表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン最底辺の芋虫に転生した俺は、寄生能力で美少女を支配する  作者: 葉月


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/45

第39話 商業都市オールセルテスの事件簿 その5

 南口へと急ぐ道中、俺の足取りは自然と速まっていた。


 キリトがヴェルテ商会の裏倉庫を突き止めた。

 本来なら喜ぶべき報せだ。

 だが、胸の奥で得体の知れない違和感が燻っていた。


 ——出来すぎている。


 アブダブル=ヴェルテは用心深い。


 この数日、俺はハミルトンとセリーヌを使って調査をしていたが、奴は尻尾を見せなかった。


 それなのに、一介のC級冒険者であるキリトが、こうも易々と裏倉庫に辿り着けるものだろうか。


 ……やはり、罠と考えるべきだろうな。


 俺は歩みを止めぬまま、セリーヌへ念話を飛ばした。


『セリーヌ』

『どうかされましたか?』

『万が一のために保険をかけたい』

『具体的には、どのような保険ですか?』

『――――』

『かしこまりました』


 念話を切り、さらに歩速を上げる。

 取り越し苦労なら、それに越したことはない。



 ◆



 南口の外でキリトと合流したのは、夜風が一段と冷たさを増し始めた頃だった。


「遅かったな」


 木陰から姿を現したキリトは、装備を整え、警戒した目をしている。


「これでも急いだつもりなんだけどね」

「……行くぞ。モタモタしてると朝になっちまう」


 キリトを先頭に、大森林の夜へと踏み込んだ。密集した木々がわずかな月光さえも拒み、辺りは底知れない闇に包まれていた。鼻を突く湿った土の匂いと、暗闇に紛れたおぼつかない足元。


 キリトは手慣れた足取りで獣道を進むが、ハミルトンの肉体はそうもいかない。鍛えているとは言っても、所詮は商人の体だ。夜の森を往く強行軍には、まるで向いていなかった。


「ハミルトンだったよな。……あんた、本当に戦えるんだろうな」


 前を見据えたまま、キリトが問う。


「一応、戦闘訓練は一通り受けている」

「一応、か……」


 疑念の混じった声だったが、それ以上の追及はなかった。


 三十分ほど歩いた頃、木々の隙間から険しい岩肌が姿を現した。斜面に口を開けた、天然の洞窟。その入口は、大人二人が並んで通れるほどの広さがある。


 キリトが素早く茂みに身を潜めた。俺もそれに倣い、隣へと滑り込む。


 洞窟の門前には、二人の見張りが立っていた。腰に剣を帯び、重厚な鎧に身を包んでいる。単なる倉庫の番人にしては、あまりに装備が物々しすぎた。


「処理できるか」


 キリトが耳元で囁いた。


「やってみよう」

「俺が右をやる。あんたは左だ。同時に動くぞ。声を上げさせたら終わりだ」

「分かった」


 短く視線を交わし、頷き合う。


 キリトが音もなく茂みを出た。右の見張りへと肉薄するその動きは、獲物を狙う獣のごとく速い。背後から組み付き、瞬時に喉を締め上げる。見張りは抵抗する術もなく、静かに崩れ落ちた。


 俺は左の見張りへ回り込み、懐から取り出した小瓶の中身を布に染み込ませ、口と鼻に押し当てた。昏倒薬――こんなこともあろうかと、密かにクロエに作ってもらっていた。それを背後から口鼻へ押し当てる。見張りは数秒ほど身悶えた後、糸が切れたように脱力した。


