共犯者の名
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三日間、カエルは暗号メモの解読に没頭した。
講義とマグヌスの訓練の合間を縫い、深夜から明け方まで正本に向き合う。微精霊を指先に纏わせ、一行ずつ解読していく作業は、鍛冶場で金属を削るように精密で、同じくらい消耗した。
二重暗号の部分は解けなかった。「彼」の名前を守る暗号層は、母が用いた他の暗号よりも格段に複雑で、異なる鍵が必要だった。おそらく母が最も秘匿したかった情報——名前そのものだ。
しかし、名前の周辺の記述は解読できた。
——「彼は教会魔法の理論的権威であり」
——「ヘスペリア大学において」
——「精霊鍛造術の応用可能性を」
断片。だがその断片が指し示す人物の像は、一つしかなかった。
教会魔法の理論的権威。ヘスペリア大学在籍。精霊鍛造術への関心。
マグヌスだ。
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翌日、カエルは大学の図書館に向かった。
ヘスペリア大学の蔵書は大陸随一だ。中央棟の三階に、教員の出版物目録を管理する書庫がある。学術雑誌への寄稿、専門書の刊行、講演記録——全ての教員の学術活動が年代順に整理されている。
マグヌスの棚は一区画をまるごと占めていた。大陸で最も引用される教会魔法の理論家。膨大な業績が年代順に並んでいる。
カエルは年代を遡った。
3175年——論文三本。3170年——論文二本、書評一本。
3170年を境に——空白。
3169年。なし。3168年。なし。3167年。なし。
3155年まで遡っても——何もない。
十五年間の空白。3155年から3170年まで、マグヌスの学術活動は完全に停止していた。
カエルは目録の注記を確認した。「研究休暇」とだけ記載されている。行き先も内容も不明。
——統一暦3158年。
母の暗号メモに書かれた「原力の発見」の年。海人族集落での微精霊の深層パターン観測。その年はマグヌスの空白期間のちょうど中間にあたる。
カエルの背を、冷たいものが走った。
母が原力を発見し、マグヌスと共有し、そして——「渡せない」と決裂した。その全てが、この空白期間の中で起こった可能性がある。
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午後の訓練。
マグヌスの研究室で、週次の実技指導が行われた。カエルとマグヌスが向き合い、術式構築の実践を行う——十年間続けてきた日常の一幕だ。
今日の課題は微念の精密操作だった。微念の糸を複雑な幾何学模様に編み、空中に安定した構造体を構築する。教会魔法の上級技術だ。
カエルは微念を操りながら——わざと話題を振った。
「師匠」
「うん」
「学術的な話なんですが——微念と微精霊の同源性について、研究した人はいるんでしょうか」
マグヌスの手が——止まらなかった。
術式を構築し続けながら、穏やかに答えた。
「同源性か。過去にそういう仮説を立てた学者はいたが、実証には至っていない。両者の性質があまりに異なるからな」
「でも、古代語の文献には——微念と微精霊を区別しない記述がありますよね」
「ああ、古代語にはその傾向がある。だが古代人の概念が未分化だっただけという解釈が主流だ」
視線が合った。
その瞬間——カエルは見た。
マグヌスの瞳孔が、わずかに収縮した。
虹彩の縁が微かに震え、焦点が一瞬だけ――本当に刹那だけ――揺らいだ。指先が、術式の糸を繰る動きの中で、ほんの一拍遅れた。
それだけだった。
次の瞬間には、マグヌスはいつもの穏やかさで術式を完成させ、カエルの構造体の出来を評価し始めていた。
「この接合点がやや甘い。微念の流量を三割増しにしてみろ」
「はい」
カエルは指示に従いながら、内心で確信を深めていた。
あれは——「知っている」人間の反応だった。
十年間、マグヌスの下で暮らしてきた。師の表情の機微を、骨の髄まで知っている。あの瞳孔の収縮は、驚きではなかった。恐怖でもなかった。
——「すでに深く理解していることを、知らないと演じる時」の、微かなズレ。
嘘をつく時の人間の反応には二種類ある。知らないことを知っているふりをする時の反応と、知っていることを知らないふりをする時の反応だ。前者は虚勢が表に出る。後者は——抑制が表に出る。
マグヌスは後者だった。
微念と微精霊の同源性について、マグヌスは「知らない」と演じた。だが瞳孔が裏切った。あの理論を——深く、骨の髄まで理解している人間の反応だった。
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訓練後、カエルは自室に戻り、暗号メモの解読を続けた。
二重暗号の壁は依然として破れない。「彼」の名前は、まだ闇の中だ。
だが名前が必要だろうか?
周辺の記述——「教会魔法の理論的権威」「ヘスペリア大学」「精霊鍛造術の応用」
マグヌスの出版リストの空白——3155年から3170年。
母の「原力の発見」——3158年。マグヌスの空白期間の中間。
暗号メモの宛名——「マグヌスへ。渡せない」
海人族商人の証言——母の死の夜に、ヘスペリアの大学紋の馬具をつけた馬に乗る学者風の男。
訓練中の反応——微念と微精霊の同源性を、深く理解していることを隠している。
点が線になりつつある。線が網になりつつある。
カエルは机に両肘をつき、額を手のひらに押し当てた。
——急がなければならない。
マグヌスは第二章の最後、暗号メモの存在を打ち明けた時に動揺を見せた。今日の訓練でも、同源性の話題に反応した。つまり——マグヌスはカエルの動きを感じ取り始めている。
証拠が消される前に——あるいは、カエル自身が「管理」される前に——動く必要があった。
蝋燭の芯が黒く曲がり、炎が不安定に揺れた。カエルはそれを整えず、暗がりの中で正本を見つめていた。
——カエルは急がなければならない。マグヌスが気づいているかもしれない。




