第30話 元同級生
翌朝、伯爵家から迎えの馬車がやって来た。思ったより立派な馬車だった。
バーキン伯爵家の紋章入り。御者は二人。荷台には旅行用の荷物が積まれ、護衛の騎士が二騎、馬車の左右についていた。
「手紙を出してから、そう時間は経っていませんのに、相変わらずせっかちですわね」
俺はダンジョンの奥でソファに座りながら、脳内モニターに映る光景を眺めた。エルメスの視界が、馬車の前で整列した伯爵家の使用人たちを映している。
「とりあえず自動操作で向かわせるか」
俺が同調していなくても、寄生虫がエルメスの行動パターンをある程度トレースしてくれる。あとは非常時だけ俺が介入する、という運用だ。馬車移動のためだけに同調するのは効率が悪い。
書類の確認、セリーヌからの報告書のチェック。やることは山積みだ。
……ただ。
「一度くらいは、馬車に乗ってみるのも有りだよな」
タクシーには乗ったことはあっても、馬車に乗るのは初めてだ。街の外の景色も見ておきたい。
前世の俺は旅行とは縁遠い人生だった。ゴールデンウィークも夏休みも、大抵は仕事が入った。行きたいと思った場所のパンフレットだけが増えていき、結局どこにも行かないまま歳を取った。
そういう人生だった。
だから今くらいは、いいだろう。
俺はエルメスの意識に深く入り込み、自らの足で馬車に乗り込む。
◆
街道を走り始めてしばらく、窓の外を流れる景色は圧倒的だった。
広大な草原。遠くに連なる山の稜線。木立の向こうに光る川。空の青が、前世で見ていたものより、何故かずっと深い。
「……いいですわね」
声に出した。護衛の男がちらりとこちらを見た。令嬢がそんな顔で窓の外を見るとは思っていなかったらしい。
俺は咳払いをして、エルメスらしく視線を前に戻した。
……少しばかり、照れる。
半日ほど経つと、さすがに飽きた。
景色は変わらない。石畳が終わった途端に路面が荒れた。馬車が揺れる。本を読もうとすると酔う。護衛の男は無口だ。
「……仕事するか」
俺はエルメスの意識を自動操作に切り替え、自分はダンジョンに意識を戻した。
積み上がった書類の山。セリーヌからの最新レポート。ハミルトンからの商業情報。それらを一通りチェックしていると、
『主様』
セリーヌから念話が入った。
『どうした』
『少し、気になる件が。現在、街で原因不明の体調不良者が増えているようです』
『増えている、というのはどの程度だ』
『一週間で十五件。症状は全員ほぼ同じです。強い倦怠感と頭痛、食欲不振。ただ、熱はほとんど出ていないようで』
俺は少しだけ考えた。
『感染か』
『医師たちはそう見ているようですが、感染ならもっと広がりが早いはずで。局地的すぎるんです。街の中でも、特定の一帯だけに集中していて』
『……どの辺だ』
『東区の南端。古い酒場が並ぶ通りです』
俺は頭の中で地図を広げた。東区の南端。クロエの薬屋がある場所とは真逆。ハミルトンの商会の縄張りとも微妙にずれている。
『クロエに動かせるか』
『一応伝えることはできますが……主様、今は遠征中ですよね。五号に深く同調するのは難しいのでは』
『問題ない。とりあえず、クロエに患者の一人を診させろ』
『承知しました』
念話が切れた。
俺は少しだけ、嫌な感触を覚えた。
「原因不明。局地的。……特定の通りだけ、か」
このタイミングで感染症によるパンデミックは避けたい。
そんなことになれば、領主に接触する機会を逃してしまう。
「……十二日、もう時間がねぇってのに」
どこかで、歯車が噛み合わない音がした気がした。
◆
二日目の夕方、馬車は中継の街に立ち寄った。
馬の休憩と食料の補充だ。一時間ほどの停車という。
俺は再びエルメスと同調し、馬車から降りた。
「こういう街もありますのね」
石畳の広場。屋台が並んでいる。焼いた肉の匂いが漂う。
商業都市オールセルテス以外の街は、初めてだった。
規模は小さいが、活気がある。広場の中央には古い井戸があり、その周りで子どもたちが遊んでいる。石造りの建物の壁が、夕陽を受けてオレンジに染まっていた。
「……いいですわね」
また声に出てしまった。今度は誰も見ていない。
俺はエルメスの足で広場をゆっくり歩いた。屋台を一軒一軒眺めながら、前世では行けなかった旅行のことを少しだけ思い出した。
京都に行きたかった。ヨーロッパの石畳を歩きたかった。ローカル線に乗って、知らない町で飯を食いたかった。
全部、叶わなかった。
でも今こうして、知らない街の広場を歩いている。異世界の、美少女の体で、という条件がつくが——前世で叶わなかった旅行を楽しむというのも、悪くない。
屋台で肉串を一本買い、その味を堪能する。
うまい。
腹は満たされずとも、味は楽しめる。
「……けた」
前から声がした。
「ん?」
俺は顔を上げた。
広場の反対側から歩いてきた少女二人が、こちらを見て、足を止めていた。
一人は淡い茶色の髪を二つに結い、くりくりした目が丸く見開かれている。もう一人は黒髪を短く切り揃えた、気の強そうな顔をしていた。