「手際がいいな」


 キリトが小声で言った。


「商売をしていれば、物騒な場面には事欠かないものでね」


 二人を茂みに引きずり込み、俺たちは洞窟へと踏み込んだ。



 ◆



 中は予想以上に広かった。壁には松明が等間隔に掲げられ、薄暗い通路が奥へと伸びている。石床には何か重いものを引きずったような痕跡が刻まれていた。


通路の屈曲点に差し掛かった時、男たちの話し声が鼓膜を叩いた。俺とキリトは呼吸を合わせるように足を止め、壁に背を預けて気配を殺す。


 角の先を覗くと、開けた空間に四人の武装した男たちがいた。彼らはテーブルを囲み、酒を煽りながら低俗な笑い声を上げている。外の見張りとは別の、内部の番人だろう。


 キリトが指で合図を送ってきた。


 先に動いたのは俺だ。角を曲がるなり、最も近い位置にいた男へ肉薄する。男がこちらに気づくより早く懐へ潜り込み、鳩尾へ鋭い肘打ちを叩き込んだ。呼吸を奪われた男の顎へ、流れるように掌底を突き上げる。脳を揺さぶられた男は、白目をむいて崩れ落ちた。


 同時にキリトが躍り出る。二人目の男が立ち上がりかけた隙を突き、側面から強襲した。男が剣を抜こうとするより速くその柄を掴んで封じ、強烈な膝蹴りを見舞う。体勢を崩した男の頭部を壁面へ叩きつけると、鈍い衝撃音と共に意識を刈り取った。


 だが、残る二人が反応した。



 一人が抜剣して俺へ、もう一人がキリトへと殺到する。


 振り下ろされた白刃を、俺は横へ跳んで回避した。石床に火花が散る。男が体勢を立て直す前に、俺はその死角へと飛び込んだ。剣を持つ手首を掴み、全体重を乗せて捻り上げる。骨の軋む嫌な音が響き、男の手から剣が零れ落ちた。そのまま腕を引き込み、床へ叩き伏せると同時に首筋へ手刀を叩き込む。男はそれきり動かなくなった。


 振り返ると、キリトが最後の一人と剣を交えていた。男は猛烈な勢いで斬りつけ、キリトの防御をこじ開けようと躍起になっている。キリトは後退しながら巧みに捌いていたが、背後の壁際へと追い詰められていく。


「キリト!」


 呼びかけると同時に、俺は男の背後からその首に腕を回した。不意を突かれた男の意識が逸れた刹那、キリトの剣の柄が男の側頭部を捉えた。男は膝から崩れ落ち、沈黙した。


「……すまん、助かった」


 キリトが短く謝辞を述べ、俺たちはさらに奥へと歩を進めた。



 ◆



 最奥の部屋は厳重に施錠されていたが、キリトが腰の道具を取り出し、素早く錠を外した。


 扉を開いた瞬間、黴と汗、そして鼻を突く薬品の混じった悪臭が溢れ出した。薄暗い室内の壁際、そこには力なく蹲る人影があった。


 痩せ細った男女が数名、重い鎖に繋がれて床に座り込んでいる。虚ろな瞳、土気色の顔。汚れたボロを纏い、露出した肌には生々しい痣が浮き上がっていた。


 キリトは一人ひとりの顔を素早く確認していく。アズナを探しているのだと、俺には分かった。だが、その表情は一瞬にして翳った。ここには、彼の求めていた人はいなかった。


 それでも彼は即座に私情を押し殺すと、奴隷たちへと歩み寄った。


「大丈夫か。今、助ける」


 部屋の隅に積まれた木箱には、魔法付与された紙に包まれた小袋が数十個並んでいた。中には白い粉末が詰まっている――薬物だ。動かぬ証拠として、俺はそれを荷袋に詰め込んだ。


 鎖を外された奴隷たちのうち、自力で立てぬ者にはキリトが肩を貸した。来た道を慎重に戻り、出口へと向かう。松明の明かりが前方に見え、外の空気が漂い始めたその時だった。


