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原力の殉教者  作者: とりまな
第2章 師のもとで
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鍛錬の日々

――――――――――――


 あれから三年が経った。


 その三年は、ただ速く過ぎ去ったわけではない。ルーナが夜中の悪夢で目を覚ませば、カエルは講義ノートを閉じて隣に座り、朝まで他愛ない話を続けた。マグヌスは冬ごとに古い訓練手帳を更新し、三人で同じ食卓を囲む日課だけは崩さなかった。積み重なった小さな反復が、十六歳の今を作っていた。


 カエルは十六歳になり、声変わりを終え、背丈はマグヌスの肩に届くまで伸びていた。大学の図書館で本を返却したとき、司書の老女が目を丸くした。


「もう子供には見えないね、カエル。来た頃はこんなに小さかったのに」


 カエルは曖昧に笑った。鏡に映る自分の顔は、母に似てきたと思う。森人族の耳と、人間族の琥珀の目。その不釣り合いにも、もう慣れた。


 三年という時間は、カエルの中の多くのものを変えた。


 講義と訓練の日々。朝は精霊学の講義、午後は神格構造学、夜はマグヌスの実験場で実戦訓練。季節が何度も巡り、テセラ海が凍る冬と、花が咲き乱れる春を繰り返した。


 マグヌスの指導は的確だった。精霊魔法なら術式の構成を微細に分析し、効率化の道を示す。教会魔法なら祈祷句の音韻構造と微念の対応を理論化し、直感に頼っていたカエルの技を体系的に整えた。


「理論が体に入った瞬間に、お前の魔法は跳ねる」


 マグヌスは繰り返しそう言った。


 その言葉の通りだった。直感だけで使っていた両系魔法が、理論の骨格を得て精度と威力を増していく。身体に二つの回路が並行して走り、精霊語と典礼語を同時に紡ぐ──それが自然になった。


 ルーナも変わった。十四歳。背が伸び、髪が腰まで届くようになった。精霊魔法の腕は着実に上がり、微精霊との親和性ではカエルを上回る。大学の精霊学部の講義に聴講生として参加し始め、教授陣が目を見張るほどだった。


――――――――――――


 ある夜、図書館の奥で古い論文を見つけた。


 書架の最下段、埃に埋もれた学術誌だった。三百年前の学者が書いた論文で、表題は「微念と微精霊の同源可能性に関する仮説」。


 カエルは席に持ち帰り、読み始めた。


 論文の著者──エレノア・ヴァイスという学者──は、微念と微精霊が同一のエネルギーの異なる表現形態であると主張していた。教会魔法の基盤となる微念と、精霊魔法の基盤となる微精霊は、根源において区別がない。それが分化したものに過ぎない、と。


 カエルの手が震えた。


 母が追っていた研究と、同じだ。


 論文の最終頁に、赤い印が押されていた。「異端判定──統一暦2891年」。エレノア・ヴァイスは異端として弾圧され、論文は禁書指定を受けた。この一冊が残っているのは、東方教会の管轄であるヘスペリアだからだろう。西方ルクスでは焚書されていたはずだ。


 カエルは論文を元の場所に戻した。


 母さんは──同じ仮説を追っていた。そして殺された。


 それは偶然ではないかもしれない。だが今は、まだ追及する時ではない。力が足りない。知識が足りない。


 深くは追わなかった。だが、記憶には刻んだ。


――――――――――――


 夕食後、マグヌスと居間で向かい合った。暖炉の火が二人の顔を照らす。マグヌスが茶を淹れ、カエルに差し出した。


「お前はもう、この大学の誰よりも進んでいる」


 マグヌスが茶碗を傾けながら言った。


「精霊学ではティベリウス教授が舌を巻いている。神格構造学の教授陣も同意見だ。両方の系統で一級以上の術者──ヘスペリア大学の歴史にも前例がない」


「師匠の指導のおかげです」


「いいや。私は水路を掘っただけだ。水を流しているのはお前の力だよ」


 マグヌスが窓の外を見た。テセラ海の上に星が広がっている。


「しかし、まだ足りない」


「……何が足りないんですか?」


「わからん。だが──お前の力の到達点は、まだ先にある。それは私にも見えない」


 師の目に、学者の光があった。未知の可能性を前にした、抑えきれない興奮。だがそれはすぐに、穏やかな笑みに戻った。


「焦るな。お前は正しい道を歩いている」


 カエルは頷いた。その夜、自室に戻る途中、ふと足を止めた。


 廊下の突き当たり──鍵のかかった部屋の前だ。三年間、一度もこの扉が開くのを見たことがない。


 扉の向こうから、かすかに冷たい気配がした。


 カエルは目を逸らし、自室に戻った。師匠が入るなと言った部屋だ。


 翌朝、大学の掲示板に緊急告知が出ていた。大学外縁でマナ異常が報告されたという。

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