第21話 移転先が最悪な件
「……はぁ、はぁ……ッ、死ぬかと思った……!」
俺は、馴染み深い芋虫の巣の、湿った土に顔を埋めた。
「ようやく、本当にようやく帰ってこれたんだ!」
あのアラクネとの死闘を終えた翌日、あのハイハイ野郎――ヴァールに深層に連れて行かれ、有無を言わせず心臓を体内に捩じ込まれた。
あげく、融合の激痛にのたうち回る俺を、あの野郎は「お疲れ様でしたー」なんて軽い調子で放置して消えやがったんだ。
出口も分からねぇ、魔力も空っぽ、おまけに身体は内側から作り変えられてボロボロ。
そんな状態で、血に飢えた魔物どもが徘徊する深層に取り残されるのがどれほど絶望的か、分かっててやりやがったんだ。
「……あいつ、絶対わざとだ。確信犯だぞ、あの詐欺師野郎……ッ!」
自由だなんだと耳障りのいい言葉を並べて、結局は使い捨ての駒。
地獄に落ちる代わりに、地獄以上のブラック企業に就職させられた気分だ。
「もきゅ……」
「ああ、兄弟たちもよく頑張った。これで、ようやく休めるな」
傍らで力なく鳴く青パイセンの背を撫で、俺は深く溜息を吐いた。
詐欺に遭ったのは腹立たしいが、それでもこの“心臓”のおかげで、もう冒険者の強襲を心配する必要はない。このまま森の奥深く、人間たちがやって来なさそうな場所にダンジョンを移転させればいいんだ。
安全が確認できれば、エルメスとシャネルを解放してやってもいいかもな。短い間だったとは言え、世話になったしな。
俺は森の奥でひっそりと、平穏なスローライフでも始めるさ。
そう、ここからが俺の本当の人生。
“やり直し”になるんだよ。
――その時だ。
「ん?」
俺の足元の土が、不気味な紫色の光を放ち始めた。
「……っ!? お、おい! なんだよこれ! げっ!? また魔法陣かよッ!? 冗談じゃねぇッ!! ――あっ、ちょッ」
逃げる間もなかった。
光の柱が俺の全身を包み込み、強引に空間ごと引き剥がされるような浮遊感。
視界が真っ白に塗り潰され、胃袋がひっくり返るような感覚に襲われる。
「が、はっ……!?」
次に目を開けた時、俺の鼻を突いたのは、これまでの土の匂いではなかった。
「くっっさッ!?」
鼻が曲がるような、強烈な腐臭。そして、絶え間なく響く水の流れる音。
「……ここは、どこだ?」
湿った石造りの壁。天井には赤黒いカビがこびりつき、足元には濁った泥水が溜まっている。
どう見ても、元の巣じゃない。
「ちゅ、ちゅちゅっ」
困惑する俺の前に、一匹のドブネズミが這い寄ってきた。
その首には、悪趣味な金色のリボンで結ばれた、一通の封筒が括り付けられている。
「このセンス……間違いなくハイハイ野郎だ!」
嫌な予感しかしない。俺が触手で封筒を受け取ると、ネズミは嘲笑うような鳴き声を残して闇へと消えた。
「……っんなんだよ」
封を開けると、そこには案の定、嫌がらせのように整った筆致でこう記されていた。
> 【業務命令:第一四半期・戦略目標について】
「なんだ、こりゃ?」
> 拝啓、芋虫ボーイ。新居への引っ越し、おめでとうございます、ハイ。
> さて、移転先は私の方で**『商業都市オールセルテス』の真下、下水道エリア**を指定しておきました。
「は?」
> ズバリ、今回のノルマは**『一ヶ月以内の領主の籠絡、および街の実効支配』**です。
> 言い忘れましたが、私には鼻持ちならない敵――別地域のエリアマネージャーたちがおりまして。彼らが擁立する『駒』たちが、私の査定を下げようと邪魔をしてくるのですよ、ハイ。
> そこでボーイ、ユーには彼らを叩き潰すための『劇薬』になってもらいたいのです、ハイ。
> 前のダンジョンの軍勢は、順次こちらに転送しておきますね。
> 査定のために、死ぬ気で働いてくださいね。敬具。
「…………ふざけんなよぉぉッ!!!」
俺の声が、不気味な地下水路に反響した。
「新居だと!? どこがだッ! 街の下水道じゃねぇか! 逃げるどころか、敵の本拠地のど真ん中に放り込みやがって! なに考えてんだよ! 話が全然ちげぇじゃねぇかッ!」
自由をチラつかせてコアを飲ませ、身体をパッキングさせておいて、最後は最前線にポイってか? こんなの完全に詐欺じゃねぇか!
おまけに一月以内に街の実効支配を手に入れろだと。
「……無茶苦茶じゃねぇか」
しかも、別地域のエリアマネージャーってなんだよ? 俺はこれから何をさせられるんだ?