 洞窟の入口を、巨大な影が遮った。


 逆光の中に立つ、一人の男。


 岩のような肩幅に、太い首。剃り上げた頭を剥き出しにし、無機質な眼差しで俺たちを射抜いている。

 アブダブルが雇っていた用心棒だ。


 確か、名前はオルダンだ。


「愚かだな」


 地を這うような低音。感情の欠片も込められていない。ただ淡々と仕事を遂行する男の声だつた。


「そこを退け!」

「従う理由がない」


 オルダンが静かに抜剣した。幅広の直剣。使い込まれた刃には、無数の細かな傷がある。これで何人も斬ってきた、そういう刃だ。


「奴隷たちを後ろへ」


 キリトが低く、鋭く告げた。俺は奴隷たちを壁際へ促すと、一歩前へ踏み出した。



 ◆



 オルダンが動いた。


「来るぞッ!」


 大柄な体格からは想像できない踏み込みで、一気に距離を詰めてくる。横薙ぎの烈風がキリトを襲い、金属音が洞窟の空気を震わせた。

 キリトが辛うじて受け流すが、その衝撃は凄まじい。


「援護する」


 隙を突き、俺はサイドから斬り込んだ。だが、オルダンは半身を鋭く捻って俺の剣を弾き飛ばす。


「甘いっ!」

「――――っ」


 その衝撃で腕に痺れが走り、感覚が消失した。追い打ちをかけるように、逆の手から放たれた肘打ちが俺の顎を捉える。


「――ぶふぅッ」


 視界が激しく火花を散らし、脳が揺さぶられる。後退する俺へ追撃の手を伸ばすオルダンを、キリトが猛攻で引き戻した。


「させるかぁッ」


 激しい鍔迫り合い。キリトが全力を乗せて押し込むが、オルダンは岩のように動かない。純粋な筋力差が、じりじりとキリトを圧迫していく。


「軽いな」

「化物めッ!」


 痺れる右腕を叩いて強引に意識を戻し、俺は再び死線へ飛び込んだ。キリトが右から、俺が左から同時に仕掛ける。しかしオルダンはキリトの剣をいなしながら、独楽(こま)のように回転して俺の踏み込みに蹴りを合わせた。脇腹に硬い革靴の感触がめり込む。


「ぐはぁッ……」


 肺から空気が弾け飛んだ。


 石床に叩きつけられ、肋骨が悲鳴を上げる。立ち上がろうとして膝をつく。視界の中でキリトとオルダンが剣を交えているのが見えた。


 速さのキリトに対し、オルダンの防御は鉄壁だ。どの角度からの刺突も最小限の動きで防がれ、逆にキリトの腕には浅い傷が増えていく。


 泥を舐めるようにして、俺は立ち上がった。


 鉛のように重い腕、荒れ狂う呼吸。それでも、止まるわけにはいかない。


「うらぁああッ!」


 キリトが捨て身の踏み込みを見せた。オルダンがそれを受け止め、力任せにキリトを弾き飛ばす。壁に背を打ちつけ、キリトの動きが止まった。その刹那、オルダンの意識がキリトに集中した。


「まず、一人目ッ!」


 俺は全力で踏み込んだ。


「はぁッ!」

「――――ッ!」


 振り返るオルダンの反応を、俺の剣先が上回る。刃がオルダンの右肩を深く裂き、熱い鮮血が視界を染めた。苦悶の声を漏らしながらも、怪物は倒れない。傷を負った右肩を無視して、逆の手で俺の胸ぐらを鷲掴みにした。


「なっ!?」

「調子に乗るなァッ!!」


 足が浮く。視界が反転する。


「ぶぅはッ」


 背中を壁に叩きつけられ、肺が潰れるような衝撃が走った。必死にその腕を振り払おうとするが、オルダンの力は尋常じゃない。肩から血を流しながら、それでも俺を壁に押さえつけている。


「商人如きがこの俺に傷をつけたんだ、楽に死ねると思うなよ」


 オルダンが低く呟いた。感情の起伏を一切排した、機械的な声だ。


 奴の剣先が、無防備な俺の腹部へと向けられる。


「お前の相手はこの俺だッ!」


 背後から肉薄したキリトの一閃が、オルダンの右腕を深く切り裂いた。たまらず奴の指先から力が抜け、俺は拘束から解放されて床へと転げ落ちる。


 振り返るオルダンの右腕からは、どす黒い鮮血が滴り落ちていた。それでも奴は執念深く剣を持ち替え、左手で柄を握り直す。


「まだやるつもりか」


 剣を構え直したキリトが、鋭く問いかける。


「当然だ。この程度で勝った気になってもらっては困る」


 迷いなくオルダンが踏み込んだ。左手での剣技は右ほどの精度こそないが、その剛力は未だ衰えていない。キリトがそれを真っ向から受け流す。俺も痛む体に鞭打って立ち上がり、側面から加勢した。


