんが、実際に領主様に危害を加えたのです?  誰かを殺し、街を焼きましたか?」

「いや、それは……ないが。だが、神官の言葉だぞ?」

「ならば、何をそんなに恐れているのです?  閣下は、奥様を助けたくないのですか?」


 核心を突く言葉に、ボッテガヴェネタは絶句した。


「助けたいに決まっている!  私の命に代えてもだ!」

「本当です?」


 クロエが真っ直ぐにボッテガヴェネタを見つめる。その瞳の奥に、先ほどまでの「純粋薬師」ではない、別の何かが宿ったこもをボッテガヴェネタは気付いた。


「……妻が、助かるのなら」

「分かりましたです。……では、ボッテガヴェネタ=イントレチャート子爵。――私たちと、『取引』をするです」

「――――」


 蝋燭の炎が、大きく一度爆ぜた。


「私たち」――その複数形が意味するものを察した瞬間、ボッテガの背中に氷のような寒気が走った。

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