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【完結】恋愛不要な婚姻のはずですが、軍人公爵様に毎日甘やかされてもよろしいのでしょうか?  作者: たちばな立花


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13/32

13.ホットチョコレートはなしです

 ミネルヴァはわずかに考えたあと、口を開いた。

 どんな味がするのか気になっていたのだ。遠くから見ている分には我慢できるが、目の前の誘惑にはかなわない。

 雪のように白いクリームチーズは知っている。好きな味だ。けれど、黒い粉は初めて見た。


 口元に運ばれたクラッカーを、ぱくりと口に入れる。

 嚙んだ瞬間、クラッカーの乾いた音が耳の奥に響く。

 クリームチーズの酸味が口いっぱいに広がった。

 知っている味だ。

 しかし、そのあとにくる強い刺激にミネルヴァは目を丸くした。


「どうだ? うまいか?」


 アドルフの問いにミネルヴァは小さく頷いた。

 キャロットケーキとは違うけれど、このクラッカーも刺激的だ。


(ちょっとピリピリ)


 冷たい冬の空気が頬に刺さるような刺激だ。

 ミネルヴァは両頬を押さえる。

 アドルフは笑みを浮かべると、ミネルヴァの手を取った。


「おすすめがある。ほら、こっちだ」


 一つ食べてしまえはあとは同じだ。

 しかも、この部屋には誰もいない。アドルフとは毎日食事を一緒にとっているのだから、継母の言う「食事をする姿を見られることがはしたないこと」には該当しないはずだ。

 この姿を見たら、継母はため息をつくかもしれない。けれど、この部屋には二人だけ。きっと、アドルフは秘密にしておいてくれるだろう。

 ミネルヴァはアドルフに勧められるがまま、軽食を楽しんだ。


(どれもおいしいわ。パーティーの軽食がこんなにおいしいだなんて、知らなかった)


 ミネルヴァは思わず頬を緩める。

 どれも頬が落ちそうなほどおいしい。今まで軽食コーナーに立ち寄らなかったのを後悔するくらいだ。

 この味を知っていたら、ミネルヴァは継母に隠れて軽食に手を出していたかもしれない。

 アドルフに笑顔で見下ろされ、ミネルヴァは慌てて口を真一文字に結ぶ。

 最近、表情筋が緩んでしまっている気がする。

 それもこれも、アドルフやシュダルン公爵家のみんながミネルヴァを甘やかすせいだ。


「少しは緊張がとけたか?」

「はい。ありがとうございます」


 アドルフはミネルヴァの緊張をほぐすために軽食に誘ったのだ。

 彼の意図を理解して、ミネルヴァは小さく頭を下げる。

 彼はわずかに目を細め、ミネルヴァの頭を撫でた。


「さて、ミネルヴァ。一曲付き合ってもらえるだろうか?」


 アドルフはミネルヴァの前に手を差し出す。

 今なら大丈夫な気がして、ミネルヴァはアドルフの手を取った。


「はい。喜んで」


 たくさん練習した言葉だ。

 緊張せずに言えた。それだけで、ミネルヴァの心は満たされた。


 ◇


 メインの会場に戻って、ダンスホールの真ん中に移動する。

 瞬間、会場がざわついた。


(アドルフさまがかっこいいから、みんな見てるのね)