 右肩、右腕。負傷を重ねたオルダンの鉄壁の防御に、確かな「穴」が生まれ始めていた。


 キリトが正面から怒涛の連続攻撃を仕掛ける。オルダンがそれを強引に捌く間隙を縫い、俺は奴の右側へと回り込んだ。


 狙うは剥き出しの傷口。


 渾身の力を込めて剣を叩き込む。

 オルダンは迎撃しようとしたが、もはや右腕は上がらない。


「――ッ」


 刃が深く、奴の右脇腹を抉った。


 ついに、オルダンが膝を突いた。


「……はぁッ、はぁッ」


 それでも奴は剣を捨てず、震える膝を押し立てて立ち上がろうとする。


「終わりだ」


 キリトが踏み込んだ。乾坤一擲の一撃が、オルダンの剣を虚空へと弾き飛ばす。武器を失い、完全に無防備となった胸元へ、俺は一気に剣を突き立てた。


 胸に、深く。


 オルダンの動きが止まった。


 ゆっくりと、仰向けに倒れた。

 最期まで無表情のまま。光を失った瞳は虚空を見つめていた。


「勝った……のか」

「……そのようだな」


 洞窟内に、重苦しい静寂が戻る。


 荒い呼吸を吐き出しながら、俺は剣を鞘に収めた。ハミルトンの肉体は限界を超えている。肋骨の一本や二本、いっていても不思議はない。


 だが、まだ足は動く。


「行くぞ」


 キリトが奴隷たちを促す。腕の傷口から血が滲んでいたが、奴はそれを一顧だにしなかった。


 松明の揺らめく光を頼りに、俺たちは出口を目指した。



 ◆



 外の空気が肺を満たした。草の匂いが鼻をくすぐり、天を仰げば星々が瞬いている。


「綺麗だな」


 俺は溜まっていた熱を吐き出した。

 洞窟から這い出してきた奴隷たちが、夜の冷気に触れて安堵したように次々とへたり込んでいく。


 キリトが生存者の数を確認し、俺は荷袋の中にある薬物の証拠品を確かめた。


「無事だな」


 安堵の息を漏らそうとした、その刹那だった。


 暗闇を裂いて、鋭い風が走る。


「危ないッ!」


 キリトが弾かれたように俺を突き飛ばした。


「――!」


 直後、白刃が空を切り、俺は地面を転がった。態勢を立て直して顔を上げると、そこには見知らぬ男が剣を下げて立っていた。


 無精髭を生やした、体格の良い男だ。年は三十代後半といったところか。使い込まれた外套を纏い、片手に剣、もう一方の手には金属製のスキットルを握り、据わった目でこちらを射抜いている。