俺はエルメスの記憶を引っ張った。
「エルメス! やっと見つけた!」
茶髪の少女が、信じられないという顔でこちらを見ていた。
ミレーユ=アンブロワーズ。
魔法学校時代の同級生。エルメスがかつて一方的に絡んでいた相手だ。
まずい。
俺は即座に令嬢スマイルを貼り付ける。
「あら、ミレーユ。久しぶりですわね。こんな所で会うなんて奇遇ですわね」
「……あ、うん。久しぶり。って違うよ! 私、エルメスを探してたの!」
「……私を?」
なんで? まさか、復讐に来たんじゃねぇだろうな。このクソ忙しいときに勘弁してくれよ。
「聞いたよ! エルメス、勇者パーティが勝てなかった魔王を単独で倒したって! 学校でも大騒ぎになっていたんだよ!」
距離が近い。人見知りという概念がない人種か。
……というか、魔王? いくらなんでも尾ひれ付きすぎだろ。帰ったらガストンの野郎をぶん殴ってやる。
「今のエルメスなら、学校に戻って来れると思うんだ! 先生たちも、エルメスの活躍には――」
「みんな騙されてるだけよ!」
黒髪の少女が、横から割って入った。
「この悪女が英雄? 人助け? そんなことするわけないじゃない。本当、みんなバカなんだから」
ま、妥当な評価だろうな。俺があんたでも、そう思うよ。
この毒舌少女はスジー。ミレーユとセットで行動していることが多い。
「ス、スジー!」
「だって本当のことじゃない。仲間のために動いたとか、ダンジョン制圧したとか。全部嘘に決まってる。どうせ学校に戻るために、お金払ってそういう噂を流させたのよ。こいつはそういう女なの」
「それは……まあ……でも」
否定しないのかよ。
「いいのよ、ミレーユ」
俺は落ち着いて口を開く。
「事実に尾ひれがついているのは確かですわ。でも、戦ったのは本当のことですわよ。もちろん、一人ではありませんけれどね。【紅蓮】という勇者候補のパーティと一緒に戦ったんですのよ。ちなみに、倒したのも魔王なんかではありませんわ」
「……へぇ」
スジーが目を細める。
値踏みしている。表情も、間も、全部見られている感覚。経験上、この手のタイプに嘘はダメだ。
内心で冷や汗が滲んだ。スジーちゃんか、敵に回すと厄介そうだな。
「なんか……違くない?」
スジーが首を傾げた。
「何が違いますの」
「前のあなた、もっと棘があった。今は……薄い」
一瞬、思考が止まりかける。
だが表には出さない。
「人は変わりますのよ」
「短期間で変わりすぎ。何かに取り憑かれたって言われた方が納得できるレベル」
鋭い。
「スジーちゃんは――」
「ちゃん?」
「……す、スジーは、人が変わることを信じない主義ですの?」
「信じないわけじゃないけど」
スジーはまだ首を傾けていた。
「一つだけ答えて」
スジーが一歩近づいた。
「闇魔法の先生の名前は?」
「ネヴァー=ブラック先生ですわ」
間を置かずに答える。
スジーは俺の目をじっと見たまま、数秒黙った。
答えそのものではなく、“迷い”を見ている。
「……合ってる」
そう言って視線を外したが、納得した様子ではない。疑いを引っ込めただけだ。
一方で、ミレーユはといえば——
「エルメス! ねえ聞いて! 学校、長期休みなの! 私たち休みを利用してエルメスに会いに来たの。私、この街にあと二日くらい居るつもりだから、気が変わったらいつでも声をかけて。私、魔法使いとしてのあなたは、もっと評価されるべきだと思っているの。今日、こうしてエルメスに会えたのも、女神アルテミスさまのお導きがあったからだと信じてる!」
「え、ええ……そうですわね」
「ね、ね! あと、時間があれば一緒にお茶もしたい!」
ぐいぐい来る。女子特有の、誰とでもすぐに打ち解ける、あれか!
しかし……エルメスの記憶を辿った限り、この子はエルメスちゃんに嫌がらせを受けていたはず。
……まさか、自覚がないのか!
「エルメスが退学になった時、私、すごく心配したんだよ。誰も何もしてくれなくて、先生にだって退学なんて酷すぎるって抗議したのに……。ごめんね。守ってあげられなくて」
――――ッ!
ミレーユがぽつりと言った瞬間、胸の奥がキュッと、妙な違和感に襲われた。
……なんだ、今の。
エルメスの胸の奥で、確かに何かが動いた。
本物のエルメスが、内側で何かを感じているのか。
「やっぱり、へん……」
それだけ言って、ミレーユの袖を引いた。
「もう、行こう。ミレーユ」
「えーっ! エルメス、あなたはこんな所で終わる人じゃない! すごい魔法使いになるって、私信じてる! あなたに話したいことだって沢山あるの! 待ってるから! 私、待ってるからね!」
「……善処しますわ」
「ほら、もう行くから」
手を振りながら、二人は広場を横切っていった。
俺はその背中を見送り、静かに息を吐いた。
……生きた心地がしなかった。あと一歩踏み込まれていたら、どこかで綻んでいた。
記憶はある。だが、すべてを把握しているわけじゃない。
「……次は、通用しませんわね」