「……状況が好転どころか、悪化してるじゃねぇか……ははっ」
笑うしかなかった。
あの詐欺師はいつか必ずぶっ殺してやる。ハイハイうるせぇ口に、この下水を流し込んでやるからな。だが、今の俺では絶対に無理だ。悔しいが、返り討ちに合う未来しか想像できない。
「殺るなら、力をつけてからだ」
なにより、街の地下にダンジョン。
この状況はやべぇ。
もしも街の地下にダンジョンがあるなんてことがバレた日には、間違いなくこの街の最高戦力で、全軍をもって攻め込んでくる。そうなれば、一巻の終わりだ。
「ダンジョンコアを取り込んだって、これじゃあ意味ねぇじゃねぇか!」
とにかく、街の連中にバレる前に何とかするしかない。
一番手っ取り早いのは、地下の出入りに制限をかけることだ。
完全に封鎖してしまえば、下水のメンテナンスが滞ってしまう。そうなれば、必ず不備が出る。そして、地下を調べるために人が押し寄せる。
「最小限の人間にのみ、地下の出入りを許可するしかない」
その人間は、当然寄生体である必要がある。
選定し、地下を封鎖するためには、やはりこの街の領主――ボッテガヴェネタ=イントレチャート子爵の力が必要になる。
「結局最初に戻んのかよ」
詐欺師野郎の思うツボなのは気に食わないが、奴をぶっ殺すためにも今はやるしかない。
俺は泥水に浸かった手紙を睨みつけた。
望み通り街を手に入れてやるよ。そんで、必ずてめぇを叩き潰してやる。
「そのためには、エルメスの名誉を回復させる必要がある」
伯爵家の権威を取り戻せさえすれば、エルメスちゃんは最強のカードになり得る。
「まずは、“偽物のコア”からだな……」
俺は、順次転送されてくるであろう青パイセンたちを待つべく、下水の暗がりに身を潜めた。
◆
「……ったく、全然転送されて来ねぇじゃねぇか」
俺は鼻を突く下水の腐臭に耐えながら、石造りの水路を這い進んだ。
「にしても、汚えところだな。……Gにでもなった気分だぜ」
ネズミが示唆した方向、汚れきった水の流れに逆らって進んだ先――。
「……ちっ」
レンガの壁の一部が不自然に歪み、見覚えのある禍々しい「ダンジョンの入り口」が口を開けていた。
「……ここが、新しい『我が家』の玄関だってのかよ」
街の汚物が流れ込む下水道の奥底。住み心地は最悪だが、今は文句を言っている暇はない。
「入るか」
俺が入り口をくぐり、ダンジョン内部へと足を踏み入れると、そこには見覚えのある顔ぶれが揃っていた。
「もきゅー!」
「ぎちぎちっ!」
広いホールのような空間に、ボトボトと天井から降ってきたらしい青パイセンや、目を回している兄弟たちが、ひしめき合っている。
「おい、お前ら! 無事かッ!?」
どうやらヴァールの野郎、前のダンジョンにいた軍勢を、ここに一括で転送しやがったらしい。
俺という精密機器を雑に魔法陣で飛ばしただけでなく、兄弟たちまで在庫移動みたいに放り出すとは……。本当に、アフターケアの欠片もねぇ詐欺師野郎だ。
「……ハイハイ野郎め。おかげでこっちはパニックだっつーの」
泥水を被って震える兄弟たちをなだめ、俺は新しいダンジョンの構造を確認した。
ヴァールが用意しただけあって、守りやすく、攻めにくい。だが、地上の『商業都市オールセルテス』の真下という立地は、あまりにも危険すぎる。
「……マズいな。こんなところに居座る以上、地上に見つかるのは時間の問題だよな」
もしメンテナンスの役人がこの入り口を見つけたら、一発でアウトだ。
ヴァールのノルマ――一ヶ月以内の実効支配。
正直、奴の言いなりになるのは反吐が出るが、地上にバレて全軍突撃を受ける前に、こちらから仕掛けるしかない。
「……やるしかないんだよな。しゃーない。文句ばかり言ってたって、なんにも始まらねぇよな。パイセン、遊んでないで手伝ってくれ」
俺は、転送されてきたばかりの個体の中から、粘液の質のいい奴を呼び寄せた。
「これから、俺たちは『ダンジョンコア』を作る。……いいか、見た目だけはそれっぽく、壊した瞬間に『やったぜ!』って思わせるような、ド派手なダンジョンコアを作る必要がある」
俺は青パイセンの粘液と、ダンジョン内に転がっている魔力の端材を組み合わせるよう指示を出した。
エルメスちゃんを、ダンジョン攻略最大の功労者――英雄として地上へ送り出す。
セリーヌいわく、ダンジョンコアの破壊は国が最も力を入れている部分でもある。歪んだ社会情勢も、英雄が誕生したとなれば国民は大手を上げて歓喜する。国からすれば、まさにうってつけのスケープゴートってわけだ。
エルメスちゃんが街を救った救世主になれば、必ず国はエルメスちゃんに目をつけるはず。そうなれば、追放された伯爵令嬢の名誉は回復するはずだ。
実家からの接触もあるだろう。当然、この街を救ったエルメスちゃんを、領主のボッテガヴェネタ=イントレチャート子爵が放っておくわけもない。
子爵と対等に会えるチャンスは、必ず生まれる。
「詐欺師のノルマも、他の魔王候補とかいうのも、まずは領主と繋がらないことには始まらないからな……」
下水の音が遠くに響く中、俺はコツコツと偽装工作を進めた。
俺の体内の本物のコアが、ドクンと重苦しく脈打つ。
「……見てろよヴァール。お前の思い通りにはさせねぇ。俺は俺のやり方で、このクソッタレな社内政治を生き残ってやるからな」
暗いダンジョンの奥で、偽物のコアが赤黒い光を放ち始める。
それは、芋虫が仕掛ける史上最大の「偽装工作」の幕開けだった。