「あの男を知っているのか」

「……本人のことは知らない」


 立ち上がったキリトが、男の腰元を見て苦々しく顔をしかめた。


「だが、あいつはまずい。……最悪だ」

「どういうことだ」

「奴の腰に提げている鞘を見ろ。ドラゴンの紋章が入っているだろう。あれは王国騎士団に与えられる剣だ。国王陛下から直々に授けられる特別なものだ」


 俺は目を凝らし、男の鞘を確認した。そこには確かに、細緻な彫刻で象られた龍の紋章が刻まれていた。


 だが、なぜそんな人間がこんな所にいる。


「奴は、王国騎士団の人間なのか?」

「いや……」


 キリトは男のみすぼらしい外套を冷ややかに一瞥した。


「恐らく、“元”、だろうな」


 その見立てには同意だった。現役の騎士にしては、格好がみすぼらしすぎる。


 男が剣を構えたまま、ゆっくりと近づいてきた。


「へえ……よく生きて出てきたもんだ」


 掠れた低音。スキットルを揺らしながら、獲物を値踏みするようにこちらを見ている


「我々に何の用だ」

「用?」


 男は低く、嘲るように笑った。


「お前らが余計な真似をするから、後始末をしに来たんだろうが。……ったくよ」

「街を毒で汚し、無辜(むこ)の民を手にかけようとする連中を止める。それが余計なことだと?」

「ああ、余計だな。そいつらが死んで、お前に何か不都合があんのか? ねぇだろ。くだらねぇ正義感出して、わざわざ首を突っ込むから死ぬことになる。世の中ってのはそういうもんだ。それとも、世間知らずのボンボンはそんな事も分かんねぇのか? バカかてめぇ」

