14.ダサいドレスをなんといたしましょう
アドルフは首を傾げた。
「彼女がいつも着ているドレスはダサいのか?」
あまり見かけないドレスだとは思っていた。
「旦那さまは、はやりに無頓着過ぎます」
「悪いな。社交は苦手なんだ」
「社交が苦手でも、令嬢がどんな格好をしているかくらいは目にするではありませんか」
「そうなんだが……」
服など清潔であればいいではないかと思うのだ。
その点、ミネルヴァのドレスはしっかりとした生地で、汚れもなく洗練されていた。
最近行った二つのパーティーで、ミネルヴァに似たドレスを着た令嬢や夫人は見かけなかったが、大した問題ではない。
本人が好んで着ているのであれば、それでいいと思う。
「言うならば、数百年前の歴史の本から出てきたみたいなのです」
「そう言われてみればそうだな」
たしかに子どものころに読んだ、歴史の教本に出てくる女性の絵によく似ている。
実家に飾ってある曾祖母だか、その母親だかの肖像画の女性も似たようなドレスを着ていた。
「必要なら好きなだけ買えばいい。ミネルヴァにつけている予算は余っているだろう?」
そもそもミネルヴァが無駄遣いをしているところを見たことはない。
だから、ドレスくらいアドルフの許可など求めずに好きなだけ買えばいいと思った。
いや、予算が足りなくても今のアドルフなら、ミネルヴァのために工面しただろう。
彼女の喜ぶ顔が最近のアドルフの楽しみだからだ。
「先日、奥さまにドレスの購入を勧めたのですが、『たくさんあるから』と断られてしまいました」
「たくさんあるから、か」
「遠慮なさっているのもしれません。そこで旦那さまの出番です」
サリが執務室の机を叩いて、ズイッとアドルフに顔を近づける。
もともと彼女は遠慮のない性格だったが、最近それが増してきているようにも思う。
「奥さまも旦那さまの誘いなら断りません。ぜひ、ドレスサロンに誘いましょう」
「……私は流行りなどわからないぞ?」
「そこは私がサポートしますからご安心ください!」
サリは胸を張って言った。こういうときは頼りになる。
アドルフは苦笑をもらした。
「君がミネルヴァにはやりのドレスを着せたいだけじゃないのか?」
「想像してみてください。可愛らしいドレスに身を包む奥様の姿を!」
サリに言われ、アドルフは頭にミネルヴァの姿を思い浮かべた。
ドレスには詳しくないが、先日のパーティーで見かけた令嬢のドレスを重ね合わせる。
薄桃色を基調に、白のレースが重なるなんとも動きにくそうなドレスだった。
しかし、ミネルヴァに重ね合わせた途端、春の息吹が吹いたような気がする。
嬉しそうに頬を緩める顔を想像して、アドルフは右手で目頭を覆った。
「どうですか?」
「……そうだな。一着か二着、何かのために買っておくのは悪くないかもしれないな」
そうだ。最近のはやりのドレスはミネルヴァの趣味ではないかもしれない。
しかし、一着や二着ドレスが増えてもシュダルン公爵家が潰れることはないのだ。
何かのときのために買っておくのは悪くない選択だ。
「最近、やけにミネルヴァを気にかけているな」
「気にかけているのは旦那さまも同じでしょう? それに私だけではありません」
屋敷で働く使用人たちがやけにミネルヴァを気にかけているのは知っている。
食事のメニューはミネルヴァが来る前よりも格段に増えた。
ミネルヴァが来たことで、スイーツのレシピを集めていると聞いたことがある。
アドルフは王族でありながら軍人で、社交場にも必要最低限しか参加していなかった。
屋敷でパーティーを開くなどという予定もない。
だから、今までの料理人の仕事はアドルフと使用人たちの三食を用意することだけだったのだ。
ミネルヴァが何を出しても毎食喜ぶからか、料理人たちも張り切っているのだろう。
「あんなに不器用で可愛らしい方を、放ってはおけません」
サリは鼻息荒く言う。
「それに、奥さまはとてもすごい方です。おそらく、この屋敷で働くすべての人の名前と仕事を把握されています」
「そうなのか?」
「はい。とても周りのことを見ています。先日なんて、少し見かけただけのメイドを休ませるように言ったんです。なぜだと思います?」
サリがどこか興奮したように尋ねる。
アドルフは首を傾げた。
「なぜだ?」
「そのメイドは熱があったようでした。しかも、奥さまは『いつもと様子が違ったから』と言っていたんですよ。一度も話したことのないようなメイドですのに」
