信仰と理論
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夜の屋上は、二人の定位置になった。
講義棟の最上階。カエルが一人で星を見ていた場所に、今はアウレリウスがいる。二人の間に、マグヌスの住居から持ち出した茶壺と二つの杯。テセラ海の上に月が昇り、白い光が水面を渡って屋上まで届いていた。
「精霊魔法の感覚を教えてくれ」
アウレリウスが杯を傾けながら言った。留学開始から十日。初日の模擬戦以来、二人は毎日のように訓練し、夜には屋上で語り合うようになっていた。
「感覚か。──そうだな。精霊語を紡ぐと、空気の中に粒が浮かんでいるのが感じられる」
「粒?」
「微精霊だ。目には見えにくいが、術者には感じ取れる。温度があり、意志がある。こちらの言葉を理解し、応じるか拒むかを自分で決める」
「交渉か」
「そうだ。命令ではない。だから精霊魔法は失敗することがある。微精霊の機嫌が悪ければ、術が発動しない」
アウレリウスが目を丸くした。
「教会魔法とは全く違うな。こちらは祈祷句で微念を集め、神格に応答を求める。応答があれば力が降りてくる。微精霊のように『機嫌』はない──ただし、祈りの純度が問われる」
「純度?」
「信仰の深さ、と言えばいいか。迷いがあると微念が散る。祈りとは、意志の結晶だ」
カエルは黙って聞いた。教会魔法の理論は知っているが、実際に信仰を持つ者の言葉として聞くのは初めてだった。
「お前は神が本当にいると思うか?」
アウレリウスが真っ直ぐにカエルを見た。
カエルは──答えをはぐらかした。
「お前はどう思う?」
「逃げたな」
「逃げてない。お前の信仰を聞きたいだけだ」
アウレリウスが苦笑し、月を見上げた。
「私は──いると信じている。微念が集まって神格が形成されるという学術的事実と、神を信じるという行為は矛盾しない。人が祈ることで神が存在し、神が存在することで人が救われる。その循環を、私は美しいと思う」
「循環か」
「神を人が作ったとしても──その神が人を救うなら、それは本物ではないか? 起源がどうあれ、救いが実在するなら」
カエルの胸の中で、何かが揺れた。
神は人が作ったもの。それはカエルが神格構造学の講義で得た結論だ。だがアウレリウスはその事実を知った上で──なお信じている。知識と信仰が矛盾しない場所に、この男は立っている。
「……お前の祈りは、本物だな」
カエルの声が静かだった。アウレリウスが驚いた顔をした。
「なぜそう思う」
「理屈じゃない。お前の教会魔法を受けたとき、感じた。あの聖光は理論で組み上げたものじゃない。信じている者の光だ」
アウレリウスが黙った。月光が青年の横顔を照らし、金髪が銀色に見えた。
「……お前は面白い。嫌な奴だが、面白い」
「嫌な奴は余計だろ」
「事実だ。初対面で喧嘩を売ってくる混血の両方使いなど、嫌な奴以外の何物でもない」
「売ったのはお前だ」
二人とも笑った。屋上の石が冷たいが、茶の温かさが手のひらに残る。
カエルの内面では、もう一つの思考が走っていた。
微念の集積が神格を作る。微精霊は自然界のマナの最小単位。もし微念と微精霊が同じ根から生まれたものなら──神を作る力と、自然を動かす力は、同じものだ。
その仮説を、声には出さなかった。まだ早い。この友人にも、師匠にも。
「明日、一緒に訓練しないか」
アウレリウスが杯を置いて立ち上がった。
「受けて立つ」
カエルも立った。二人の影が、月光の中で並んでいた。