「……お前たちの目的はなんだ」

「は? わざわざ今から死ぬ奴に教えるわけねぇだろ。このマヌケ」


 男が地を蹴った。


 ――速い。


 オルダンとは毛色の違う、極限まで無駄を削ぎ落とした洗練された剣技。王国騎士団で骨の髄まで叩き込まれたであろう型は、疲弊しきった俺たちにはあまりに重い。


「――――ッ」


 キリトが必死に食い下がるが、一撃ごとに体勢を崩されていく。俺も横から刃を振るうが、男はそれを籠手で平然と受け流した。火花が散り、鈍い金属音が夜の森に反響する。


「二人がかりか。まあ、退屈しのぎにはなるな」


 男は余裕の表情だった。俺たちを同時に相手にしながら、動きに乱れがない。


 キリトの刺突を紙一重で躱し、俺の踏み込みを籠手で弾く。直後、死角から放たれた鋭い蹴りが俺の脇腹を抉った。


「ぐぁッ……!?」


 衝撃に視界が飛び、地面を無様に転がる。這い上がろうとするが、膝が笑って力が入らない。オルダンとの死闘で限界を迎えていた肉体は、とうに悲鳴を上げていた。


 キリトが捨て身の斬撃を繰り出すも、男は冷酷にそれを受け流し、剣の柄でキリトの顎を跳ね上げた。


「……っ!」


 崩れ落ち、膝を突くキリト。


「そろそろ終幕(おわり)とするか」


 男がキリトへと歩を進める。それは確実な死を運ぶ、死神の足取りだった。


 立ち上がれない。指一本動かない。


 ――このままでは殺られる。


 脳裏を絶望がよぎった、その刹那。


「――動くなッ!」



 闇の深淵から、空間を凍てつかせるような鋭い声が響いた。


「――――っ」


 男の体が、彫像のようにぴたりと停止した。見えない鎖に縛り付けられたかのように、指先一つ動かすことさえ許されない。


「どうやら、間に合ったようだね」


 木々の隙間から、月光を背負って一人の男が現れた。燃えるような赤髪をかき上げ、左手に黄金の剣を携えた男。右の袖が、夜風に揺れている。


 アルエルだ。


 その姿を視界に捉えた瞬間、俺は心の底から安堵の溜息を漏らした。


 南口へ向かう直前、俺はセリーヌに念話を飛ばした。


『万が一のために保険をかけたい』

『具体的には、どのような保険ですか?』

『紅蓮のアルエルに応援要請を頼みたい』

『相手はAランク冒険者、勇者候補です。依頼するとなると、かなりの額になりますが』

『構わない』

『かしこまりました』


 罠の可能性を感じていた俺が、万が一に備えて仕込んでおいた最後の保険だ。


 俺が知る中で、アルエルは間違いなく最強のカードだ。


 男の視線がアルエルを射抜く。金縛りのような拘束が解け始めたのか、男はゆっくりと距離を取りながら、苦々しく舌打ちした。


「チッ……勇者候補、それも【聖言の先導者(ホーリー・ガイド)】が出てくるなんて、聞いてねぇぞ」


 吐き捨てられた言葉には、隠しきれない動揺が混じっていた。



 ◆



 アルエルが静かに剣を構えた。


「大人しく、投降する気はあるかい?」


 穏やかな声音。だがその響きの裏には、研ぎ澄まされた鋼のような静謐さが宿っていた。


「あるわけねぇだろッ!」


 男が地を這うような鋭さで踏み込んだ。


 渾身の上段一閃。岩をも断たんとする重い一撃を、アルエルは左手一本で真っ向から受け止めた。


 硬質な金属音が夜の森に木霊する。激しい鍔迫り合い。男は両手で体重を乗せ、力任せに押し潰そうと躍起になる。


「問題ない。僕の膂力はオーガをも越える。嘘じゃない」


 アラクネクイーン戦の時と同じく、アルエルは自らに言霊によるバフをかけていた。

 片腕一本という圧倒的に不利な状況にもかかわらず、アルエルの軸は微塵も揺るがない。


 鋼の体幹と精緻な足さばき。チート級の能力で、男の剛力を完全に無効化している。


 相変わらず、末恐ろしい能力だ。


「ちっ」


 男は一旦距離を置くと、獣のような俊敏さで側面に回り込んだ。アルエルは円を描くような最小限の転身でそれを追う。男の剣が左右、そして頭上から休む間もなく繰り出されるが、アルエルはその全てを最短の軌道で捌ききった。一切の無駄を排した、芸術的ですらある剣理だった。


「……片腕で、これほどまでとはな」


 男の貌から余裕が消え、初めて真剣な「武人」の目が宿った。


 攻守が逆転する。アルエルが鋭く踏み込んだ。男の剣が迎撃の弧を描くが、アルエルは刃を交えさせない。柳のように男の剣を受け流すと、吸い込まれるように懐へ侵入した。剣の腹が男の脇腹を深々と強打する。


「……ゔぅっ」


 男は苦悶の声を漏らし、たじろぎながら後退した。


「まだだ」


 男が構え直す。

 その肩は激しく上下し、呼吸が乱れ始めていた。


 再び死に物狂いで突っ込む男。狂ったような連続斬火。上段、横薙ぎ、そして鋭い刺突。全霊を賭した猛攻に、アルエルは後退しながら対処する。一歩、また一歩。アルエルの背後には、巨木の幹が迫っていた。


「追い詰めたッ!」


 男が勝利を確信して吠えた。


「それは、どうかな」


 だが次の瞬間、アルエルの動きが「静」から「動」へと転じた。


 下がり続けていた足を止め、踏み込んできた男の剣を真正面から受け止める。爆発的な反発力で押し返した刹那、男の力が一瞬だけ浮いた。その隙を逃さず、アルエルは刃を滑らせて男の手首を痛打した。衝撃に耐えきれず、男の剣が虚空へと弾き飛ばされる。


