夏の嵐
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テセラ海が荒れたのは、夏の盛りだった。
二年前の嵐とは規模が違う。黒雲が水平線から押し寄せ、海面が白く泡立ち、暴風が大学都市の海岸壁を叩いた。マナ濃度の計測器が振り切れ、大学が緊急対応を発令した。
「全術師に出動命令。海岸防衛壁の結界を最大出力で維持せよ」
大学の鐘楼から、鋭い警鐘が鳴り響いた。
カエルが海岸壁に駆けつけたとき、アウレリウスはすでにそこにいた。白い法衣が暴風に靡き、聖光の結界を壁面に展開している。他の術師たちが──精霊魔法系と教会魔法系がそれぞれ別の区画を担当して──防衛線を維持していた。
「カエル、来たか!」
アウレリウスが振り返った。風で声がかき消されそうになる。
「この嵐は普通じゃない! マナの質が変だ!」
カエルは精霊魔法の感覚を研ぎ澄ませた。暴風の中の微精霊が──恐怖と興奮の入り混じった異常な状態にある。前回の嵐と似ているが、それだけではない。
嵐の奥に──何かがある。
通常のマナとは異質なエネルギーの波動。かつて、辺境の遺跡で感じた力に似ている。原力──微念と微精霊に分化する前の、根源的なエネルギー。
「カエル、左翼の結界が破れそうだ!」
アウレリウスの声が飛んだ。海岸壁の左端で、精霊魔法の結界が嵐に押されて亀裂を走らせている。
「行く!」
カエルが走った。左翼に到達し、精霊魔法で暴風の向きを逸らす。風に意志を語りかけ、海岸壁を回り込むように流れを変えた。同時に、背後からアウレリウスの聖光が飛んできて、結界の亀裂を修復した。
「二人で──」
「わかってる!」
言葉がなくても動けた。訓練の成果だ。
カエルが精霊魔法で嵐の風向きを制御し、アウレリウスが教会魔法で結界を補強する。二人の連携が海岸壁全体に影響し、防衛線が安定していく。他の術師たちが驚いた目で二人を見たが、構っている暇はなかった。
嵐の核心が近づいた。
黒雲の中から、白金色の閃光が走った。雷ではない。マナの過剰放電だ。その光の中に──カエルは感じ取った。
遺跡で感じたものと同じ力。
古い。途方もなく古い、何かの残り香。微念でも微精霊でもない──その両方の根にあるもの。
「アウレリウス! 嵐の核心を逸らせるか!」
「やる!」
二人が全力を出した。カエルの精霊魔法が嵐の外周を掴み、内側に向けて圧縮する。アウレリウスの聖光の結界が嵐の核心を包み、海岸壁から逸らす方向に押した。
嵐が軋んだ。
暴風が海岸壁を外れ、沖へ向かって流れを変えた。黒雲が裂け、その隙間から強い陽光が差し込んだ。
嵐が通り過ぎた。
海岸壁の被害は最小限だった。壁面の一部が剥がれ、港の小舟が何隻か転覆したが、人的被害はない。
カエルは膝に手をつき、荒い息を吐いた。全力の連携を長時間維持した消耗が、全身に圧し掛かる。
「……やったな」
アウレリウスが隣に座り込んだ。法衣が塩水で濡れ、金髪が額に張り付いている。
「ああ。やった」
二人とも笑う力もなく、しばらく海を見ていた。嵐が去った後のテセラ海は、嘘のように穏やかだった。
だがカエルの心には、引っかかりが残っていた。
嵐の核心にあったエネルギー。あれは何だったのか。辺境の遺跡で感じた力──母が研究していたものに通じる、根源的な何か。
「カエル」
アウレリウスが声をかけた。
「考え事か。お前のその顔は、碌でもないことを考えている時の顔だ」
「……よく見てるな」
「友人を見るのは当然だろう」
カエルは黙った。友人。その言葉が、自然に口から出てくる人間が隣にいる。それだけで──嵐の後の疲労が、少し軽くなった。
嵐の中の原力の波動のことは、まだ誰にも話さなかった。