 彼は王族な上にかっこいい。そして国を守る英雄でもある。

 そんな彼に見合うよう、完璧な夫人にならなければならない。

 ミネルヴァはいつも以上に顔に力を入れた。

 へらへらと笑っていたら、「アドルフ殿下は完璧だが、妻は……」と言われてしまうかもしれないからだ。

 ミネルヴァだけが後ろ指をさされるのであれば耐えられるが、アドルフが悪く言われるのは耐えられない。


 ミネルヴァは唇を噛みしめ、眉根に小さな皺を寄せた。

 しかし、表情筋に注力しすぎて、ミネルヴァはステップを間違えてしまう。


「あっ……!」

「大丈夫だ。そのまま。練習どおりに」


 アドルフの声が降ってくると、自然と安心できた。

 音を感じる。いつもアドルフが口ずさむメロディーを思い出す。

 ヴァイオリンよりも低いけれど、心地のいい音なのだ。


「今日が一番上手だ」

「本当ですか?」

「ああ。帰ったら、祝いにホットチョコレートを入れてもらおう」

「ホットチョコレート? それは何ですか?」


 知らない単語が出てきて、ミネルヴァの意識がステップから未知の飲み物に変わった。

 瞬間、アドルフの脛を蹴ってしまう。


「……っ!」

「あっ……申し――」

「今日はそれはなしだ」


 アドルフに制止され、ミネルヴァは口を噤んだ。

 ミネルヴァは表情を繕うことを忘れ、眉尻を下げた。


「ホットチョコレートはなしです」

「なぜだ?」

「アドルフさまの脛を蹴った罪を償わねばなりません」

「その程度で?」


 アドルフは小さく笑う。

 ミネルヴァは頬を膨らませた。


「その程度ではありません! 英雄の脛ですもの」

「英雄はその程度では傷つかないし怒らない」


 いつもそうだ。

 アドルフはそうやって「痛くない」と言う。

 しかし、脛を蹴られたら誰だって痛いと思う。


「では、罪を償ってもらおう」


 アドルフは真面目な顔で言った。

 俄然、そのつもりだ。公式の場で夫の膝を傷つけるという妻として、淑女としてあり得ないことをしたのだから。

 ミネルヴァが頷いた瞬間、身体がふわりと浮く。


「ひゃっ!」


 アドルフがミネルヴァの腰を掴んで抱き上げたのだ。そのままくるりと一回転した。

 景色が驚くほど早く回る。目が回りそうだった。

 そんなのは、練習でやっていない。

 足が地についてすぐ、ミネルヴァはアドルフに抱きついた。

 彼の身体が上下に揺れる。笑っているのだ。


「これが罰だ」


 彼は少しだけ悪い顔をする。

 今まで見たことのない顔にミネルヴァの心臓がはねた。


「びっくりしました」

「びくりしなかったら罰にならないだろう?」

「……そうです。その通りです」


 ミネルヴァは両手で頬を押さえる。

 気づけばミネルヴァは表情を作ることも忘れてしまっていた。

 そんなことがどうでもよくなるほどふわふわしている。


「ダンスはどうだった?」

「失敗しました」

「そうじゃない。楽しかったか?」


 ミネルヴァはしばらくのあいだ思案して小さく頷いた。

 失敗はしてしまったが楽しかった。

 練習とは違う。ミネルヴァは初めて憧れている世界に来ることができたのだ。


「楽しかったです。アドルフさま、ありがとうございます」

「私は何もしていない。ミネルヴァが頑張っただけだ」


 ミネルヴァは頬を緩ませた。

 アドルフに褒められると幸せな気持ちになる。表情を取り繕うこともできず、ミネルヴァは頬を両手で押さえた。


「練習したら、もっと上手になれるでしょうか?」

「ああ。短期間でこんなにうまくなったんだ。毎日コツコツ練習すればすぐに誰よりもうまくなる」

「はい。頑張ります」

「当分はそういうスケジュールにしておこう」


 アドルフの言葉にミネルヴァは目を瞬かせた。


「アドルフさまも練習に付き合ってくれるのですか?」

「当たり前だろう? 相手役がいなくてどうやって練習するんだ?」


 アドルフは不思議そうに首を傾げる。

 練習相手など他にも任せられるだろうに、アドルフは当たり前のようにミネルヴァの相手をしてくれるようだ。

 ミネルヴァはあまりの嬉しさに唇を噛みしめる。

 これ以上アドルフを見ていると、クリームのように溶けてしまいそうだった。


「よし、帰ってホットチョコレートを飲もう。だが、アレを飲んだら、今夜は眠れないかもしれないな」

「そんなにおいしいのですか?」

「ああ。きっと夢に出るうまさだ。私はあれを初めて飲んだとき衝撃を受けた」

「衝撃……」


 どういう衝撃だろうか。

 想像もできない。ホットと言うくらいだから、あたたかいのだろう。甘いのだろうか。

 それとも酸っぱい? 今日のようにピリピリするのかもしれない。

 ミネルヴァがホットチョコレートに思いを馳せていると、アドルフが小さく笑った。


 ◇◇◇


 ミネルヴァはふかふかでふわふわの布団の中で幸せに浸っていた。


(今日は楽しかったな)


 目を閉じればすぐに思い出せる。

 初めてのダンスホール。軽快な音楽と、アドルフの優しい笑顔。

 彼に抱き上げられ、くるりと一回転したときは、空を飛んでいるようだった。

 ミネルヴァも、あのキラキラしている令嬢の一人になれただろうか?

 ミネルヴァは布団に顔を押しつける。


(ホットチョコレートもおいしかったわ)


 とろとろの飲み物は口の中を支配する甘さだった。

 甘いけれど、それが身体を癒やしてくれるようで、一口飲んだだけで幸せになったのだ。


(おかあさまは完璧でないならダンスはしないほうがいいと言っていたわ。でも……)


 今日のミネルヴァのダンスはお世辞にも完璧とは言えないだろう。

 ステップは間違いだらけだったし、アドルフの脛を思いっきり蹴った。

 継母が見ていたら、頭を抱えるようなダンスだったと思う。

 けれど、誰もミネルヴァを笑ってはいなかった。

 アドルフもあれでいいと言っていた。


(おかあさまの教えとは違うけど、この前よりもアドルフさまは笑顔だったわ)


 ミネルヴァには難しいことはわからない。

 けれど、これだけはわかる。アドルフが笑顔のほうが、ミネルヴァは幸せだということ。


 ◇◆◇


 アドルフは書類を見ながら笑みを浮かべる。


(あの笑顔は反則だろう……)


 自身のニヤけた面が窓に映っているのを見つけて、アドルフは慌てて右手で口を覆った。

 コホンッと小さい咳払いをする。この部屋に誰がいるわけでもない。

 しかし、なんだか気恥ずかしかったのだ。


 最近のミネルヴァは表情が豊かになったと思う。

 前はどこか不機嫌そうな顔ばかりしていた。しかし、今はアドルフにいろんな表情を見せてくれる。

 そのせいだろうか。あの不機嫌そうに唇を真一文字に結んだ表情すら愛おしく感じるのだ。


 すると、アドルフの思考をかき消すように扉が勢いよく叩かれた。


「どうぞ」


 この屋敷の中で、約束なくアドルフの執務室に入ってくるのは一人だ。――クロイに違いない。

 しかし、扉が開いた瞬間、想像もしていなかった人物にアドルフは眉根を寄せた。


「旦那さまっ! お願いがございます!」


 部屋に入ってきたのあミネルヴァの侍女――サリだったのだ。


「どうした? ミネルヴァに何かあったのか?」

「いえ。奥さまは今日も健やかに読書中です。けれど、奥さまのことには違いありません!」


 ミネルヴァに何もなかったと聞いてアドルフはホッと胸を撫で下ろす。


「ミネルヴァのこと?」

「はい。そろそろ奥さまのあのドレスをどうにかいたしましょう!」

「ドレス?」

「気づいていないんですか!? あのレトロを通り超した時代遅れのダサいドレスのことです!」


 サリの叫び声が執務室に響いた。

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