「クソがっ!」


 悪足掻きに男が放った拳を、アルエルは紙一重の回避でやり過ごす。そのまま淀みのない動作で、男の喉元へ剣先を突きつけた。


「チェックメイトだ」


 男が動きを止めた。


 肩で荒い息を吐き、額からは脂汗が滴り落ちる。裂けた外套の隙間からは、いくつもの切り傷が血を滲ませていた。


 対するアルエルは、わずかに呼吸を乱している程度。

 圧倒的な実力差だった。


 夜の森に、冷徹な静寂が降り積もった。



 ◆



 アルエルが剣先を男の喉元へ向けたまま、静かに問いかけた。


「誰に雇われた。お前たちの目的はなんだ」


 穏やかな声音。だが、その言葉には強制力を持つ「言霊」が宿り、夜の空気にじわじわと溶け込んでいく。


「……っ」


 男の体が、目に見えて震え始めた。抗おうと歯を食いしばり、必死に喉の奥からせり上がる言葉を押し留めようとしている。


「答えるんだ」


 アルエルが重ねて言霊を放つ。


 ついに、男の唇が戦慄きながら開いた。


「……俺、は……」


 掠れた声が漏れる。男は自分の口を塞ごうとしたが、麻痺したように腕が上がらない。


 真実が、呪いのように喉の奥から引きずり出されようとしていた。


「や、やめろ……頼む。言わせるな……俺は……ッ!」


 男の顔が苦悶に歪み、額には太い血管が浮き出た。充血した両目が、今にも弾けそうなほど見開かれる。


 俺は息を呑んでその光景を注視していた。


 ――その瞬間だった。


 男の全身から、ふっと力が抜けた。

 まるで、何かに魂を奪われたかのように。虚ろな瞳のまま、男の手が自らの剣を拾い上げ、吸い込まれるように喉元へ向いた。


「待てッ!」


 アルエルの叫びも虚しく、銀光が夜の闇を裂いた。


「――――」


 鈍い衝撃音と共に、男が地に伏した。


 夜の森が、凍りついたような静寂に包まれる。聞こえるのは、ただ風が木々を揺らすざわめきだけ。


 アルエルが静かに膝をつき、男の頸動脈を確認した。やがて立ち上がると、苦い表情のまま俺たちを見た。


「制約魔法だ」


 静かな声だった。


「雇い主の情報を漏らそうとした瞬間、自害するよう仕組まれていたのだろう。想像を絶するほど深い呪縛だ。僕の言霊ですら、この強制力を上書きすることはできなかった」


 絶命した元騎士を見つめ、俺は戦慄を覚えた。王国騎士団の名剣、そして死をも厭わぬ制約魔法。

 これほどの呪縛を平然と施す術者が、この陰謀の背後に潜んでいる。



 根が深すぎる。これは、一商人の手に負える規模の事件ではない。


 俺は即座に思考を切り替え、セリーヌへ念話を飛ばした。


『セリーヌ』

『はい、主様』

『憲兵を南口の大森林へ。隠し洞窟を発見した。奴隷の生存者が複数。それに決定的な証拠品もある』

『……了解いたしました。直ちに手配します』

『アルエルたちも立ち会っている。彼らの功績も含め、現場の状況を速やかに整理しておいてくれ』

『承知いたしました』


 念話を切り、俺は奴隷たちの方へ視線を向けた。地面に座り込んだ彼らは、震える肩を寄せ合い、ただ無言で星空を見上げていた。



 ◆



 翌朝、街は激震に見舞われた。


 朝刊の紙面には、おどろおどろしい大見出しが躍っている。


【ヴェルテ商会、禁制薬物密輸の闇を暴く――フィールド商会ハミルトン氏、冒険者キリト氏、紅蓮のアルエル氏、救出の快挙】


 奴隷の体内に薬物を隠匿し関所を抜ける非道な手口。東区の井戸へ流された【ステージ】による無差別な汚染。そして複数の犠牲者。三人の活躍によって決定的な証拠が押さえられ、囚われていた人々が救い出された事実は、瞬く間に市民の間に広まった。


 街中がその武勇伝と戦慄すべき悪行の話題で持ちきりになる中。


 憲兵団が主犯アブダブル=ヴェルテを拘束すべく商会へ踏み込んだ時、男は既に物言わぬ骸と化していた。


 俺はとある村の一室で、セリーヌからのその報告を静かに受け取った。


『死因は』

『……毒です。現場の状況から他殺と断定されましたが、肝心の実行犯に関する手がかりは一切残されていません』

『そうか』


 念話を切り、俺は寝台に身を沈めた。


 アブダブルは、単なるトカゲの尻尾に過ぎなかった。証拠が白日の下に晒された瞬間、容赦なく切り捨てられた。


 今回の事件は、何が目的で、誰が裏で糸を引いていたのか。


「結局、真相は闇の中かよ」


 胸の内のコアが、ドクンと重く、警鐘を鳴らすように脈打った。


 しかし、当初の目標であった、感染病の疑いを晴らすという目的は達成された。

 副産物として、エルメスに引き続き、ハミルトンまでもが街の英雄として持ち上げられつつある。


 ヴァールが定めた期日まで残り五日。


 ボッテガヴェネタ=イントレチャート子爵までのルートは、着実に出来上がっている。


「……あとは、どうやって門を開けるかだな」


 誰に聞かせるでもなく独りごち、俺は窓の外に目を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