動かぬ証拠
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カイロスの宿の一室で、カエルは全ての資料を机の上に並べた。
蝋燭を三本灯し、窓の鎧戸を閉める。部屋は狭く、壁には宿の備品の木棚が一つあるだけだった。だが今夜、この部屋は法廷になる。
机の左側に——ヴェリウスから受け取った通信記録の写し。
机の右側に——廃都の文書館で記憶した「消された名前」の筆跡の特徴を書き留めたメモ。
カエルは通信記録を開いた。
大学事務局に残されていた不審な後見人申請書。肝心の申請者の名前や署名部分はひどく劣化して読み取れなかったが、備考欄に記された書類作成者の文字を、じっと見つめた。
その署名の筆跡を、じっと見つめた。
文字の傾き——わずかに右に傾斜。横棒の跳ね方——終点で微かに上方に跳ねる。筆圧——「M」の始筆が最も強く、末尾に向かって弱まる。
廃都の文書館で見た「消された名前」の筆跡特徴を、記憶から引き出した。
——一致する。
文字の傾き。横棒の跳ね。筆圧のパターン。墨で塗り潰された下に透けていた筆跡の癖と同じ人間が、この不自然な後見人申請に関与している。
カエルは深く息を吐いた。
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次に、ヴェリウスの証言を整理した。
「当時、その条件を満たす人物は限られている」——ヴェリウスの断言。教会魔法の理論的権威であり、ヘスペリア大学に在籍し、精霊鍛造術の応用に関心を持ち、原力の研究に直接関与していた正体不明の『フクロウ』。
カエルはペンを取り、白紙に証拠の一覧を書き出した。
一、暗号メモの宛名——「フクロウへ。あなたには渡せない」
二、海人族商人の証言——母の死の夜に、フクロウの紋をつけた馬に乗る背の高い男
三、海人族長老の証言——フクロウと呼ばれる学士が母と激しく議論し、「同源説の証拠を隠すな」と叫んだ
四、地底族長老の証言——母と来た「フクロウ」と呼ばれる男がデータを持ち帰ろうとした
五、研究記録の空白——3155年から3170年。母の原力発見(3158年)と一致
六、廃都の文書館の消された名前の筆跡——独特の傾斜と跳ねの癖を持つ人物
七、かつての共同研究者周辺の不自然な消失——知りすぎた人間の排除
八、後見人申請の提出日——母の死の二日前
九、独自の魔法理論の隠蔽——微念と微精霊の同源性を深く理解していることの秘匿
九つの証拠。
全てが——母を殺した『フクロウ』という存在の輪郭を決定づけていた。
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カエルは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。
蝋燭の炎が揺れるたびに、天井の木目が動く。影が踊る。
確定。
論理的に——この『フクロウ』が母の死に関与した可能性は、限りなく高い。暗号メモ、各地の証言、文書記録、筆跡照合、後見人申請の日付——間接証拠の総合的な重みは、もはや「疑念」ではなく「ほぼ確定」の域に達している。
しかし——
直接的な殺害の証拠がない。
「フクロウが母を殺した」と断定するためには、殺害行為そのものの物的証拠が必要だ。暗号メモは動機と背景を示すが、殺害の手段と実行を証明しない。証言は状況を補強するが、殺害の現場を目撃した者はいない。
ヴェリウスの証言と筆跡の一致は、フクロウが母の研究に関与し、データを独占しようとしたことを示す。後見人申請の日付は、母の死を事前に知っていた——あるいは計画していた——ことを強く示唆する。
だがどれも——間接証拠だ。
「鍵の部屋」
カエルは呟いた。
マグヌスの研究室の奥にある、鍵のかかった部屋。あの部屋から漏れる原力の気配。母の暗号メモが示す「シルヴィアの住居に隠した研究ノート」——全てがあの部屋に収束する。
直接的な証拠があるとすれば——あの部屋の中にある。
カエルは証拠一覧のメモを畳み、暗号メモ正本と共に革の保護管に収めた。
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宿の窓から、カイロスの夜空が見えた。
星が鋭く瞬いている。鉄背山脈の稜線が、漆黒のシルエットとなって星を区切っていた。
ヘスペリアに帰る。鍵の部屋に入る。
その前に——一つだけ、決断しなければならないことがある。
ルーナに、話すか。話さないか。
カエルは目を閉じた。
妹の顔が浮かんだ。「兄さん!」と駆け寄ってくるルーナ。「お師匠様」と信頼を込めてマグヌスを呼ぶルーナ。学問の全てをマグヌスに負っているルーナ。
知る権利がある。ルーナにも——母の真実を知る権利がある。
だがその真実は——ルーナの世界を粉々にするかもしれない。
「……あとはあの部屋だけだ。しかしその前に——ルーナに話すべきか」
カエルは暗号メモ正本を懐にしまい、宿を出た。明朝の隊商に合流する。ヘスペリアまで十日。
その十日間で——答えを出す。