「それは凄い洞察力だな」
「そうでしょう? 誰も気づかなかったのに。ほんの少し見ただけで気づいてしまうなんて」
サリは自分のことのように誇らしげに胸を張って言った。
「つまり、ミネルヴァはみんなに好かれているということか」
「その通りです。きっと、みんな奥さまの可愛らしい姿を見たいはずです」
「そして君はその代表としてここに来た、と」
「はい。旦那さま、お願いします」
「……わかった。一度ドレスサロンに誘ってみよう」
ミネルヴァはシュダルン公爵家に着てから、屋敷から出たのはたった二回。
アドルフとパーティーに参加したときだけだ。
普通の女性がどれくらい出かけるものかはわからない。アドルフの基準は母親くらいだ。
その母親は非常に社交的な性格で、毎日のように外出していた。
ミネルヴァは屋敷でゆっくり過ごすのが好きなのかもしれない。
しかし、少し外の空気を吸うのも悪くないだろう。
何より、ドレスサロンでどんな表情を見せるのか、興味があった。
◇◇◇
午後の時間はミネルヴァとダンスのレッスンの時間だ。
アドルフはこの時間を楽しみにしている。
脛と足に青あざができる代わりに、ミネルヴァのいろいろな表情を楽しめるからだ。
そして、何よりそのあとのティータイムが気に入っていた。
アドルフ自身は甘味にそこまで執着はない。糖分は判断力を失わないためには戦場でも必要だった。
けれど、それを楽しんだことは今までなかったのだ。
「ほら、これも食べてみろ」
アドルフはピンク色に染まるマカロンをミネルヴァの口元に差し出した。
彼女はジッとマカロンを見つめる。獲物を狙う猫のような目だ。
このとき、彼女は何を考えているのだろうか。
ときどき、彼女の頭の中を覗いてみたいと思うときがある。
わずかのあいだ見つめたあと、ミネルヴァはマカロンにかじりついた。
小さな口だ。
口に入るのはマカロンの三分の一。こんなもの、一口で食べてしまえそうなのに。
ミネルヴァの目が大きく見開かれた。
「どうだ? うまいか?」
アドルフがいつものように尋ねると、彼女もいつものように頭を縦に振った。
食事をするとき、彼女は無口になる。料理の味を味わいたいのだろうか。
ミネルヴァは咀嚼を繰り返す。
これは本当に気に入った証拠だ。
アドルフはつい、もぐもぐと動く口元に新しい色のマカロンを差し出す。
ミネルヴァは慌てて飲み込むと、小さな口でそれを食べる。
たったそれだけのことだが、アドルフにとって、何より楽しいひとときだった。
「ダンスもうまくなっている」
「はい。アドルフさまのおかげです。ありがとうございます」
ミネルヴァは深々と頭を下げる。
彼女の顔がわずかに輝いて、アドルフは目を細めた。
ときどき見せる表情にアドルフの気持ちはいつも振り回されている。
あまりの可愛らしさに、アドルフはつい彼女の頭を撫でてしまう。
しかし、彼女の後ろ――部屋の隅でサリが期待の眼差しをアドルフに向ける。
いや、あれは「早く誘え」という圧力だ。
アドルフはコホンッと咳払いをする。
「これからパーティーの参加も増えるだろう」
「はい。がんばります」
ミネルヴァは気合いじゅんぶんといった様子で、両手に拳を作った。
「そこでだ。ミネルヴァ」
「はい」
「必要になることもあるだろうから、新しいドレスを買いに行こう」
すぐに返事は返ってこなかった。
ミネルヴァはアドルフを見上げたまま、何も言わない。
大きな目がアドルフの顔を映す。
「ドレスはたくさんあります」
「少し増やしておいたほうが安心じゃないか? 金のことは気にしなくていい。予算は余っている」
「結婚前におかあさまがたくさん新調してくださいました。だから、大丈夫です」
サリが奥でがっくりと肩を落としたのが視界の端に入った。
アドルフも同じ気持ちだ。
ミネルヴァの前でなければ、地に膝をつき項垂れていたに違いない。
アドルフはどうにか「そうか」の一言を絞り出した。
◇◇◇
ミネルヴァは部屋に戻って肩を落とした。
アドルフの顔が頭から離れないのだ。
(アドルフさま、なんだか寂しそうだったわ)
きっとアドルフは好意で誘ってくれたのだろう。
けれど、それを断ってしまった。
(「はい」と言うべきだったかしら?)
本当はアドルフとドレスを買いに行きたかった。
けれど、継母の言葉を思い出して、「はい」とは言えなかったのだ。




